2-30) ゴディバ

これは孫娘に関するお話です。
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孫娘の最初のお友達、「熊さんのぬいぐるみ」は、九州のわたし友人から届いた。『GODIVA』は有名なチョコレートのマスコットだ。
足の裏に年号が刺繍されている。その子は2004生まれ、彼女と同い年だ。少し大きくなって・・・もともとは「しろくま」だった。チョコレートを食べて育ったから今は茶色だと。
名づける「goriva」・・・・ なぜか生まれて間もない頃の彼女には『ゴリバ』としか聞こえなかった。5才いになった今も「ゴリバ」だ。

毎年クリスマスにマスコットは意匠を変えて登場するが、熊であることは一貫している。いくつか買い与えたが「ゴリバ」にはかなわない。ぬいぐるみも数年もつきあうと痛む。分からぬまま彼女に噛まれた鼻などあちこち名誉の負傷をしている。なんども洗濯・繕う。満身創痍だ。つい最近もともだちに「きれい」でないと非難されたそうだ。可哀想だとママが同じものをネットで探して買ったがこの方には手をつけない。

今年から幼稚園に通う。そのときは玄関に座らせて、行きも帰りも挨拶だ。外出は必ず一緒。もちろん他にも仲間は大勢いる。それぞれお気に入りではあるが「ゴリバ」だけは別格のおつきあい。自宅には「ゴリバ・マンション」があって、幼稚園の友達が来てもお断りして「ゴリバ」には触らせない。ハワイにも仲間の「しろちゃん」がいる。がかならず「ゴリバ」だけは連れてくる。今回で5回目のハワイだ。 

孫たち家族はドールプランテーションへ・・・「迷路」昨年は完走できずじまい。今回はリベンジを果たすとそろって出かけた。夫婦2人は終日家で静かに過ごす・・・

今日は孫娘のお誕生日、アラモアナの「マカロニ・グリル」でお祝いの食事を予約してある。
211ハワイでは通常子供が席に着くと、「クレヨン」と「ぬり絵」が供される。注文が出てくるまでの手慰みといおうか・・・・この店では「ぬり絵」は出てこない。真っ白なテーブル・クロスに自由にお絵書きができるのだ。さすがに子供でも「書いてもいいの?」と母親に聞いた。おそるおそるそれでも自分の名前を大きく書く。まだ字を覚えたばかりの時だからこの思い出は強烈だったろう。

食事をしながらウエイターに孫がお誕生日だと告げた。しばらく何の反応もなかったから、通じなかったのかと思っていたら、食後にアイスクリームのプレゼントが届いた。きょとんとするちびちゃん。店の従業員が数人が彼女を取り囲む。真ん中の男性がハッピーバースディを「ハワイ語」で歌ってくれた・・・・「オメデトウ」テーブルの周辺で小さな喝采が起こる。

満足しての帰路アトキンソンの山手に大きな月が出ている・・・常夏の島、ヤシの葉影にかかる満月、こんなことまで予約してかなうものでもない。
ケーキは準備してある。家で再度祝う。「5才おめでとう!!」と家族が。「ゴリバ、オメデトウ」と彼女はケーキの火を吹き消す。




暗くなったのでカーテンを開けると思いがけないスコール。445外出中の家族に電話を入れる。「ヒルトンホテル」にいるという。すぐさま迎えに車を走らせた。土砂降りで既に道路はところどころ灌水・・・・走りにくい・・・・晴天率の高いいワイキキは、雨には弱い大表的都会だ。さすがにヒルトンの玄関、車寄せへもなかなか近付けぬ。やっとの思いでみんなを拾う。どしゃぶりの雨が走り去る。『走り去る』という表現が正しい。雨雲が走り去る彼方に虹がかかる。


帰ってきて食事後、今日の出来事と外出中の写真を見せてもらう。カハラのホテルでのイルカの泳ぐ写真などなど・・・・今日一日の先々での光景が記録されている。
孫娘はビーチで遊んだそうだ・・・・彼女は「ハワイっこ」海や波はいっこうに怖がらない。それどころかビーチにいる時が一番うれしそうな顔をしている。浜で仲良しになったアメリカの子供、「今からカリフォルニァに帰るのでと、大きな浮き輪とビーチで遊ぶ道具をそっくりプレゼント」すると・・・お遊びの道具の数々を貰い受ける。子供達には人種の違いも国境もない。楽しい時間を共有した思い出だけが残る。その道具も次回来たときのためにハワイに置いてある。


ハワイ滞在中のメインイベント「Ruth 's Chris] Steak Houseへ、少し盛装して行く。孫娘はすっかり・・・・5年間毎年長期滞在していたこともある。外国にも慣れた。「水が欲しい・・・ミルクが欲しい・・・」くらいは自分でオーダーできる。

いずれの食べ物も相変わらずおいしい・・・我が家では現況「ハワイno1」の称号を与える。食後ビーチウオークをぶらぶら・・・・彼女が名付けたガスランタン「もえもえ」が夜の帳にしばらくお休み頂く。ごたごたした古いハワイ、何となく懐かしい感じがして、ワイキキの「恥部」を思わせた一画が再開発された。おもむき新たにここにおれば世界一級の観光地を確信できる。「もえもえ」と芝生の噴水を訪れる彼女に、われわれの声は届いていない。


Dscn1234昨日孫娘をつれて「コンドの探検だ」と、プールやエクササイズ・ジムやガレージ・・・・コンド周辺を歩きまわった。今日はママを連れてに同じところを案内したようだ。正確でこの子はなかなか迷子にならないのではと感心する。もうひとつ駐車場の自動車のライトを見て「この車のお目めは丸くて可愛い・・・・わが家の車は少し寄り目」と指摘する。今のところこの人のおすすめ車は「ニツサン・マーチ」・「ワーゲン・カブトムシ」に「ミニ」でどれも丸目だ。そういえばデパートMACY'sで、首のないマネキンに「こわい」と泣いた日もあった。垣間みる幼児の感性はすごいな・・・・・


孫娘は「キンちゃん」(これも彼女の命名、金魚のキンちゃん)にお別れの挨拶・・・・アラモアナSCの水槽に住む緋鯉、生まれた時から背びれが曲がっている、「えさを与えても他の魚に取られることが多いから目もわるい」と彼女はいう。それだけにキンちゃんが与えたものを食べたときは彼女が満足する。1才から5才の今日まで滞在中は必ずえさを与え続けてきた。魚はすっかり大きくなって今も元気だ。

「来週幼稚園で音楽会があるの・・・・どうしても日本へ帰らなくてはならない・・・・またくるからね」とキンちゃんご挨拶して涙がぽろり・・・・お別れのえさを与えたら見知らぬ男性に叱られたと・・・・初めてのことだが相手も事情をご存じない。母親が傷ついただけで、英語の通じない孫娘には告げぬにおく。

夢ををいっぱい詰め込んだ荷物、滞在中に「ゴリバ」に新しいお友達が2人増えた。彼等は彼女が自分で持ち帰る。ぬいぐるみを背負うバッグも買ってもらった。これに「ゴリバ」を、背おうリユックに新しいお友達が2人・・・・振り分け荷物だ。「写真にとって」・・・・前述の写真が残る。

am11:00 タクシーがコンドの玄関に到着する。すっかりなじみになった運転手にKさんにシュークリムいただく・・・「どうしてうまくお迎えがくるのか」と孫娘は未だ電話で予約することなど思い付かない様子だ。空港のチエックイン、予想と違ってすいすいだ・・・・NW16便am1:20発で空港内に消える。ハワイ時間pm11:30分、今夜遅くには関西空港に到着予定だ。荷物のチエックをすませて遠くなった孫たち家族に手を振る。


夫婦2人、The Busで・・・・帰宅
ヨツトクラブへ花火を見るために立ち寄る。セントパトリックのお祝のパーティで賑わっている。玄関でミドリ色したネックレスや帽子など記念品をいただく。
ドドン・・・ドドン花火が上がる。最近「花火」の歌に凝っているから、本物を見せてやろうと計画したが、行くまでは「恐い!! お家にいる」といっていた本人も納得。「花火キレイね」と満足して帰る。

孫娘がビーチへ散歩にでた。迎えがてらに後から出かけた。携帯を忘れたがすぐ分かるだろうとタカをくくってきた。土曜日のビーチは大勢の人出・・・・日本の大勢と基準が違うことは断っておく。
砂浜でお砂遊び・・・・わたしと一緒に波打ち際で足を浸ける。去年は水に足を浸けただけで、からだが硬直していたのを思い出す。さすがに今年はもうそんなことはない。波を追い掛けて、波から逃げて・・・・日本で海水浴に出かけるのは大仕事・・・こちらでは10分も歩けばビーチ、この贅沢も存分に楽しんで欲しい。

いろいろな思い出がよみがえる。われわれ夫婦に会話は無い・・・・

翌日「日本時間午後8時40ごろ、家に帰ってきました。速く帰れて良かった。また明日連絡します」とメールが残っている。肩の荷が降りたと同時に静かで寂しくなった。
大阪の気温が2〜7度程度ハワイ帰りにはとても寒いだろう・・・・

数日後元気に幼稚園からかえってきた孫娘、友達にハワイの「バンソコウ」をお土産にあげる約束をしてきたら、自分のものがなくなった。帰りに私の分買ってきてほしいと電話で、リクエストが届く・・・・元気に幼稚園へ行っているようだ。幼稚園の「発表会」も無事おえた・・・友達の家へ遊びに行った。もう自分の世界に戻っている・・・・

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2-29) 返品

 
「クリスマスプレゼントを返品したい」クリスマス前後から年末にかけて、米国のおもちゃ屋や量販店は子供ずれのこんな客でいっぱいになる。この時期米国の家庭では友人、親、親戚同士で気軽にプレゼントを贈り合う。子供なら一人で数十個のおくりものをもらうのも珍しくない。欲しかったものと違ったり、同じものをもっていたりすれば返品・交換ということになる。「贈り主に悪い」と遠慮する日本人とは違って合理的だ。
もらった人が返品できるのは贈りものにレシートが同封されているからだ。「ギフト・レシート」を同封することは品のないことではなく、むしろ礼儀正しい習慣と見なされる。レシートがあれば店側も心得ていてあっさりと交換してくれる。新聞記事の転載

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各デパートやROSSやOLD・NAVYなど・・・・大型衣料店・専門店などの試着室は何処もにぎわう。衣装を抱えるほど持ち込んで試着してみる。店によっては試着室入口には係員がいて、持ち込む数に制限があるが、ただし一度の持ち込みがということで、数回おとづれると何着でも可能ということになる。着てみて不要なものは係に返却、いるものだけを・・・・それでも抱えるほどという人も多い。日本人の我々には理解できない光景だ。「こちらの人の購買力はすごい」とただただ感心して見ていた。試着室で試したとして、サイズや気に入り具合を入念に確認できたかというととんでもない。とにかく候補商品は持ちかえって家で試着する。家族のアドバイスもうけることができる。熱気が少しさめてきていらないものも出てくる。数日後返品ということになる。「購買力のすごさ」は後日の顛末まで見届けないと正確でないかもしれぬ。それほどレシートをつけての返金と返品処理は制度として定着している・・・・前述のROSSなどは購入した店でなくとも、返品・返金を受け付けると公表している。レンタカーの返却、借りた窓口でなくとも良いという制度と同じ仕組みだ。消費者としてはすこぶる便利な仕組み・・・・

いつだったか孫娘に買ったお土産の靴、それでなくとも難しい品物の一つだが・・・・「一度お履きになって万一ご不満ならば交換いたします」というのが去年の春、アラモアナSCに出店してきたデパート、ノードストロームの逸話もある。「靴は履いてみないと分からない」というのを社是にして信用を得たと書いてあった。ことに成長期の彼女に持ち帰ったものが合わなかった。「さあ!! 困った!!」かわりに履ける人もいないまま・・・・次の年まさかと思いつつハワイに持ち込んだ。同じものは見つからなかったが、サイズ交換を・・・店にあった期間より我が家の靴箱に保管されていた期間の方が、長いのではと考えると申し訳ない気分になる。

いろいろなキャンペーンが手を変え品を変え行われる。よく現場から文句もでずにやれると、元宣伝部の私が感心するほどだ。デパートの大売り出しでサングラスを買う。2年ばかり使ったら故障した。修理に出したいが期間がかかる。帰国日があるからその旨を伝えたら、私の持ち込んだメーカーの商品の陳列がここにある。この中のものを選べといって交換してくれた。私としては「使っていて壊れたのは私側の責任だ」と申し入れたことをお伝えしておく。

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2-28) 自動車ショウ

Dscn152009年
アラモアナのコンベンションセンター「オートショウ」が開催されている。
シニアー・シチズンで入場料$5:00・・・・展示会場は1階の大ホールだが、開場のam12:00まで少し時間がある。とりあえずコンベンションセンター内をうろつく 。 ハワイでも珍し大建造物の一つだ。 自宅の近くにあって前は始終通るが、中をゆっくり見ることはなかった。

3層のサスペンションガラスがはめ殺された玄関付近・・・・建物を通り抜けての裏側はオープンエアーになっていて、熱帯植物が建物内を大胆に飾る。目の前、運河越にはコンド群がせまる。ハワイで最初に住もうとしたアラワイ1717はすぐ目の前だ。写真に残す。

この種類のショウ、車の好きなアメリカで人が入っているとはいえ、混雑も無く快適に見回ることができた。日本なら人込に疲れる・・・・大都会必ずしも人が大勢住んでいるから魅力とはいえぬ。適正人口というのがあるはずだ。

高級車数台がショウの「目玉」として・・・・マセラティやフェラリーの数千万するものまで見せるだけでなく触らせる。マセラティの室内に座ったが、数千万という感慨はなかった。走るという機能に重点をおいていて、エンジンを掛けて分かる性能が売りなのだろう。

日本車の元気が目立つ。中でも小型車の質と価格は抜きん出ているが、大型車は互角以上の車種が米車にもある。持ち帰ったカタログを見る。一部だが日本での価格帶とハワイでの価格に差のあるものが多い。ハワイの方が安いというのも理解に苦しむ。太平洋の真ん中、「陸の孤島」車など大型商品は搬送というハンディがあるはずだ。もし日本国内でアメリカが対当に競争をしていたら「クラウン」の今日はなかったと思える。日本人我々がもっとアメリカ車を選べる機会があればと残念でならない。

世界の車だんだん似たものになってきているように見える。エンブレムを外したら果たしてこれが日本車だと識別できるかといわれたら、ビールの味ほど心もとない。それと車の価格帯特殊なものは別だが、各社200〜300万円台がターゲットのようだ。このクラスでの競争が激しい・・・・


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クライスラーにつづいて GMも政治の支援は、のぞめない様相になってきた。GMはアメリカ繁栄の象徴でもあった。今日自由と可能性の国で国有企業になる。大きな歯車がギイという不気味な音をたててまわった。蹉跌の理由を指摘するのも単純ではないが、マーケティングを駆使して業績を伸ばしてきた会社が、エコや小型化にシフトする時期を見誤った。

追走するTOYOTAが此処へ来て業績を確保、進捗させているのは「ハイブリッド」と呼ばれる車種だ。 専門的な知識はご勘弁いただくとして・・・・ ガソリンと電池を併用した車は、ガソリン以外のエコ燃料を探し当てるまでの過程?、おそらくTOYOTAでは電池車になるのだろうが、実験しながら「ハイブリッド」とよばれて、この車種が快走しているのだ。「実験中・ 実験中 ・実験中 ・実験中・・・・・」と車を走らせながらのこの社の政策は、他社が同社種を出した翌月には、すぐさま「 ハイブリッド」廉価車で対抗するしたたかさも持ち合わせている。


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J三菱自動車が電気自動車を 「アイミーブ」を 発売した。大手の自動車会社で一番乗りと申し上げてよろしいか。

価格が¥459万円・・・(右表)
「アイミーブ」の本体は「アイ」という既存の小型車、価格は¥106万円〜とある・・・・既存車にのせるという選択は間違いではない。とすると搭載電池が¥300万円することになる。物が売れる理由の一つに「値ごろ感」というのがある。

「エコロジー」をいち早く取り入れた先端技術の開発、諸般の事情を加味するとしても、この価格設定はメーカーの「エゴイスト?」が全面に出過ぎている、折角のチャンス、技術の一番乗りをうまくビジネスにつなげていると思えない。



オートシヨウに話を戻す
今年のオート・ショウは自動車会社の不参加が話題だったが、それを補うクラッシックカー(カスタマカー)の参加があって見どころは多い。
英国車というカテゴリーのカスタムカーに「MG」を見たが、「バンデン・プラス」(残念ながら出品なし)この2台が、現在の車のデザインの原点だと思う。


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2-27) メクラ蛇に怖じず

パソコン音痴の親友へ
99%打ち終えたら文字が消える・・・・古いパソコンをお使いでしょう? わたしもコンピューターには泣かされました。

しかし、しかし、これは貴兄がご専門でよくご承知のこと・・・・例えば子供達が小学生だった時代の運動会で使った映写機、貴社製とはいいませんが、肩に担がねばならぬほど大型でテープを使っていました。今は手の平サイズ・・・・これを技術の進歩と呼ぶのでしょうが、その時写したテープによる映像はCDやDVDに取って変わられ、今や再生の方法もありません。わずか十数年で「ゴミ」になり下がり、さすがに捨てるわけには行かず、押し入れの奥に・・・・こんな状況は私だけではなく多くの人人が「そうだ」と膝を打つところです。しかしいつまでも仕舞い込んでいると、リサイクル法などができて破棄するのに、手続きと費用がかかるようになりました。

セピア色に変色した古い写真、江戸時代最後を生きた「篤姫」に写真機が出てきます。印画紙の焼いた写真は200年近く生き延びて今も現存します。阪神大震災を経験した私たち、地震でなくしたものの中でとりわけ「家族の写真」を持ち出せなかったことが、一番悔しい思いだともいわれています。そんな大切なものを「紙焼きの写真」からデジタル化して保存していますが、これが将来におよんで絶対という保証はないようです。

コンピューターに関しては「データー」の読み出し専用にと、おいてあった旧式を思いきってメーカーへ手数料を支払って引きとって貰いました。

貴兄が在籍しておられた弱電業界、走りながら製品化を急ぐ・・・・「不具合」という便利な日本語を多用しての業界は、亀の歩みのような発展の遅い、薬業界からは想像も付かない世界です。

私は仕事の関係からパソコンになじんだ・・・なじまざるをえなかった。
「ワードプロセッサ」という言葉を最初に聞いた時も、文字を機械的変換から電気的変換するという説明も、それがタイプライターとどう違うのか・・・何度説明を聞いても理解できませんでした。

自分が使ってきた台数を金額に換算して、その膨大さに愕然としました。(初期のコンピューターは高かった)・・・・しばらくは頑に新しいパソコン売り場に近付かないようにしていました。進歩はユーザーの一方的な負担によって支えられていた。といっても過言ではありません。

時移り・・・時代に逆らう。新しい技術革新に目をつぶる・・・後ろ向きの姿勢で得たものより失うものの方が多いことに気付きます。

こんなことを愚痴っても仕方がない。ということに気が付いて、積極的にあたらしいものを使う。PC(パーソナルコンピュター)はそんな代表的商品です。日本人の倫理観を破壊する「もったいない」が通用しないツールです。いたし方ありません。

わたしはマッキントッシュを使っていますが、私が付き合いを断っていたうちにこの機械は完成度を高め、安定度を増していました。内臓部にインテルが使われるようになって、まずスピードは格段の進歩しました。精度もほぼ完成に近いかと思います。ただなんであんなに使わないソフトまで進歩の名でやるのか? もっと「基本的ソフト」のみを搭載した、廉価版が登場してよい頃だと・・・・・

「インターネット」と「メール等作文機能」と「表計算」(表計算は業務用でも可)程度の、シンプルで使い勝手が良くて、廉価な普及版を作って欲しいと、前回貴兄にお会いした時申しあげたかと存じます。

貴兄の文字消え、文字化けは、機械を変えたら治ります。変えない限り治りません。
盲蛇に怖じずと申します・・・ハワイから専門家の貴兄にたわごとを送ります。

何卒ご容赦のほどを・・・・アロハ

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2-26) 機内食

1954年、日航は東京〜ホノルル〜サンフランシスコの国際線に参入した。
当初は現在のファーストクラスに相当する客席のみで、飛行時間も48時間以上かかったため、本格的なメニューの機内食が用意された。就航直後のメニューは、まず羽田を出発後、最初の機内食が前菜盛り合わせとサンドイッチ・デザート類。給油のため着陸したウェーキー島のレストランで朝食、次は機中で昼食としてコンソメスープ・ローストチキン・サラダとデザート。夕食はホノルル到着時。最後は機中で朝食グレープフルーツ・シリアル・ハム・トースト、サンフランシスコ到着まで5回の食事があった。

日航は05年7月から電子レンジで炊飯したごはんを出しているが、機内は地上より気圧が低いために普通に炊いても美味しくならない。試行錯誤した・・・以上日経新聞

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上記の記事で巻頭の「フアーストクラスのみ」を見落としていた。その上で「一般客はおにぎりや弁当を持ち込んだのだろうか?」という疑問が頭を過ぎった。後日この話を友人M氏にした。当時の「ロスアンゼルスまでの客席は総てファーストクラスです。」と飛行機に乗ったことの無い彼の返事が素っ気ない・・・・

機内食は飛行機に乗った時の楽しみ一つだった。香港への旅、キャセイ航空を主要に選んだのも機内食の質の高さからだ・・・・上級シートに着く。配られた「シャンパン」こはく色の液体に小さな白い泡がグラスにかけ上る。まだ「旅立つ心」はこのシャンパンのグラスのようにはさざ波すらたてない。その後に出る日本料理は上品にしつらえられた、一級の会席といえるほどのものだ。一度など近くの席のアジア人、床に直接座して食べていた。その気持ち何となく分かるような気がするほど、みごとな日本料理だった。伊丹を飛び立って約1時間食事に夢中になっている乗客に「右手下に桜島の噴煙が見える」とアナウス・・・ 未だ日本の空をを脱していないことを教える。
機が飛び立つ前に飲んだシヤンパンの影響か? 日常と非日常の狭間に身を置く悦楽の瞬間にだ。年に数度は仕事で通う鹿児島、その時の機中とは違う。 海外への旅立ちという高揚感に酔いしれる乗客、これが好きで休暇は決まって香港で過ごした。
後は東支那海を南下する・・・・

KALのビジネスクラスでロスアンゼルスから帰えった。別枠メニュー、スペッシャルオーダーに「麺」があった。韓国の麺は腰があって、麺としては一級の食材だ。長旅機内食に食傷気味だったのと、もともとが口賤しいのとで麺を注文した。四角い発泡スチロールのインスタントラーメンが出てきた。韓国製とはいえ「三分間待つのだ」という日本の発明品だ。「ビジネスクラスですょ」期待はみごとに外れた。その後太平洋路線、ソウルに到着するまでの長い時間空腹での苦痛が蘇る。「これには参った」

機内食と飲み物はサービスされた。 そのソウルへ・・・・・・・友人のT君仲間と旅立った。機中ビールを飲む。これも楽しみの一つだ。気圧の少し薄い中での飲酒はよくまわるともいわれる。それに開放感が絡まって 飲み助にはたまらない時間だろう。3度目のお変わりは到着時間もあって,アテンダントが忙しくてとうとう届かなかった。その時のT君の恨めしそうな顔・・・・・・彼も数年前逝った。
咋今このサービスもNWのハワイへの便では$5で有料となった。乗客が成熟したと考えるべきだろうか?


飛行機自体も進化した。空港建設時騒音が問題になるが、・・・・・3番目の弟が結婚した頃、1980年代新大阪のマンションに住んだが、真上を降りてくる飛行機の騒音たるや凄まじい物で、その瞬間は少なくとも日常生活を犠牲にせざるを得ないものだった。耐えられずにすぐさま転居した。最近その辺りへ時々立ち寄るが、今やそんなことはほとんどないという実感がある。 定かなデーターを持ち合わせていないが、空港建設の際の騒音という問題、近未来の飛行機が自らが解決するのではないだろうか。

機体が大型化したり、飛ぶ距離が伸びたり・・・・・・前述の新聞記事を見てもハワイまで、ウェーキー島へ立ち寄らねば行けなかった。現在は7〜8時間で飛ぶ。ビジネスクラス・シートはフルフラット・・・・・座席を倒すとほとんどベッドになる。そのベッドにマッサージ機能がついていて、移動中からだをほぐせる・・・・・・まあそんな機能より「エコノミーのシートの間隔をもう少し広く取ってほしい」と願うのが、乗客の要望ではないだろうか?


宣伝部在籍中の仕事でパンナム航空と提携して、アテンダントが使用する「エプロン」と「機内食用食器」をノベルティーとしたキャンペーは好評を博した。確かに企画は時代を切り取っていたと自負している。まさにこの時代飛行機、まして機内食は大衆の夢の1シーンであった。

もう少し詳しく記すと機内食用の食器は、メラミン樹脂で作られたノリタケの製品だった。世界の翼パンナムも倒産、時代は変わったが、「機内食用食器」の方は今も変わりない。

その機内食もパスすることが多くなった。殊にハワイへの便は出発が遅いからその方がベストだ・・・・・搭乗前にビールでしばらくさよならの日本食。「少しでも早く、少しでも長く」眠りにつく体勢が明日からを快適にする。

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2-25) 読書

Dscn1383ハワイでの生活・・・・たっぷり人生を楽しむ時間がある。目の前のヨットハーバーは、金曜日の夕刻から週末セールを挙げてのヨットが行き交う。街中を走る車がサーフボードを乗せていたり、小型の船を引いて走る、こんな景色もごくごく普通だ。時間を何に使おうと個人の自由である。今朝もエレベーターで、我々同世代の男性が乗り合わせる。週末テニスに出かけるのに、厚い日本書籍を五六冊抱えている。おそらく友人たちに回すのか・・・・既に回ってきたものを返却するのか? 結構硬派の書物が多いのにも気ずく。日本では活字離れが進んでいく・・・・・本の売り上げが激減していて、出版社が軒並み苦戦を強いられている。「文化の成熟」といえばそれまでだが、「読み・書き」にかかわる文章離れは、この国の文化の未来を悲観的にさせる。ケータイで打つメール程度の文章力で、「思考力」が身に付くとはだれもが考えていないだろう。


ハワイで生活すると活字にうえることが多い。ワイフなどは日本から持ち込んだ書物はもちろん、日本語のフリーぺーパーは毎日欠かせない。生活の中で必然的に活字に接触する時間がふえる・・・・ということは現日本人より本をよく読むことになる・・・・書籍が少ないから読む方も探す。読んだら人に勧める・・・・日本の店頭に並ぶ本の数と同じだけハワイにあるとは限らないから、仲間同士の「読書社会」が構築される。


先般島で大学の同窓会が開かれた。呼びかけはラジオ日本語放送から・・・・幹事K君のご努力の賜物だが・・・・・この会合での会話のほとんどは、「本による知識」のお披露目の会といってもよいほどのもの、文学部の「ゼミ」様相であった。質の高い同窓会でしょう。自慢しておきましょう。
解散後は話にでた本を借り受けるために、わざわざ持ち主の友人宅にもたち寄った。

娯楽や刺激が少ないという事情もあろう。 とにかくよく読んでいること・・・しかも真剣に読んでいることに目を見張る・・・・麻生総理のいう漫画本はそんなに見受けない。歴史小説や実録などなど、好きが嵩じた専門知識の蘊蓄や、さらには博識・博学者が多いのにいまさら驚く。私など日本人が生半可な意識で話に加わると、恥をかくことになる。

美容師のMさんと日本の政治の話に・・・こちらでは日本人よりずーつと詳しい。同窓会でも感じた「読書の話」と共通項があるようにおもえる。非常に少ない情報をかき集めて「精緻」に読む・聴く。渦中にいないから尾ひれはそぎ落とされる。迷いがなくて全て吸収できるのだろう。
情報への飢餓感が集中力を高める。「適塾」で貴重な医学書と取り組んだ当時の塾生の方が、熱心で寸分漏らさぬように吸収したのに似ている。要するに緊張感が違うのだろう。


 
Dscn1592

何のことはない、恵まれた社会は贅沢の階段を一つあがるごと、自らの豊かさを放棄して成り立っていることに島にいて気ずく。要するに日本との比較で「モノ」の満ちあふれない生活環境が、読書に関わる時間を増やす。読書に限らぬ、趣味を通じて人を豊かにしている。

「仕事に明け暮れる」日本人何のために生きてきたのかを問われているように感じる・・

もちろん人それぞれであることはお断りしておく。

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2-24) 結婚式

マジックアイランド(公園)を散歩、ここでの結婚式が目だつようになって来た。二人がサンセットをバックに記念撮影をしている。記念日が「日没でもいいの?」と感じる。公園でよくある結婚式、子供達や親族10数名、ローカルの再婚組と見たが・・・・記念写真の2人、花嫁さんはハワイのお祝衣裳に、なぜかベースボールキャッブ、その上にベールをつけている・・・・横で見ると珍奇だが、晴れ姿気合いをいれ過ぎたのか、なんでもありだ。とにかく「コングラチレーション !!」

353ハワイの教会で式を挙げる日本人は多い。彼等がクリスチャンかというととんでもない。信仰に関しては神仏渾然、信仰対象など無いというのが本当のところ・・・・一神教が激突する世界にあって日本ほど多神教的寛容差のある社会は無い。
そんな日本人もその割には式の場所にこだわる。 大富豪マイクロソフトのビルゲイツ氏は、カウアイ島のゴルフ場のグリーンで式を挙げた。 日本からデンワがかかる。「由緒あるカワイアハオ教会で式を挙げたいが取れない。何とかならぬか」という無理なお申し出。現地での協力で何とか・・・・ハワイ王朝ゆかりの大聖堂・カメハメハ家の菩提寺というより、高知/高島ご両人が式おあげた所・・・・の方がよく通じる。
折角の苦労にも幸せも長くは続かず1年したら離婚、神仏のご加護ははじめから期待していなかった。というお話のよう。


Dscn1480ハワイ島ワイコロアに滞在中、島のリゾートホテルで・・・・ワイフと散歩の途中、式に向かうお二人に出会う。道を譲って 「 おめでとう 」 と声をかけたばかりに・・・・「お差し支えが無ければ式に」と乞われれる。休暇中の身時間はたっぷりとある。 太平洋に突き出した岬の海が望める場所に、小さな教会風建物が建つ。本当の教会というよりは結婚式などを挙げる施設に近い感じがする。式は新郎新婦と来賓は誰もいなくて私たちだけ、牧師と立会人のたった5人の式典・・・・退席もできずに仕方なく最後まで付き合う。その後のお二人がどうなったかは知るよしも無いが、この日の情景を心にとどめておられたら、地道に幸せな家庭を築かれているはずだ。・・・・信じたい。そうでないと立会人徒労に終わる。


Dscn1598先ほどのローカルの再婚組がサンセットを眺めている。 ハワイもホノルルに居る限り、日の出は山脈の陰になる。どうしてもサンセットを眺めることになる。
カートパスに座って西の海に陽が沈むのを追いかける。陽の温もりが残っていてお尻は温かい。目の前180度の視界に広がる海、大平洋を渡って来た波が静かに寄せ返す。サンセットクルーズに出ている船も、拝むように西を向いている。

公園を通り抜けての帰路コンドの上薄暮の空に、大きな白い月がでている。
「東の・・・・」陽と月の情景を歌った万葉集、これを愛でる瞬間は地球何処にいても同じようだ・・・

Yacht ClubのBarへ立ち寄る。海に面したデッキはさすが少し涼しく人陰がない。店内に席を移す。3ケ所あるテレビが、アメリカズカップの予選を放映している。騒々しい・・・・早々と席を立つ。すっかり暮れ落ちた空にこうこうと満月が懸かっている。冬の満月、この方も日本人が実感している凍るような冷たさの中の、冴え冴えとしたものとは違う。常夏の空に 「蜜月」余韻があたりに漂っている。


散歩は贅沢・・・・お金のない時代1$が¥360ではアロハタワーからワイキキまで、約1時間半歩いたと・・・古い新聞記事が残っている。

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2-23) 視線

649 アラモアナホテルを日本企業が売却・・・・・リニュアルされて「コンドテル」という新しい業態で運営される。もともとホテルとして使用されていたものを、コンドミニアムに変更するためには、膨大な投資と法規制があって、さすがに難しい様子・・・・

アラモアナ・コンドテルの説明を聞く。 17階モデルルームを兼ねたオフイスのからの眺望は素晴らしい。Studio Tipが基本でキッチンは付かない。価格は$2680〜$3500 ほかに$5000まである。円換算して3000万〜5000万というところ・・・・ 万一オーナーとなったとして、コンドとしての使用は180日を限度として自由に使える。使わないときは「ホテルシステム」という管理会社と契約ホテルとしての運用をはかる。この際の運用益は管理会社と半切する。ホテルグループとしてアウトリーガーも名を連ねていて、部屋をレンタルする魅力の創造には万全を期している。  
一種の金融商品といえるがハワイの不動産は高どまりしている。現時点で購入してキャピタルゲインは当面期待できない。今後アメリカの金利次第だが幾らで回るのかがポイントとなる。少なくとも自分が使いたい時、自由に使えるということでタイムシェーアの物件よりは魅力はある。

企業側としても妙味がある。日本企業からホテルを丸ごと買い取ったのだから、半端な投資ではない。少なくともホテルへの投資は、回収に80年100年かかってといわれてきた。権利を小口に分けて売却することで、投資資金は短期で回収できる。
昨日の時点で2/3は契約済とか。順調に資金の回収が進んでいると見るべきだ。
この「視線」を変えた投資は、世界中いたるところで行われており、21世紀は過去になかったスピードで建物が建つ。「パンドラの箱」を開けた時代の到来か。


夜、雷雨・・・日本ならばこれで梅雨があける・・・・もう一つ「視線」のはなし。

17階の海が望める場所にショールームがある。経験的にいってここからの眺望が一番すばらしいということか。もう1つ孫娘が懸かったアラモアナの小児科も同階・・・・待合室から見える景色も、真下ヨッピングセンターの屋根が景観を損ねているが、遠くの海へ魅力のある景色が広がっている。

新生児の時代からハワイで生活していて、この小児科には世話になることもあった。すべて予約制時間に合わせて診療に行くと、通常待合室待つということになるが・・・・先生のための診療室は無い・・・・すぐさま個室に通される。この部屋の意匠がそれぞれ子供が喜ぶキャラクターで飾られている 。シンデレラのカボチャの馬車で遊ぶ・・・・・ こんな個室が数カ所、患者ははじめから隔離されていて、診察前の患者同士が接触することはあり得ない。・・・・しばらくすると先生がこの個室へ巡回してくる。カボチャの馬車の中で診察が始まる。日本との診療形態の違い・・・・孫娘は「私ハワイのS先生の病院の方が好き・・・・」とはっきり。
歯医者へ行く、待合室で子供には柄のついたキャンディをくれる。「虫歯にあめ玉」日本人には馴染めぬ習慣が、「どうしました・・・・ 口を開けて・・・・」と診察は今までなめていたキャンデイの柄で口を開けさせる。金属のヘラで口を開けさせる恐怖感は生じない。 病院を好きになってもらっても困るが、病院嫌いをつくらない見事な工夫はもっと真似てよい。

われわれがかかるY先生の診療所もアラモアナのビルの20階・・・・・バイアグラ、睡眠薬などのTVのコマーシャルが飛び交うアメリカで、「かぜ」をこじらせたワイフが点滴してほしいとお願いしたら、ゲーターレイド(栄養飲料)を飲むことをすすめられる。くすりは処方箋をもらってドラッグストアーへ出向くことになるのだが、ほとんど軽医療という症状にくすりは出さない。

税理士T先生は23階・・・・・顧問弁護士H先生18階、オフイスが海から離れた立地だから、なだらかな山側に張り付いた住宅群が一望できる。いずれにしろ高層のコンドやオフイスビルでは、この辺の階層の景色が売りであること間違いない。

絵を描く時・・・視線(最近は目線という人も増えた)をどこに置くかは、大変重要な意味を持つ。用紙の中心に視線を置いたとする・・・・この場合は上下の真ん中の焦点があることで、これより上も下もほぼ同量の景色が描ける。意識して上に置いたら上の景色は少なくて、下の書き込む面積がひろがる。
    
こんな持って回った言い方などせずとも「カメラ」。カメラの焦点はいつも写したい対象の中心にある。17階で真正面を真正直に写したら、空も海も全貌はとらえきれずに、確実につまらない写真が事実として残る。


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17階での眺望がすばらしいと感じるのは、180度広がる海を「俯瞰して」いることになる。覗き込むような視線の先には、空への意識はほとんどない。もっと高い30〜40階の部屋も見たことがあるが、この方は覗き込まない限りほとんど空しか見えない。
    

拙宅はコンドミニアムの6階、もう少し高い層が望ましいと時々感じる。椅子にすわったまま本を読むのに飽いた時など、ぼんやり窓外に目をやる。作為的なことは一切意識しない視線に海も空も同質で迫ってくる。ネバーアイランドへ向かう飛行機が上昇途中の傾きを見せて飛ぶ。係留中のヨツトのマストが乱立する向こう岬の鼻先、パームツリーの茂みの間に太平洋を渡りついた波が白い吐息とともにここで休む・・・・・

作為的でない日常のような視線が一番やさしいように思える。

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2-22) ノクターン

003南の島でのデパートには思い出がある。
今でこそハワイで長逗留するが、若い頃は時間もお金も潤沢でなかったから、ハワイは「遠い夢の島」だった。その埋め合わせが香港だった。埋め合わせ? 2番目かというと、とんでもない。2〜3日休暇が取れれば香港へ通った。その頃は現地でビジネスクラスの航空券を買っていて、随時飛び立てる準備がしてあった。訪問も100回は下らないだろう。

'97返還前の10年間はクリスマスを現地で過ごすのが習慣になっていた。会社や仕事仲間も容認してくれていた。当時イギリスが統治していたから、西洋のお祭りクリスマスは大変賑わう。ことに街中のビルを飾るイルミネーションが、「Marry Charistmas」。そしてひと夜明けると、総ての飾りが「Happy New Year」に変わる。このイルミネーションを走る車中から見るとき、街中が花火の様相だった。

現地のレストラン・・・ミシュランの評価より「この店が世界一」だ。未だ凌ぐ店にはお目にかからない。店の名前は中国文字でパソコンでは書けない。とにかく通称「えびや」で通じた。ここでの恒例の忘年会、最初は参加者は数人の仲間たちで始まった。参加者が増えて、お世話をしたこともあったが・・・・後は現地集合・会費¥5000。中華料理の山海の珍味をたべる・・・「高くて美味しい」は当たり前という、うるさい関西人が随時・・・30名が集まった年もあった。忘れられない思い出話の一つだ。返還後この店を尋ね歩いたがとうとう消息不明・・・・「ハワイ夢のまにまに」にたびたび香港が登場する由縁だ。

香港が南の島というと異論があるが、間違いなくハワイと同緯度の半島と島だ・・・・
最初は香港の「レーン・クロフォード」・・・香港島のフエリーターミナルから、上環(Sheung wan)の雑踏を掻き分け通り抜けて、山側クイーンズ通り西側にあった。特徴は英国そのもの、欧州系ブランド品などが揃っていて、垢抜けた商品構成が評判だった。ダンヒルやアクアスキュータムやイタリア製の靴などここで買い求めた。往時は日本のデパートの進出も無く、まして混沌とした香港、どちらかというとアジアの濃密な空気の充満する中で、ここの店内は空気から違った。
中低層の店内3階に香港では珍しく陽が差し込む一郭があって、いかにもヨーロッパ風のデリカテッセンと併設されたカフェテリアがあった。「物販」は目の保養にはなっても手のでる価格帶で無かったから、このカフェテラスは街歩きに疲れたときの恰好の「止まり木」だった。この時代の「食べ歩き」と「見聞」は後々いろいろな場面で話題と人間関係を豊かなものにする。
仕事上で関東の某企業の若社長と、ひょんなことで「レーン・クロフォード」の話題が出る。これがきっかけでその後急速に親交が深まり、後後の大商談につながったこともある。香港様様・・・・横道にそれた・・・・

わたしたちがハワイに居を構えたのは1997年、これも偶然香港が中国に返還された年だ。香港への思い入れを断ちきった時やも知れぬ。宗旨替えを「わるい女と手を切った」趣味の良くない冗談を飛ばしたこと・・・いまも相変わらず未練断ち切れずにちょこちょこ足を運ぶのも「女性関係」に似ている。しかしこの方はワイフ同行が多いから・・・・


ハワイ、その頃アラモアナのデパート群はSear's ・ JCペニー・リバティハウスの3店、しかもリバティが一番近くで行き易かったこともあるが、この店だけがメインランドのビッグストアーと少し趣を異にしていた。最初の出会いはグァム店だった。明るい日射しの差し込む低層、時間に追われて見回る要もなく、「癒しの時」がゆっくりと流れていた。この方はいかにも「島のデパート」という感じがしてすぐに好きになった。
   
ハワイの店もローカルの雰囲気が心地よかった。そういえば「The GAZEBO」というカフェテリアがあった。香港のレーン・クロフォードを彷佛させた。チーズや生ハムやパテ、総菜などテークアウトのできる食材も、デリカテッセンと呼ぶに相応しいものを揃えていた。土曜日の昼下がりはピアノ音が・・・・・エスカレーターの吹き抜けを通して・・・・静かに、時に、強い音が・・・・響く。
すぐに「お気に入りの場所」に、マツキントッシュならハートマークをクリックして登録というところだ。

126ハワイで生活するようになった当時は、今ほどパシフイックリムやハワイクィジーンの有名店もなく、ここが恰好の食事場所だった。白とグリーンのチェツカー・フラッグをイメージした席から・・・最上階の天窓から常夏の青い空が広がっているのが見えた・・・・この席もよく使った。後にこの場所はなくなったがダウンタウン店に名前だけが残っている。そこを見る度に私自身が過ごした日々が、既にハワイの歴史の中の一コマになっているという感慨に浸る。

2001年6月19日、メイシーズの親会社であるフェデレーティッド・デパートメント・ストアーズ・インクは、ハワイ最大の小売店であるリバティハウスの買収契約に同意したことを発表した。これにより、ハワイの小売店業界が新しい時代を迎えることとなった。この契約は7月の半ばには完了する見込みで、これにはハワイの11店舗のデパート、7店舗のリゾートショップや各種専門店、そしてグアムのデパート1店舗が含まれる。リバティハウスは今後メイシーズのウエスト・ディビジョンに属し、完全にメイシーズの名前を受け継ぐことになる。(記事より)

02年すっかりMacy’sに名をかえた。階上からピアノの音がもれる。地下にいても音が聞こえるほど力強い。LEBATY HAOUSが売却されたが、週末の習慣は踏襲はされているようだ。ビアニストの弾む心まで伝わるようでほっとする。隣接するレストラン「パイナップル」は昼間の食事客で賑あう。

ノクターン、ピアノ音はいかにもハワイの明るさを感じさせ、屈託のない午後の時間が店内に流れる。



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2-21) 体調を崩す

かぜは強いが相変わらずお天気はよい。投薬を止める・・・・寝ていても熟睡できぬまま、いろんなことに思いがぐるぐる巡る。人生の総括という大仰なことではないが・・・・くすりを飲もう。食事をしよう。風呂に入ろう・・・・この日常の些細なことに「やろうとしてから時間がかかる」心に引っ掛かりがあってこれを解決しない限り、出口のない思考が、うつつの中でエンドレスで意味なくくり返される。そう一昨日眠れぬ夜はこの妄想に悩まされ続けて夜があける。

決断にそう狂いはない・・・・若い頃「部長はいつでも良いと仕事を依頼しても、すぐしとかないとだめょ」というのが女子社員のあいだでも通説だった。手の内を読まれていた。どんないいことも決めても、着手するまでに時間がかかるのはよくない。ましてやらなかったたら云うに及ばずだ。成果主義が薄い役所などは最たるものだ。
妙手を考えてやるのに時間がかかる・・・・・熱にうなされて朦朧として夢の中とはいえ、案外自分の本質をえぐりだしたかもしれぬと、病との挟間でまたまた落ち込む。後は「来し方行く末」意味ない妄想が出口のないまま延々と続く・・・・・

誰だって海外生活での疾病には不安がある。「最悪半日あれば日本に帰れる」というのがこの島でロングスティを決めたときの覚悟だ。10年以上滞在したから、必ずしも体調万全ばかりではなかった。

3244月初めまでハワイにいて帰国、5月の連休に友人に誘われてトンボ帰り・・・現在のように高齢者に対するインフルエンザの予防接種も普及していなかった。ハワイでワイフがダウン・・・・結局日本から持って来てハワイで発症した。初めて医師に罹った。Y医師中国系、日本の医大の出身者、診察の言葉にさして不自由はない。所見は間違いなくインフルエンザ(後で隔離されることもあると聞いた)・・・・処方せんをもらってドラッグストアーへ・・・・ワイフは日本人によくある病院好き・・・要するに神経質で用心深い・・・本当に憔悴しきっていた。「先生点滴注射をお願いします」日本ならさしずめ医師に伝えるはずだ・・・Y先生は栄養ドリンク「ゲーターレイド」を飲んで、できるだけ休んで下さいと取り合わぬ。

薬局で調剤薬を処方してもらって帰宅・・・巻頭にも書いたように病魔と闘う間の神経は正常ではない。不安にも掻き立てられる・・・ハワイで初めて処方された薬が間違っていたわけではない。今度はベットからも立ち上がれぬことになった。投与量が日本人と外国人とでは違ったようだ。「日本に帰りたい・日本に帰りたい」とうなされて叫び続けた。
「お年ですから・・・ご安静に・・・」がY先生の決まり文句・・・・友人との島への旅行はお断りするとして、落ち合う場所が空港到着ロビー、携帯デンワの持ち合わせもなく、このときの難儀は今も思い出すと心が痛む。

息子・娘たちから電話が来て「インフルエンザ・・・日本のように寒暖の差が大きい国へ無理して戻ってくることなどない」ときついお達し。ワイフも連れ合いの言には逆らっても子供たちの言葉に弱い。結局ハワイで全快した。


かかった費用はカードで処理されて、確か保険の手続きをして処理したはずだ。外国での高額医療に苦い思いをした記憶はない。海外では保険をかけてきたとしても、治療費はひとまず自分が清算する・・・・帰国後必要書類を保険会社に提出して処理される。
日本の健康保険が破たん寸前だ。診療費を一旦自分で精算する方法は、日本の医療保険の問題点・・・患者が治療費の負担額しか支払わない・・・を改善でき方法だと教えてくれる。
「不安というストレス」は未経験が思いを増幅する。日系人はもちろん日本人に対する診療環境は確立されている。この一件で病気に対する「不安」に免疫ができた。幸い我々夫婦が医師に罹ったというのもそのときがただ一度の経験だ。


孫娘が熱を出した。幼児の病変は急変するからと心配して アラモアナセンターの小児科 S医院へ、予約の電話を入れる。受付で名乗るとディズニー・アンパンマンン等のキャラクターの部屋が数室 、その一つの個室に通される。確か 消防自動車の形をしたベッドで座って待つ。S先生が入ってきて診察が始まる。日本のような先生がおられる診察室はない。患者が待つ個室が診察室だ。患者同士が込み合った待合室でという心配はない。
「軽いかぜ」と診断された。日本からもかぜのシロップを持ってきている。処方は「カフシロップ」ロングス(薬局)でもらう。くすりを嫌って飲まない。なまじ理解力があるだけに難しい。結局くすりを飲ますのに苦労する。この子は幼児期「くすりを飲まない子はお注射しますよ」と先生に脅かされたら「注射の方がいいもん」とうそぶいた。しかしハワイのお医者様は「大好き・・・・」

掛かり付けといわずとも万一を考えたら現地医師に、コンタクトできたことは結果的によかった。本人はさんざん泣いた。耳からの熱もあるので調べた。耳の掃除は驚くほどの「耳あか」すっとしたと思うが泣くのも当然か?

人間、通称「かぜ」という諸症状に年間数度は罹るそうだ。免疫力の低下時に罹るのだろう。ハワイでもこの「かぜ」の諸症状が流行るときがある。最初は来島者が持ち込むだろうか? それにしても気候温暖、湿度もそこそこ高く、近隣には全く大陸はない・・・・人口密度は日本の比ではないだろう・・・・海に囲まれた小さな島・・・・たえず強い風が島を吹き抜ける・・・・海水は汚染されていてもここの空気は、絶対に汚染されていないと頑固なほど信じている。この地でなぜ感染症がまん延する可能性があるのか・・・・私の医療知識では理解できぬ。


今年来島来どうも鼻とのどの調子がおかしい。ハワイに滞在していて稀にこの状況なる。鼻とのど以外、熱も無く抗生剤を飲むほどのではない。先週娘夫婦に孫がきた。
みんな咳とくしゃみ・・・お互いが「感染症」のキャッチボールを繰り返したためだと決めていた。彼等が帰国して数日が経つ。日本に帰った彼等は疲れもとれて快調だそうだ。ハワイ組の夫婦二人が相変わらず・・・・・体調が十分でないと気力も萎える。


296人生案外嘘みたいなことが起こる。上記を記した日。昼遅くワイキキへ・・・ワイキキ・カラカウアをを東から歩く。ABCストアーで日本人従業員と出会う・・・「マスクは扱っていませんか」「Woow 外国人ならマスクをした人を見たら、遠巻きにして避けられますょ・・・・でも日本人なら大丈夫」・・・・「シロキヤさんに売っています」と親切なアドバイス。ついでに問う。「それはそうとハワイで悪いかぜがはやっていませんか? 鼻とのどに不快感のある・・・」「えーっ・・・それはハワイ島からの火山灰・・・今年1月は大変でした。2月になってやっと落ち着きました・・・大勢が病院で治療を受けました。私の主治医も火山灰で休診しました。医者がですょ」ジョークが入る。日本語のイントーネーションは沖縄の人だ「アレルギーのある人はもう大変・・・目・鼻・のど等はよく洗って・・・外出を慎むように」と島民には広報がありました。理由は分かった。「ハワイにいる限り治りそうにない・・・覚悟を決めた」

ワイフがシロキヤでマスクを買ってきた。日本製だ。一袋に2枚入っている。1枚を自分が使ってもう1枚をわたしのすすめる。普段はワイフと二人の生活、マスクを必要としているような環境にあるとは思えない・・・ヒョツトして外部と無秩序に綱がっているものがあるとすればインターネットだ・・・・「ウイルス」絡みの悪い冗談が浮かぶ。
二人してマスクをしてアラモアナを歩く・・・・前方から近づいてくる外国人・・・・・見事といえるほど数メーター先でわれわれを避ける。

ラジオの日本語放送・・・アナウサー仲間が「かぜ」で大変だとしゃべっている。一人はインフルエンザで隔離されたと・・・・黙ってマスクをかける。この局のに視聴者参加番組がある。分からないことを問うと誰かが答えてくれる。
「かぜ」がこの島でどうしてはやるのでしょう。「どなたかお教え頂けませんか?・・・・」


ワイフが昨日から電話帳を熱心に見ていた。医者欄が折ってある。自分で行動することはできない。こうなると思い詰めるタイプ、だんだん自分で調子を崩す。若い頃母親が逝った。トラウマになっている。不安が病気を作る。結局最後まで調子が戻らず医師にかかることになる。上気道感染と血圧の上昇(190〜170)とんでもない数字だが、こちらも慌てていて言葉をつなぐことができぬままだ。日本製かぜ薬の連用によるカフェインのとり過ぎと診断される。くすりは決められた範囲で使用効果がないときは中止すること・・・かぜをこじらせたというところか?

アトキンソン通りは山からの風が吹き抜ける。それが高層のホテルとコンドミニアムに当たって、ビル風として勢いを増す・・・この日もこの風に気力の萎えた彼女、数メートル吹き飛ばされる。

ワイフの気を落ち着かせる工夫はないか?
結局、Y先生に再診の予約を入れてワイキキの診療所へ、血圧(140)と体温を再度測る。日本へ帰るまでどうしても、血圧が高いときの処置として血圧降下剤を処方を・・・ハワイでの安心料だ・・・診察料は$120に決まっているようだ。日本とほぼ同じ程度でないか? 日本から常用している薬は継続して飲んだらよろしい。女性と高齢などいろいろ説明を受ける。何より医師の診察が彼女には特効薬と思える。少しは気が落ち着いたようだ。

328
昼をワイキキアウトリーガのテラス・「デューク」で・・・・モアナサーフライダーの「バニアンバー」、ロイヤルハワイアンの「マイタイバー」、いづれの席に座っても、これはもう海と空を舞台にした劇場だ。演題はワイキキの海と空、ここの陽光はアラモアナとも違う。まぶしい日差し打ち寄せる波が光を跳ね返してキラキラ踊る。目の前ビーチは裸の男女がくつろぐ。ホテル群が屏風のように取り囲んで風を遮る。山側の冬場の空を見せない演出もさすが一級の保養地だ・・・ここに身を置くだけで気分が解き放たれる。ワイフと二人ゆつくりと昼食で過ごす。食事前からビーチで体を焼いている若い娘二人、何度もオイルを体に塗っていたが、我々が席を立つ頃にはいい色に仕上がっている。
ここ数週間の「鬱としい体調」から解放される予感が湧いてくる。万一ここでくたばったとしても文句はいうまい。

息子にこの話を電話で伝える・・・「旅行者にはハワイといえばワイキキしかない」というのが息子の持論だ。「毎日ワイキキへ行くように・・・・」少し安心した声が受話器から聞こえる。


326この年、帰国後しばらくしたらメキシコから新インフルエンザの話。素人のわれわれには、ウイルス・・・・なにが新でどれが旧かも分りにくいし、メキシコの何処が発生源で? なにが媒介したのか確定できずに、目に見えぬものを水際で防ごうという対策も意気は良しとして、日本が無菌いられることヘの期待はあまり持たないでいます。そしてハワイからの帰国者に罹患者がでる事態が起こる。

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2-20) 以心伝心 

目の前にガラスコップと水道の蛇口がある。

「くすりを飲むためにお水をください」は拒否される。紙コップを25cで買い求める。さらに「コップに水を下さい」これも拒否される・・・店内に設置されたベンダーで$1.50で水を買う。YMCAの売店ではこんな対応が普通だ。昨日の早朝、スターバツクスで同じお願いをした。「サンキュー」というと「ユアーウエルカム」快く対応してくれた。ハワイでもいろいろな対応がある。

「日本なら相手がよほどでないかぎり協力してくれる」との予想は見事に外れる。どこまでがーサービスでどこまでがサービスでないのか・・・・問われると、この境界線が非常に曖昧でむづかしい。
会社では来客によって対応が変わる。お茶を出す・・・時にはコーヒーを取る。当然通す応接室も一定のルールが決められているようだ。そもそもこのルールが曖昧だと応対に出る社員が困る。

社長秘書に「あんじようしときや!!」の一言・・・便利で微妙な上方語だ。標準語にすれば「顧客と会社の距離を測って、的確に応対の準備をせよ」ということになろうか?、これができるのが秘書君の資質やといわれた。以心伝心は限りなく難しい・・・・でこれを規則で決めている企業があると話を聞いた。お得意さまのランク分けだ。こんなものが社外に流出でもしたら騒動になること間違いない。

宣伝部をあづかってきた私は来客が多くて、受付やアシスタントを困らせた。一切の応対を不要ということにした。もちろん連絡はアシスタントに入れるとして、必要だと社外応接と称して客と「喫茶店」へ席を移すこともしばしば・・・・臨機応変で彼女たちに迷惑をかけないシステムだと、自画自賛していた。

「お茶汲み」が女子社員の仕事ではない・・・・という空気もまだないおおらかな時代でもあった。朝の就業前お茶を出してくれる・・・・「マイ・コップ」が湯沸かし場を占領していた。ベテラン社員なら器用にこれを識別した。新入社員はどれが誰のものなのか?分からない。分かるようになると仕事にも慣れてきたという証拠やった。

これにはさすがに宣伝部の責任者として抵抗があった。自分達のフローアーにお茶を湧かす簡単な設備をおいた。「自分で飲む」を当然のことにした。この設置に一番反対したのも企業側の総務部だった。後々各階に冷水機まで設置された。小さな改革も抵抗から始まるのは、民間企業も同じだ。今ならかっこの悪い逸話だ。

時代はスピードを上げる。社内の会議にはお茶は出さない。若い人たちのボトルを持ち込みが始まった。なにを隠そう私自身、中国人の習慣を垣間みるようで最初は奇異に感じた。いま会議の質によってボトル飲料が準備されることが普通になった。 国際会議でもミネラルウオーターが置かれている。合理的習慣が定着したと見るべきなのか?

話は変わるが通勤の車内でもボトルでお茶を飲む。遠距離を走る車内での弁当や飲み物は許されていたから、通勤車輛はダメということもない。が近距離少し辛抱すれば事足りる。人前での飲食「辛抱の欠如」と「恥じらいの欠落」が習慣を変えている。風俗の革新は「カッコ良さ」から始まるともいはれる。公共交通の車内での飲食、外国風とおもはれているらしいが、ハワイでのバスはこれを禁止したお願いがポスターで車中に貼られている。


「サービスを人に頼る」「奉仕に限りなく近いサービス」の曖昧性・・・・「サービスは有料だ」というこちらのルール、これも慣れればさっぱりしている。

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2-19) 歩く軌道

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出かけようとしたら××亭主Mさんにバツタリ・・・・ ゴルフへのお出かけとか。 人生時々こんな出会いを経験する。 付いてきているのではと疑うほどあちこちで出逢う。ハワイでは以前キムさん、不思議といたるところでばったり。こんなこともあった。「さようなら」と挨拶をして・・・移動した次の場所でまた出会う・・・地球を同じ歩幅で歩いている人がいたとしても不思議ではないが、余り出逢うと話題に困るし気味悪い。Mさんは「日本からの客人、大学の先生とご一緒だ」といっていた。立ち話の間に信号が変わって別れた。

反対につい近くにいながら余程でないとご無沙汰ばかりの人もいる。
*仲間のM君、休日の家族ずれでの神戸、同じ駐車場に車が止められている。お気に入りのバーで、お忍びのレディとの席等々、まあこんなのは生活圏と、ライフスタイルが共通していたから、当然だろうと納得する。
   
男と女を結び付ける目に見えぬ糸「赤い糸」というのがある。地球上でたった1人の伴侶と出逢うのだから、ミステリアスが存在すると考えるのは当然だ。しかし「赤い糸」が届く範囲は300㍍、この範囲でお互い男女が、ひょんなことで生涯の相手を見つけるというのだ。遠隔恋愛というのがある。はじめから遠く離れていたわけでは無い。ある時期至近といえる300㍍内にいてそこで芽生え育んだものだ。
「赤い糸」のミステリーは近くにいて、よく出逢うことがあった関係だというと身もふたも無い。
   
前記のM君と久しぶりに会って歓談。酒が入っているとはいえ・・・・その話の中でわれわれ平均的な友人が、余り恵まれたことも無く、まじめに境遇と悪戦苦闘していることを話題にしたら「あなたの友人達は変わった人たちばかり」とからかわれた。今も現役トップを勤める彼、一般社員の退職後の平均的な生活感は、及びもつかぬ様子だ。・・・・
「なにいってるねん!! 今の君のおつきあいの人たち、「柄が悪くて、尊大で、何より偉くなると離婚して若い嫁さんをもらう?」酒がまずくなる。さすがに言葉は飲み込んだ。

「政治家の談」が時に国民感覚と乖離し過ぎているとを感じることも多い?「お上」が庶民の生活を覗き見できたとしても、「生活感」に身を染めるほど理解できたとは思えない。
彼が上り詰めて大企業のトップになったら、すっかり地球を回る基軸が変わったのか、逆に出逢うことも無くなった。


「エーイ・・・下司の勘ぐり」とついでにいう。総理大臣がホテルのバーへ「今週何度行った」と記事を書いた記者がいる。総理の生活レベルを、嫉妬するような記事の配信も情けない。政治家が政治の場での挙手を非難されるのならいざ知らず、私生活に手を突っ込んだゴシップまがいの報道を、一流新聞がわざわざ記事にするほどのことは無い。イチロー君「野球以外のことはタブーだ」という姿勢はシンプルで当然の主張だ。
環境が違えばお互いを理解しあうことなど困難だが、メディア側の「知的尺度」を高めてほしい。

  
狭いハワイでの話ではない。日本にいても不思議な経験は何回かある。通勤帯での定時の顔ぶれなどは毎度のことでこれは例外とする。

中学校の友人のK君、当時特別に親しかったわけでは無い。なぜか乗ったことのない郊外バス、今思い起こしても只の一度、それ以降利用していない。そのバスで彼は河川敷のゴルフ場へ行く途中だった。
府立高校はお互い別々で・・・ 大学でまた同窓になる。

不思議な邂逅は続く。 旅行でNY五番街を1人でうろついていた。「五番街で日本語が響き渡る・・・・」反対側通路から大声で名を呼ばれた。
ニュージャージの自宅にも招かれた。若かった日の夫婦と2人の子供達・・・異境での肩寄せあっての生活は「家族の絆」を強烈に感じさせた。端で見ていて、NYでのK君達の生活は、輝いていたし羨む「刻」にいた。

「あれから何度もNYに行きました。最近はついこの間・・・・」と私。
「家内が昔暮らした時の思いが強くて・・・・思い出が潰れると・・・」K君が
そうだろう・・・・マンハッタンへ送り届けてくれた彼の車の中で、なぜか瞼が熱くなって別れた日が甦る・・・・私の海外生活志向はこの時の体験があると思う。


彼はNYの商社で働いていた。ここまでいうと神様のイタヅラとしか思えない。文章にすると作っているように思うが、現実の人生の方がもっと作為的だ。彼とは同年どうも地球の歩き方が同じように感じる。逢える頻度だけではない「縁」を感じるという意外ない。さらに後談がある。彼はオーストラリアへ移住・・・ 年に一度ビザの更新で 日本に戻る。08年久しぶりに逢って旧友を暖める。乗っている自動車がJaguar、使っているゴルフ道具がキャロウェイX-14、相談したわけでないのに妙に一緒なのだ・・・・その道具で球が飛ばなくなった愚痴まで同じ・・・・・
   
114_5もうひとり大学の同級生、学部では女子が2人しかいなかったから、近くの学部の女子学生だったように思う。当時は何度かおしゃべりした。名前も知っていたはずだ。その頃は快活で普通の学生をしていた。しかしもともと印象の薄い人だ。今では名前もすっかり欠落している。
この人とは大都会の人混みで申し合わせたように出会う。「あれー又」・・・そしていつも独りだ。失礼だが幸せでない人生をかいま見るように感じる。会う都度年もとるし侘びしそうな様子は増した。ついつい無視せざるをえなくなった。

さるデパートで突然のっぴきならぬほどの間近で出逢った。一瞬お互い顔を見合わせた。お互いを確認しながら学生時代のように華やいだ声にならなかった。そのまま逃げるように去った。先方の気持までは汲むことができぬがそれが最後だった・・・この星もその時以来軌道をはずれた。

ところがである・・・・この文章をしたためて2〜3ヶ月後、わたしがターミナルの銀行を出たところで、ぶつかるばかりに出会った。友達と二人ずれで颯爽という風だけが辺りに残った。

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2-18) 果物

アラモアナ・ショッビングセンターの植え込みにバナナがたわわ・・・南国 パパイヤ・マンゴ・バナナはだいたい庭に植えられる。数年経つと自家用はこれでまかなえると。果物が美味しいことは言い尽くされている。オレンジはアメリカ全土で・・・・アメリカ人が一番愛する果物の一つやも知れない。
古い話ドルが360円の時代、アメリカでオレンジジュースを飲んだ。生のオレンジを二つの切って、これを手動の絞り機で果汁をしぼってくれる。コップ一杯の果汁に何個ものオレンジが無造作に潰される。オレンジが放つ芳香と目の前の贅沢な景色に「クラーッ」とする。


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ハワイはドール王国である。今日も春休みの娘夫婦が孫娘とドール・プランテーションへてかけている。孫娘が昨年は完走できなかった「迷路」にリベンジを誓ってでかけた。今ではアメリカ企業として世界に名を馳せているが、もともとはハワイでのパイナツプルの栽培が始まりだ。ドールはオアフ島の60エーカーの土地にパイナップル を栽培、「ハワイアン・パイナップル社」として法人化、成功をおさめる。中でもバナナ、パイナップルは世界でも指折りの販売量を誇っている。オアフ島では現在珍しい景色となった、パイナップル畑がプランテーションの周辺に広がる。


空港からアラモアナ・ブルバードを・・・・チャイナ・タウンの手前左にドールの加工工場があった。今もザ・バスはミニッツハイウェイを走ってきて、パシフィック・ストリートを左折して、元ドールカンパニーに立ち寄る。オフイスや工場跡はショッピングセンターに変身、確かその後閉店している。私の社の先先代の社長がハワイへ来たときこの工場に注目・・・立ち寄ってパイナップルの缶詰工程を見学した。缶詰のパイナツプルはドーナツの形をしている。「昔の貨幣」と呼んだ方がよく分かる。芯がくり抜かれて捨てられる。この部分を再利用して薬の原材料に使用した。・・・・と聞いた。いずれにしろ今でいうエコの先駆けではないか。

そのドールも果物やサトウキビの生産地を移している。鉱工業品や衣料品が海外で作られるのと同じ論理、人件費の安い東南アジアで果物もつくっているのだ。ハワイでは最早コストパフォーマンスが合わないのだ。

イチゴ・・・食文化を個人が評価して良いものか・・・当然好きや嫌いや・・・条件も加味して・・・・それでも独断をお許しいただこう。いちご・・・・ぺコちゃんの不二家はショートケーキが看板・・・由縁に毎日カリフォルニァから空輸しているとある。そう聞いただけで「おいしそう!!」ところがハワイで食べるいちごは「おいしーい」と評価できない。酸味が強くこの方は日本のものの方が甘くて数段上だ。
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「マンゴは食べない」・・・またまた香港での話・・料理の後で賽の目を入れた果肉たっぷりのマンゴがでる。数日くちびる周辺が赤く、熱っぽい・・・・強い陽射しの性だと・・・・マンゴはうるし科の果物だ。これを知ったのも後後・・・わたしは子供のころから「うるし」にかぶれる。何度も罹るが耐性はできないようだ。注意はしているが困るのは料理に使われた時だ。
ハワイへの機中ビジネスクラスの食事の隠し味にこれが使われていた。全身に湿疹が出た。塗りくすりだと衣料や布団を汚す。困って抗アレルギー剤を飲むと・・・睡魔と虚脱感に苛まれる・・・2週間以上うっとしい時を過ごす。


マンゴが「うるし科」だとは知らない人もおられる。某レストランで「マンゴを使う料理」の特集を組んだ時、調理場で被害者が出た。わたしの話しで難を逃れたという逸話まである。感謝された。
同じ名をもつ果物「マンゴ・スチン」濃紫色の堅い皮を割っての半透明の歯ごたえのある果肉、くだものの女王とも呼ばれるが間違いなければこれも同種だ。こちらは常夏の島ハワイではあまり見かけない。

ぶどうは年中ある。種類が多くてどれがどうかは食べてみるしかない。スーパーなどではビニールの裂け目からひとつぶ試食して買うのがローカルの習慣か?
    
319_2りんごの美味しさに改めて驚いている。時節は冬だからりんごの旬といえようか? しかしりんごはもともと少し寒いところでできるもの。ハワイは適地とはいえない。メインランド広いアメリカから来るのだろう。そういえばニューヨークのシンボルマークは「リンゴ」だ。大粒で日本のりんごに近い種類、これがカリカリとしていてジューシイ。日本でももぎたてはこれに近いが、最近は総じてやわらかくて歯ごたえの乏しいものが多い。それが滞在中いつ買いもとめでおいしい。しかも一つ1ドルというところで常に買いそろえてある。


日本の著名人が朝早くハワイに着いて、ホテルのチェックインを済ますや否や、オープンエァーのテーブルで大振りのパパイアを注文する。これがハワイ到着時の醍醐味だと書いている・・・・
パパイヤはとっておきの果物だ。何より日本ではほとんど食すること不可能に近い。高級果物店で見ることはある。価格は¥1000〜1500はするだろうか。フィリピンなどアジア産が多い。今年の正月、息子・娘家族が揃うので2玉用意した。寒い日本これがなかなか熟さず、結局は彼等に持ち帰らせた。

ハワイの冬、客人に合わせて買いそろえる。自家用ならなおさら3日先5日先と食べごろを見つくろって買う。決して冷蔵庫に入れない。ゴローンと台所の暖かい隅に転がしておく。黄色く熟れて食べごろがきたものから冷蔵庫で冷やす。
女性の「オッパイ」に似た形状・・・・二つの割って取り出す種の多さは「豊穣」のシンボルと呼ぶにふさわしい・・・・$2はしない。

レモンを搾ってかける。後はスプーンで果肉をすくい取る。上品な甘み「トロピカル」という言葉を一番知らせてくれる食べ物だ。

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2-17) アラモアナの春

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「Bottega」 という鞄のブランドメーカー。数年前皮革を編んで製品化を果たした・・・デザイン・企画力に目を見張るものがある。勢いは現在も続いている・・・ところがハンドバッグ・カバンで価格帯が30〜50万円。皮の編み込みはどうしてもカジュアル感が付きまとう。製品の特徴と価格帯が一致していないのが残念で・・・・商売として爆発しにくいのではと勝手に案じている。

もう一つ勢いのあるのがCOACH・・・・この方もアメリカを代表する皮革品メーカーだった。カバンは革が柔らかくて使用で傷がつく難があったが、いかにもCOACHというケレン味のなさが魅力で長らく愛用した。どちらかといえば男性用が主要品だった。これが女性中心に方向転換して、商品構成も多義にわたる。アウトレツト・ワイケレでも一番客を呼んでいる店の一つだ。アウトレットで人気があるというのは、それだけ商品の滞留がおこっていると考えられる。


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路線変更が成功したことは間違いない。しかし本当に成功したと判断するにはもう少し時期がいるのではないか? 過去のデーターがない新規事業は、対前年比があてはまらぬ。ゼロがたちまち某の売り上げになるから、つい行け行けドンドンになりはしないか? 今日店で衣料品群を見た。10年程度のデーターがそろった時点で、成長性が確認されなければならぬ。どん欲な事業展開、「マーチヤンダイジング」の輻湊が足を引っ張るような気がするが、心配し過ぎだろうか? 


 275_3日本企業が決算期お迎える。息子の企業も臨戦態勢を敷く。今月は休日を返上して働けと、「命令」して休日出勤させる・・・・と物騒なことを平気でいう。他人事ながら心配する。上司が賢ければ、具体的決算戦略を社員の総意で立案し、部下たちの自発的決起を促すのが最善策ではないか?

上司に必要な資質は仕事ができる能力ではない。「人格」と「品格」だ。「出てこい」と唯一肩書きに頼る強い命令は、かえって部下の士気をそぐ。それでも「進め!!」の進軍ラッパは、日本が先の戦いでの終盤と同じ玉砕しかない。無能上司に仕える社員はたまったものでわない。無能上司に逆らえぬだけかわいそうだ。

業種にもよるが、現況国内市場はどんどん縮小されていく。つまり品物は増えていくのに買う人は減ってしまう。「大きくなる」「成長する」というほか道はないのか。
今、わたしを含めて上司達が過ごした高度成長の時代、右肩上がりの中では少なくとも「がんばれ」が通用した。時代はすでに終焉を迎えている。幹部の経験則が合わなくなっていることも知るべきだ。「今日より明日」が、「前期より今期」がどうしても成長を必要とするならば、企業人総てが戦略(Strategy)を再構築せねばならぬ時代を迎えている。時間はない。

こんなことを書けるのも元気が出てきた証拠だろう。

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2-16) リセット

富山の友人N君とは40年ぶりの邂逅だった。月一度、大阪へ母君のお見舞いに来る、時々会うようになった。何度目かのよもやま話で、私の「ハワイ」に及ぶ。
「ハワイへおいでなませ?」と冗談でお誘いして答えは二つある。「すぐ行く」と「なにがしかのご託を」・・・・なにも相手様のご都合にケチをつけているのではない。たいがいこの人たちは来ない。それでも相手は気にしているようで、偶然会う都度「そのうち行くよ』と声がかかる。わたしの方は観光業をやっているわけではない。気遣いはご無用だ。

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このときの彼の反応は「えーっ、行きたいな・・・・」平常冷静な彼が本当にしぼるような声をだしたので驚いた。当時彼は現役の大学教授、しかも母君がご病気で、時間が取れぬまま、当方もそれが分かるから無理に誘いはしなかった。

突然訃報が届く。「母君が?」と、心配だった母君より先に逝った。大阪の「病人」には仕事が忙しくてしばらくお見舞いに行けぬ、と伝えたことを後から聞いた・・・・
享年65才、通夜の席本人がで死ぬ間際はまで、「わたしがいる間に、ハワイへ行きたい」と何度も云ったそうだ。こんなに早くが分かっておれば、滞在中にぜひお願いしたかったと、ご家族が号泣・・・・果たせぬままの旅たち、無念さはさすがに辛かった。「人生にいつかはない・・・・」

時々ゴルフを一緒にする。海外がとんでもないというM君、大体お誘いしても「こない派」だと勝手に決めていた。ある時『ワイフが一向にハワイへお誘いいただけない?』とクレームをいただく。「えええっ」言葉が詰まる。「いつでもどうぞ・・・」だが「君が嫌がるのでは?」と逆襲する・・・・

最初は夫婦二人、ホテルほか全てのお世話を頼まれる。途中娘夫婦が参加して、若い人たち少しはハワイを知っていて、クヒオのコンドに泊まる。彼らにはヒルトン・ハワイアン・ビレッジを「カマアイナ」で取る。この部屋が特別ですばらしかった。ハワイは小さな観光地だ。これがこの街を親しみ深いものにする。2回目からはビジターがメンバーになったような、気分にさせるのがこの街の魅力だ。翌年はわたしの住居にもう少し近いプリンス・ホテルを・・・・「HIS」で手配してきた。ハワイはJTB王国だ。観光客は有形無形のサービスを享受しない手はない。

そして今年はお世話は不要とお断りが来た・・・・
今、流行りのヒルトンの新しい棟「グランド・ワイキキアン」を買った。しかもハワイ島へ1週間、その帰りにでオアフに立ち寄る。もうすっかり「ロコ」だ。毎年この島へ来るための拠点はできた。できたてほやほやといえる部屋、お邪魔したが悪いわけない。夢を十分満たしてくれる。ハワイにはハマる人は多い。かくいうわたしもその一人だ。今始まったM君のハワイ生活。ハワイに夢中だが滞在中「もう10年早かったら・・・ため息まじり」の愚痴が始終でる。

わたしの滞在も13年目を迎える。いろいろ友人や知人たちとご一緒した。
最初の頃は来島されるとわたし自身が嬉しかった。今は相手が変われども案内する方は同じ・・・・昔のように連れまわすと言うのはさすがに「シンドク」なってきた。

友人が会社をやっていて、社員30人のお世話は今思い出しても・・・・十分できたかまで考えたら、大変「愚行」だったと苦い思いだけが残る。

京都のY君のグループ、わたしより少し年少だが、仕事はエネルギッシュでなかなかの人物だ。仲間たちと毎年来た。またこの人たちには、その都度いろいろとお気遣いただいた。ところが肝心の「団長」Y君が体を痛めた。2年ばかり顔を見せない。
行く川のながれは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・「10年ひと昔ともいう」前述N君の「もう10年早かったら・・・ため息まじり」に同じ思いがかぶさる。

もう一人M君、彼はわたしの仕事仲間、飛行機に乗ったこともない人を、わたしが「天国ツアー」と称して強引に連れてきた。初めてのハワイ、マウイ島をも加えたてんこ盛りの旅行だ。大体このコースでほとんどが間違いなくハワイ・フリークになるが、夜外国ホテルの1人住まいに心細さを感じていたやも知れない。さすがに緊張もあっただろ。が滞在中とことんつき合った。彼にとって夢の中の2週間、帰国後彼から「ガイド」が短期旅行者向けの『ショウ」や「ツアー」への参加が欠けていると指摘された。サラリーマン時代、北の新地でブイブイいわせたお人だ。夜の観光が欠けたことはお詫びせねば・・・・彼の言葉は遠からず当たっている。わたし自身サンセットクルーズにもポリネシアンのショウを未だ見たことがない。アラモアナに一級のバーを見つけてある。彼の再来を待つだけだ。
その彼も糖尿を患って「ハワイは夢のまにまに」になった。それだけにハワイへの思いは強いようだ。ただTV CD DVDで集めたハワイに関するコレクションをわたしも時々借りる。

われわれ世代、企業戦士が仕事を終えて、人生を楽しむに十分すぎるというほど時間はない。外国では若年でリタイヤーする人もいる。「準備さえできておれば早い方がよろしい」と真実を吐露しよう。「何を軟弱なことを・・・・」とお叱りがくる。人それぞれ、仕事中に殉ずるのもひとつの選択肢で反対しません。
しかし殉ずるに値する「仕事」に関わっているか?という質問には言葉淀むケースもあろう。若い頃から希望どおりの仕事にありつけたというのはほんの一握り、はじめから目指した「会社」や「仕事」に巡り会える僥倖など人生ではあり得ない。我が人生を振り返ってそうであった。若い頃は生活の糧を得るために必ずしも、その仕事が生涯かける意味を問う余裕などない。はじめは嫌々とはいわぬが、長年の仕事を、全うして振り返ると「天職」だったと思うことはよくあることだ。

リタイヤーして「生涯を賭せる仕事」に没頭して朽ちれば本懐だろう。「リタイヤー」という言葉が適切でない。定年を待ってでは遅いことのいくつかを巻頭の話に書いた。


今この文書をPC(パソコン)で書いている。PCは時々「リセット」しないと動きが悪くなる。非常に人間的と思える機械だ。リタイヤというから難しいので、積極的に「リセット」すること、この「うまい・へた」が「人生の達人」に欠かせぬ資質だといえよう。
「リセット」後、「仕事命の・・」の吾人はぜひ生涯を賭せる仕事を、悠々自適を計画する人は・・・・いずれにしろ雨が降りしきる中、傘の準備は要る。平素から怠りなく・・・・

景気の後退によるレイオフが日本でも普通になってきた。グローバル・スタンダードという名でよくも悪くも浸透する。国内に限るが日本の労働システムは基本的に単一民族、「日本人による」から脱するにはまだまだ時間がかかる。不況時人減らしをすると、好況時は人材不足でたちまち困る。人をやめさせず時間調整で急場を凌ぐ知恵を、もっと企業が取り入れてもよいのではないか?

ことに不況時は休暇がとりにくい。経験を申し上げると、名目有給休暇が年間20〜40日あった。一度として消化した記憶はない。使はなかった日数の半分が翌年に持ち越される。退職するまで持ち越された。最近は「リフレッシユ休暇』という制度を取り入れている企業も増えている。これは「リセット」の思想ではないか。生涯一度などと「ケチ」なことをいはず・・・・不況時こそ「ワーキング・シェヤー」で中長期休暇の制度を確立できるチャンスだといえる。

もっと楽しく働ける環境の確保は、企業にとって悪い判断ではない。

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2-15) アイスクリーム

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ハワイのアイスクリームのおいしさは定評のあるところだ。常夏という気候がそうさせるのだろうか?種類も多い。メジヤーといえる商品は全て出そろっている。日本に比べたら安い。何でも「舶来」といえば価格が高めで通るお国柄とは異なるようだ。

日本の某デパート「ハイクオリティ・ハイプライス」を社是にしてきた。時代を先取りしてアメリカのデパートと提携したことがある。この相手は庶民性を売り物にしていた。今でいうカタログ販売の先駆者ともいえる相手だ。商法、扱う商品のコンセプトがはじめからミスマッチ、それを「舶来」だからと高めで売った。さすがに日本人もそれほど馬鹿ではない。提携はうまくいかなかった。


現在米国の自動車が苦戦を強いられている。理由は2つある。
はじめは現世界第二のマーケット、日本を読み違えたこと。日本に販売拠点をもうけなかった。責任は指摘されているとうりで、責任者たちの責務を問われて当然だろう。
もう一つは、前述の「舶来」に対する日本側のこだわりだ。ハワイへ来て唖然とすることがある。私が乗りたい車、日本での価格が700万、こちらでは500万円までで買える。全てが日本価格に設定されている。私は外車ばかり乗りつづけてきた大ばか者の一人だ。

日本側のディラーも悪い。車の価格が高いだけでは済まない。修繕費が外車というだけでこれまた高い。息子と時同じくしてクーラの修理をした。国産車が7万円、わたしは70万円支払った。すべて推して知るべしで、リタイヤした身での外車の維持は難しい。
先のデパートの話も自動車の件もハワイへ来て学習した。これだけ自動車の販売合戦が焦眉の問題になっている今も、改善しようという動きはない・・・・「カイゼン」はトヨタ自動車が世界へ上り詰めた旗印だ。


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アイスクリームの話がとんでもない方へ。今お気に入りは「COLD STONE』だ。味が好みに合うのはもちろんだが、ワードにある店にとどめを刺す。高層のコンドミニアムが迫ってきたとはいえ、まだまだのどかな大通りを眺めてのオープンエアーの席がたまらない。気を付けぬとアイスクリームが吹き飛ぶほどの風がとおる。この風も魅力のひとつだ。

量が多いから注意しよう。注文は一番小さなカップ、コーンカップもあるが、あんがい外気が高い当地、こちらはクリームが溶け出すと容赦なし。4才の孫娘と格闘したという思い出もある。小さいやつに『ミント&パイナプル』の2種をミックスさせずに、これでワイフと2人で丁度の量ということになる。


孫娘の好きなアイスクリームを買う。プチプチした7色の小粒のクリームだ。暖かいハワイでドライアイスは出さない。がんがんに冷やしたスーパーのものは、家までなんとか持つが急がぬと解ける。まして小粒となるとなおさらとける。たまたまドライアイスを入れてくれる、というからみやげに持ち帰った。しかし日系二世の親切なおばさんが「ドライアイスには絶対手を触れないよう」何度も念を押す。日本では日常茶飯事になっているドライアイスの取扱い。自己責任の強い国柄でもドライアイスについては、いたって慎重のようだ。日本でならばガラスコップに水を入れて、しばらく遊ぶというのも普通なのだが・・・・
国によっての規制の違いを教えられる。

しっかりし過ぎるほどの包装を解く。7色の小粒のアイスクリーム、真っ白な冷気を身にまとって眠っている。

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2-14) $20紙幣


日本での外貨預金を現地で引き出すという口座があって、1万円札なら30枚見当と安直にATMで現金を引き出す。ATMは$20ドルの倍数でないと受け付けない。$50や$70は駄目だと表示が出る・・・・全紙幣が$20紙幣だから紙幣がドッサリ・・・・あわてて銀行内で再入金したことがある。


ちょうど滞在1か月がすぎた。
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久しぶりにワードのRACKへ・・・好きなブランドFacconableのドレスシャツ3枚とネクタイを5本・・・シャツは息子に。ネクタイはパリで10本ほど買ったものが、今も私のワードロープを賑わす。フランス製のネクタイは質が高い。ハワイは南国、この季節既に冬物がOut Letに出ている。ヨーロッパの名品がたまに掘り出せるというのはここしかない。時々立ち寄る要があるわけだ・・・・

断じると誤解が生じるが敢えていう。ウインドショッピングは、こちらの方が数段楽しめる。冬物という重衣料がないのも理屈だろう。しかし子供服などはほとんどが$10〜$20、上手に買えば$10までだ。日本の子供服メーカーの商品を買ったとして1着分で、オーバーにいえば10枚は買える。同金額の予算ならば、10倍買い物が楽しめるわけだ。成長期の子供服ほとんどが1年限りグッドバイ・・・それに数万円かけるという消費姿勢は誰が見ておかしい。


ハワイの物価は高いといわれる。衣食住はほぼ日本と同じ程度ではないか。「外食すると持ち帰って翌日と2回分です」とミエさんはいう。また若い彼女どうしても家が買いたいと夫婦二人して働いている。サブプライム以降不動産の購入に銀行が金を貸さない・・・金利が高いので今のところ借家住まいだ。住の問題は人生の中で一番まとまった買い物、若い日本人全く同じ悩みだといえる。

一般生活では$20紙幣が通貨の基本だ・・・旅行者が日本人感覚で持ち込む$100紙幣などよほどでないと使わぬから、これで支払うと怪訝な顔をされる。ようするの消費単価がのっけから違うのだ。日本人の1万円札はこちらの$20と考えた方がよい。$9.99 $19.99  $29.99  $39.99というプライスが横行する理由でもある。

高級ブランド品を求めない限り、生活上の買い物は$20紙幣で判断できる。例えば食事なども全てこの範囲ですむ。万一$100紙幣で支払う要があればそれは「ボラレた」と考えるべきだ。
日本にも安い商品はある。ことに90年末のバブル崩壊以降デフレが続いた。しかし基本的には100円均一に代表されるように、チーパー感が付きまとう。そういえば最近の日本人のファッションも、「ドレスダウン」が流行りで安物の重ね着が主流だ。世界にクール・ジャパンと自慢できるものは少ない。「馬子にも衣装」という言葉がある。上質のものを身のつけて生まれるお洒落が、あまりにも無視され過ぎている。

今アメリカがサブプライムであがいている。しかし日本と一番違うところは、ものの価格が上昇しているという実感だ。先週銀行へ行ってきたが、多少条件はあるとして定期の金利は3%から4%だ。
10年以上のロングスティでものの価格が高くなったいう実感を、今日もラルフ・ローレンの店で話してきたところだ。といいながら先月、その店のブレザーを80%OFFで手に入れた。考えられない商法が横行するお国柄だ。ことに「男性商品群」の品そろえが充実するアメリカ、男としても「セールの日」はわくわくする。

前述RACKでの買い物も価格は秘密にしておく・・・私の小遣いでドレスシャツ3枚・ネクタイ5本(日本人がいう舶来フランス製)も買うわけがないでしょう。


小泉さんがアメリカ外交で、ブッシュ大統領に勧められて2000札を出した。この発想アメリカの$20紙幣ではなかったか? 1万円に羽が替えたように消える日本で、2千円札の出番は最後までなかった。

「勤労報酬」は諸外国との競争の中で、日本だけが特出するわけには行かぬ。給料が増えるという発想は終焉を迎えた。あとは「出るを制する」しか知恵はない・・・・1万円札が飛ぶように消える日本、本当は2000札がもっと値打ちのでる社会に転換できないか?

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2-13)けいことマナブ

Dscn161309年、滞在先のハワイで突然PC(コンピューター)が不調。ネット接続ができず、メールも書けず、というわけで3ヶ月ブログも休業した。時差のある海外での生活で、PCの故障は命綱一つをなくしたほどの不便さともどかしさで明け暮れた日々だ。


しかし今回は機械的故障ではなくて、ブロバイダーの手続き変更によるものだ。この変更に海外で対応できずに・・・・後日 コンピューターではよくあること・・・・と友人には一蹴された。


仕方なく「PC不通」の連絡を郵送した。少し面倒であるのと時間はかかるが、「郵便」が連絡手段として信頼できるということを今更ながら知った。デンワ・FAXも同じだろう・・・・文書のみの無機質なメールと違って、声が届くので思いや感情までが伝わる。PCがあればデンワ不要という姿勢は反省すべきやも知れぬ。  

写真のプリント、江戸の末期「篤 姫」の写真が、約100年以上経った今「セピや色」に変化しても見ることができる。テープ・CD・DVDでの長期保管の保証は今のところ無い。「古いものが新しいものに席を譲る」という考えも「十杯一からげに」はいかぬ。お互い特性お認めあい、使い分けが要るのではないか。


499_3しかし悪いことばかりではない。わたしはマッキン・トッシュを使っている。「ONE TO ONE」技術指導やサポートの会員で、大阪心斎橋まで月2回程度のレッスンに通っている。「 70才の手習い」何をいわれようと何でも習ったらよろしい・・・・人の話を聞くのは何より刺激を受ける。今書いている「ブログ」も成果の一つだ。

そういえば日本を発つ直前に、ネットによる「株式の売買」も受講した。この方は若い女性達が主な生徒で、同世代や男性達は見かけなかった。個人が東証・大証のマーケットに直接乗り入れて、しかも瞬時に取引が成立する。このスピードは取引にPCが優れていること・・・・と周辺システムの構築ぶりは、私たちが知っている過去の株式取引とはまったく別の物だ。運用益云々リスクを伴うのはもちろんだが、PCの発達が株式売買の構図を完全に書き換えている。


「けいことマナブ」ロングスティ中、 日本の資格でPCのレッスンにワイキキへ 通う。まったく「ストレス」も無く心斎橋と同じ・・・・しかも15分もあれば通える。ヤシの葉影をくぐり抜けて、風に吹かれて・・・・なかなかの経験だ。

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2-12) 日本へ

08年3月
「長とう留くすりの量で知る帰国」

荷造りをしないと荷物の量が把握できない。それによって鞄を購入する要がある。
午前中かかって荷造りを完了・・・・ほぼ治まった。あたらしいバッグは不要のようだ。

266先に帰国した孫娘、空港チェックインに際してオーバーチャージー5000円を支払った。1梱の重さと1人2個までという制約がある。ここはアメリカだからポンドだ。先進国を自認するアメリカだが時々ダダをこねる。昨今では京都議定書、地球規模でのCO2の削減に協力しない。極端なのが度量衡だ。日本は「尺貫法」をメートルとキログラムに変換した。
1尺は何点何センチ・・・・尺をメートルに変換などとんでもない悪法だった。

アメリカは今もおかまいなくだ。インチ・ガロン・ポンド・フィート・スクエアが横行する。これをキロに換算して・・・・肝心のはかりはこちらのメモリー・・・・要するにアメリカでのルールを適合すれば簡単に済むが、ルールブックが日本語で日本の基準値だからややこしくなる。23kg まで? ポンドに直したら?・・・・根気よくやる他ありません。
もう一人の孫娘ちびちゃん、この人の荷物が一番多い。4人分で宿替えするほどの荷物と、タクシーのK氏に冷やかされた。

娘と孫は終盤を惜しむようにプールへ、ハワイのコンドで忘れて貰っては困る施設がプールだ。4才の孫はジャグジー専門で「ハワイ温泉足湯」と勝手に名付ける。
コンドの5Fにあって、人も少なくただぼんやりと・・・ひたすら泳ぐ人もおられる。水にすら浸かること無くデッキチェアーで本を読むか・・・・体を焼くか?・・・・・

とにかく一度体を水につける。そして上がる。タオルで体を拭く必要は無い。ハワイの風が乾かせてくれる。この時生じる気化熱が身も心も・・・・デッキチェアーで体を乾かす視界に、ワイキキのビル群が広がる。このビル街も増えた。アラワイ運河の向こう側に大型コンドが、ヒルトンホテルのタイムシェーアー、新棟はアラモアナ・ブルバードに大きな壁を作りつつある。プリンスホテルの外付けのエレベーター2機が、ゆっくり昇降をくり返す。音までは聞こえない。

孫娘、初めて浮き輪を使って水に浮かぶ。初体験も水への恐怖が無いから、早くから習わせればすぐ泳げるようになると思う。
わたしのいとこ2人が小学生で大和川で溺れてなくなった。
息子や娘・孫たちには泳ぐことをを勧めた。それぞれ水泳が上手だが、泳げることは「生存のための救難に」に大きく関わる。という私はそこそこ有名な野球少年だったため、肩が冷えると泳ぎは禁じられた。海でならいくらでも泳げるが、プールでのかっこ良い泳ぎは彼等にかなわぬ。
その夜ちびちゃんは、焼けた背中が痛いとぐずったそうだ・・・・

  
使いまくったコンピュター、最後のメールをそれぞれに送付する。
瑞兆・・・・久しぶりに朝、窓に大きな虹が・・・・・虹の色「あだきみああむ」と覚える。
あか・だいだい・きいろ・みどり・あお・あい・むらさき
誰でもが知る童謡「結んで開いて・・・・手をうって・・・」のうたの歌詞の中に虹の色がでてくる。・・・明治の人は歌っていた。とハワイで聴いた。

天気の総括・・・今年は2月の前半までぐず付いた天候も、来島の友人達が帰ったら一転して、ハワイらしい好天気が続いた。気候の推移は順調といえる年だった。滞在が10年を超えると、いろいろな気象に出会ったように思う。近年は世界的に地球温暖化? といわれる影響からか、ワイキキで大雨に遭うという年もあったし、確かに雨がよく降るようになったと感じる。過去ハワイでは「傘」は売っていなかったとおもえたが、今は至る所で見かける。

朝晩サーッと街を濡らして駆け抜けるシャワー、そして数分後には真っ青な空と、乾いた日差しが降り注ぐ本来のハワイ。今年の冬はこれが満喫できた。

さすがに残り少ない滞在になった。
来週帰国するための準備と片づけの折々・・・日本に帰るという「わくわく」した気持ちがあってもいいのだが・・・・どんなに長く滞在していてもハワイを去るという日、この「風」と「ヒカリ」との惜別に後ろ髪を引かれる思いが残る。

「そんなに良かったらここに住んだら?」とアトバイスも頂く。

住むということになると、いろいろ「世俗としがらみ」が生じる。長逗留とはいえ滞在の「軽み」に身を置く贅沢が、ここでの生活の魅力だ。行ったり来たりの生活を、未だしばらく続けます。


また日本で仲間に入れてください。                 マハロ

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2-11) 携帯デンワ

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夕刻5:45ワイキキへ
始めての来島客、いかにアラモアナがオアフの中心とはいえ、ワイキキを見ずして帰すことはできない。
バスで・・・・カラカウアからロイアルハワイアンホテへ、ロイアルハワイアンSCは工事中でホテルへの道もわからぬほどだ・・・・


「マイタイ・バー」でのサンセツトに合わせたが、この位置から3月はじめの日没は西に振っていて見ることできないようだ。席はすでに満席なんとかテーブルを確保する。プライベートビーチ面した一等席のテーブルに、ひとりビールをおいて携帯電話をかけている・・・・


アメリカ人いやここはハワイ、ハワイ人の電話好きこれはもう尋常でない。歩きながら・・・・そう「ながら族」という言葉が流行った時代もあったが・・・・買い物の勘定をしながら電話をかけ続けている。客の方だけではない。勘定を受け取る側も決まって受話器を肩と耳に挟んだままの作業だ。

自動車の運転マナーも悪くなった。理由の一つが電話だ。電話をかけながらの運転で一番粗雑になるのが一旦停止か・・・・人影を見たらたとえそれが距離あろうと止まる、というのがこちらのルールだと、運転免許試験で教わった。電話を使いながら止まったり動いたりの作業は、当然邪魔臭いものとなる。
トイレの個室から「明日の朝7:00に起こしてくれ」話し声が聞こえてくる。トイレしながらしゃべらねば、というほど火急の用では無い。

翻って日本での携帯事情、日本では携帯を使いながらの、運転は法律で禁じられている。もうひとつ「携帯をやめるよう」ヒステリックと思えるほどの公共交通機関・・・・車中を伺えば、いまや誰も電話をかけている人などいない。話はしないが黙々とメールをうつ。シコシコとキーを押し続ける姿は「自慰」しているようにわたしには見える。いつから日本人もこれほど文通好きになったのか? ・・・

「通話」にしろ「メール」にしろ若い人の使い方は、圧倒的に友人達との連絡とおしゃべり・・・使われ方が前述のトイレからの通話同様火急の用ではない。遊び道具の一つというと叱られるだろうか。
われわれのように現役を退いたらケータイを必要としない仲間が増える・・・・老いが進むほどいつでもどこでも連絡の取れるツールは必須アイテムだと信じている・・・・携帯がセコムの役割をやるわけだ。

折角の文明の利器もうまく使っているいるかと聞かれたらお互い心もとない。
香港の友人たち一人3台の携帯を使い分けて、事業の独立を果たした猛者が数人居る。メールも「英語」でやったとしたら語学の習得に威力を発揮すること請け合いだが・・・・ケータイとコンピュターが今のように身近にあったら、私もサラリーマン生活を全うすること無かったと・・・・悔恨の情が身を襲う・・・・

とにかく昨日到着した旧友とビールで乾杯だ・・・・ハワイへようこそ!! ダイヤモンドへツドが夕日をうけて輝く、まだビーチで大勢の人が泳いでいる。

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ワイキキビーチの空には「幸せの女神」が住んでいる。ここでは不幸を感じさせる人などいない・・・世界中から幸せを謳歌する人々が集まってくる。そして女神のもとに集う。ここで運悪く夫婦喧嘩を繰り広げた人がいる。それもお互い暴力をふるった。日本では絶対に無いという光景では無い。ふたりは勾留され罰金を科せられた。その上今後10年間ハワイへの入国を禁じられた。と領事館の広報が報じた。女神の統治下では身を慎むべきだ。

世界中に名だたるバーは沢山ある。ここに立ち寄るといつも、ニューヨーク、タイムスの記者たちが立ち寄る都会のオアシスや、ロンドンのソフィスケイトされた バーを思い出す。同じく「バー」と呼んでもこことあまりにも正反対の趣をもつからだろう。

こちらはオープンエアー、天然のクーラーの中だ。眼前ビーチで人々が幸せの競演に興じる景色を、ぼんやり眺められる場所はほかにそうない。そして自分たちも仲間に加わっている。この「すばらしい人生」を実感するひとときはたまらない。

注文を取りにきた若いウェイター、べっぴんさんのメキシコ混じりが「バケーション」かと聞く。われわれは別として、中尾君は独身だと売りむ。
「バケーション?・・・ハネムーンのリハーサルだ」「君がお相手でもいいよ」・・
「うぁーお」酒が絡んだ気楽な会話が弾んだ。

ハワイアンバンドがスローで心地良い曲を奏でる。曲が終わるたび小さな拍手が起こる。テーブルにホテルを象ったピンクのキャンドルに火が入る。先ほど記念写真を何枚か写したダイヤモンドへツドも、忍び寄る夜の帳の中に沈んでいる。バンドの演奏は終了する。ビーチを散策する人はいるが、さすがに泳ぐ人はいない。あちこちでトーチの火が勢いを増している。
まあ次回はロイアルハワイアンでの結婚式だ・・
   
来た時と同じ席、同じ姿勢で携帯電話の話は今も続いている。通常ならもう電池が切れている。話し相手がいるのだろうか。通話の向こうはひよっとして漆黒の深淵・・・天国でひとり「孤独」と格闘している人がいる。冷たい風が背筋を走って席を発つ。      
        
    

   

    

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