1) コンドミニアムを探す


ドアを開けるなり「買った」
友人からの紹介で・・・・30年前ハワイのコンドを買った時のことを、雑誌に高峰峰秀子さんが書いている。20Tのリビング・ダイニング、10Tの寝室、8Tの書斎、バストイレ・・・

ハワイで数年探していた。こちらは「予算もあってもう少し慎重だった」と云はないと嘘になる。
仮にも外国で住処を探す・・・外国人が現地の不動産を所有することができるのか? の初歩的疑問から始まって住むための要件を満たす・・・ 日本人としては何が望ましいのか? ハワイは治安の良い土地ではあるが、それでもセキュリティという条件は欠かせぬ。

現地の友人に世話になって数回足を運び、大体「アラワイ××」に部屋を決めていた。
家族がそろう1997年夏、最終手続きでハワイを訪れた。

私の条件「予算」が頚城になって望めぬものがあった。「アラワイ」の契約前にぜひそれを見たいと,不動産屋にお願いする。今からご覧になる物件は「あなたのご予算ではむりですょ」と念が入る。
こちらも後学のためと気楽な気持ちでのぞむ・・・・

2007年景気が回復してきて、ハワイは新しいコンドミニアムの建設ラッシュ、これに「コンドテル」というシステムを加えると、見るだけでも大変な数のコンドがある。さすがに当時それほど数は無かった。
ハワイで一番良いコンドを上から順次見て回る。

山側日本企業がバブルに乗っかっての狂ったような建物、バブルがはじけても3億円・・・・場所は海からほど遠い街なか、今見てもなぜこんな場所にと思える立地だ・・・・・

NO1といわれたNタワー、これは興味津々でトライした。 アジアのホテルに見られるような大理石に囲まれた部屋は、住居というよりオフイスに近い感覚で落ち着かない。大きいはめ殺しのガラス窓、とにかく眺望はすばらしい。ガラス部分が大きいだけにラナイ(ベランダ)の一部オープンしているが、西日をまともに受ける部屋は暑くて困る。特別太陽の光が強いハワイで、最近たてられたガラス張りのコンドはどうしてか理解に苦しむ。「夏をむねとすべし」という日本の住居への戒めがある。 太陽さんさんのカリフォルニアでは日を遮る場所が高い土地と何かで読んだ。

ILホテル・・・前述の「ホテルコンド」のはしりともいえる。角部屋有効面積も広くて使いやすそう・・・・窓からの景色はワイキキの山並みが見える。 自分たちが使わない時はホテルの部屋として運用される。 それだけに知らないひとが自由に出入りできる。どうしてもセキュリティの質は落ちる。

ハワイにセカンドハウスを所有するひとは少なくない。ただ「運用」を目論んだものも多くて、実際に住まいとして使うひとは限られる。そんな昨今のニーズで生まれたのが「コンドテル」だ。こちらはコンドに投資する。投資した部屋は1年のうち、3ヶ月とか半年とかを自分が使う権利がある・・・使用しない時期はホテルの部屋として運用にまわす。どちらかといえば金融商品だ。
ついでにいうとリゾートホテルの「タイムシェアー」はまた違う。こちらはコンドを1年54週を週単位で購入する。1週だと購入価格も経費負担も54分の1で済む。もちろん経費も分担額に応じて支払う。

Ymタワー・・・・これにまつわる知識は皆無だった。ショーイングできる部屋が4室あった。一番高い階は鍵が無く見ることできなかった。これを見ていたらもっと高い階に決めていただろう。

ドアを開けた・・・・正面の強い光が差し込んでいた。窓の外にヨットハーバーが・・・・マジックアイランド(公園)が眺望る。有無を言わさぬ何かが・・・・「これに決めた」息子がいい放つ。家族全員の総意を代表していた。

前に建物が建たぬとか・・・SCに近いとか・・・・セキュリティが良いとか・・・・予算とか・・・・それまで考えてい条件諸々は頭から吹っ飛んでいた。

あれから10年が過ぎる・・・衝動にかられ「これにしょう!!」と、ドアを開けるなりここに決めた。高峰秀子さんと同じ経験を今も悔いていない。

滞在中の3才の孫娘が「隣のトトロ」に夢中、わたし「隣のアラモアナ」も好きよ・・・と今日もバーナーズ(本屋)へ出かけている。

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2) ハワイへ行きたい

夢のハワイ旅行
飯を喰っだり、一杯飲んだり、勘定は今日は俺が払う、いや私に払わせてと、譲り合わない二人・・・・帰りのタクシー代を貸して欲しいの申し出にはたじろぐ。

「憧れのハワイ航路」「トリスを飲んでハワイへ行こう!!」などなど・・・・・誰もが憧れる 「ハワイへ行きたい」という思いは向こうからやってきた。

いつだったかS君。ゴルフの帰路家に寄ってくれた。軽い食事と取り止めもない雑談。その際「ハワイのゴルフ場に会員の権利をもっていて、困っているという話」子細を聞く。
マウイ島YLゴルフクラブのゴールド会員。母体は日本企業で1990年代、日本がバブル経済に浮かれはじめる時期に1500万円で公募された。(そういえば同グループのゴルフメンバーである私にも、そんな誘いがあった記憶はある)

12年据え置いて償還時期には「3000万円」になっているというのが歌い文句。右肩上がりの経済のただ中、その時は大勢の日本人がそうなると信じていた。要するにプレーを楽しむというよりは「投機」を目論んだものだった。平事ならばおかしなこのギャンブルこれに結構飛びついた。
ましてS君はハワイといえども海外はとんでもないというタイプだ。多少の余裕資金をお持ちだったから彼もはまった。

当時銀行金利が約6 %だったから、1500万円の6%、年率にして100万円相当を、会員がハワイで使うことができるという特典がついていた。後で分かったことだがこれを利用した人は年間で300人、家族を含むからメンバーはその1/3程度、正確な会員総数は分からぬとして、1000名で10%、2000名で5%ということになる。要するに特典はほとんど利用されていなかったことになる。
飲み食いや好きなものを買うために使うことはできないが、とにかくハワイへは行ける100万円・・・・・

「その権利を使ってもよろしい?」と私、S君が「どうぞ」
さすがに私の家族から「S君に悪いわ」というクレームが出る。

もしこの「特典」を使わなければ、その年の権利は自然消滅ということになって、クラブ側が得するだけで、会員側にその費用が返却されることはない。

「100万円をハワイで使おう?」 まだ疑問符のついていた嘘のような旅行、その年の特典が9月で切れるというので、嫌々のS君に友人M氏夫妻と我々夫婦の5名、五月の連休にすぐさま敢行した。さすがに行くまでの間、M夫妻からは「ホントにタダで行けるの」疑心暗鬼の打診しきり。旅行確認書が1週間前までとどかなかったからなおさら・・・・「私の面白すぎる話にだまされた・・・」とM氏の細君から苦情を受ける。

この旅行の中身がすごい。ホノルル空港でのVIP扱いの出迎えから始まって、カウアイ・マウイのゴルフツァー、最後のオアフ島ハレクラニホテルでの贅を尽くした滞在等々、現地担当者の細かな配慮、質・サービスとも高くこんな満足のいく旅行は過去になかった。
 
なによりも100万円を使い切るために苦労したという嘘みたいな話。たまたまM君が会社の役員食堂で先輩幹部にどこで休暇を過ごしたかと聞かれてこの事実を話したら「君の話しは面白いけど嘘が多すぎる」と一蹴された。書き出しのめし代をおごる話しとは次元が違いすぎるから誰だってそう思う。

もともと海外などからきし興味のないS君、肝心のメンバーがドロップして、旅はその後も続く。M夫妻に娘が加わって・・・・・最初のハワイ行きに比べたら「タダで行ける」不安はもうない。気分は既にハワイの空の色。次は誰誰が参加したいとメンバーか増える。3回目からは航空運賃だけは各自もち、滞在費とゴルフなど現地での全ての費用は100万円で賄う。使い手は少しタイトになったが充分にある。

肝心のS君、解約したいと思っても償還時期が来ていない。投機で買ったものでハワイに興味はない。本人にとって如何様にもならぬ代物、放っておく以外手はない。これを私たちが使った。
「毎年100万円のハワイ旅行が当たった」換金できない。条件は唯一現地で使う。次は誰と行こうか!!

世の中、嘘みたいな本当の話があるのだ・・・・・


*注 バブルといわれる経済の崩壊で、償還時期を待たずに損切りで、会員脱会すること止むを得ない状況が来た。

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3) ようこそハワイへ

ようこそハワイへ

21世紀を目前に控えてさすがに飛行機もFirst Classから、便宜上作られたBusiness Classというのが主流になりつつある。充分後ろに倒れる広めのシート、上下するフットレスト、この両方を使えば結構睡眠も取れる。長距離を飛ぶ時、例えば日本からアメリカの東海岸や、ヨーロッパの国国への旅には快適で贅沢な空間である。

一般客より早目にシートについて、出てくるシャンパンを飲む。適当に冷えたグラスの中で、こはく色の液体に数条透明な泡がはじける。ある種の予感、これから始まる旅へのあこがれと期待、その序曲にふさわしい一瞬を実感する。グラスの回収と時同じくして機は飛び立つ。日常としがらみを切り捨てるように機は急角度で上昇を続ける。旅の始まりこの一瞬は捨て難い。

ハワイへの旅もこんな手順ではじまった。何回か行く内にライフスタイルが変わる。無駄をそぎ落とす。けちになることとは違う。ディスカウントチケットが氾濫している時期はこちらを選ぶ。経験的に見て安いチケットの氾濫は、それだけ飛行機に空席があるからだ。私は5席・ワイフなら3席を確保して、食事を拒否してでも早々に長長と横になって寝る。

日本の何処の空港から飛び立っとしてもハワイへは、夕刻から午後10時頃までに飛行機は出発する。ハワイまでは7〜8時間機中で遅い夜食をとり、興奮して眠り損ねると機窓が白みはじめる。高度1万メートル空には決まって雲一つない。白みはじめたとはいえ未だ夜の帳が残る空は、漆黒からグレー、濃いブルーへとどんどん色を変える。
 
「東方」、ほのかに染まる紅、地球の自転に逆らって東へ向かって飛ぶ飛行機が、夜明けというドラマのスピードを倍加させる。紅はまたたく間に明るさと色の濃さを増す。夜の帳が押しやられた空はもう真青、紅はもっと濃い茜色に変わる。この辺たりが夜明けのドラマのクライマックスだ。
 大空に描かれた色彩の洪水、一瞬茜色の一角がはじけて金色の光が目を射る。当然経験したことはないが、極楽浄土への到来を想像させる。
「太陽のお出迎えだ」
季節によって多少時間が違うが、ショウの終演は飛行機のハワイ到着が近いことを知らせてくれる。


大空でのショーは観客に過ぎなかったが、ここからはあなたが主役だ。時差との関係で到着は現地の早朝、早朝は常夏の島での至福の時間だ。機から解放されたあなたは、空港内移動の手段として乗るトロリーの窓から吹き込む甘い花の香を含んだ心地よい空気包まれる。ハイシーズンには少し時間がかかる通関の手続きを万事終えて、お出迎かえのガイドからレイをかけられたら、もう「天国」への到来を実感できるだろう。
空港を出たら早朝驟雨に洗われた木々が、まだ露にキラキラ輝いている。

何処かの国の話。国境近くの峠に小さなトンネルがある。ここを通過するとき大きい荷物を持っては通れない。不要不急の以外のものはここで捨てる。という話がある。
そこに居合わせたわけではないが、その際どんな思いが交錯するのか。人によっては失うものに固執するあまり、人間としてのの尊厳を汚すこともままあろう。物質だけでなくここでは「我欲」まできれいさっぱりと捨てることができたらこれもまたすごい。人は時時こうして試される機会を持った方がいい。

ハワイへの道に人を試すトンネルなどない。滞在中は短パンにTシャツ、じゃぶじゃぶと洗って干せば明日は着ることができる。正装はアロハでよいが、紺ブレが一着あれば通年これで通せる。もう少しお洒落がしたい女性ならそこら辺に咲く花を手追って髪に飾ればよい。背広を100着持っていたという文化や日常が恥ずかしい。
 
ハワイでの生活は、「日の出と共に一日が始まり、月の出と共に一日が終わる」というのだろうけれど、この美辞麗句は既に都市生活の埋没した人が想像で発する「ことば」だ。1月は新月、月が顔を出さない日々のあることをすでに都会人は忘れている。

コンドミニアムはワイキキへの主幹道、アラモアナブルバードとアトキンソン通りの角に建つ。目の前がヨットハーバー、横がアラモアナのショツピングセンター、これ以上恵まれた地のりはない。

コンドの玄関からショツピンクセンターへは、アトキンソン通りを横切ることになる。右へYMCAの前、左アラモアナブルバード交差点といずれも、15メートルとは離れていない場所に横断歩道と信号機がある。
買い物をして手が塞がっている時などつい横着する。横断禁止道路を「まあええか」と渡る。さすがに「(孫)と一緒の時は絶対横着はしないように」とワイフと勝手な話しながら・・・
強い 風が道路を吹き抜ける。手に持つ荷物を落とす。WOW WOW!!
 
車が駆け抜ける。「バカヤロ!!!!」一瞬でも通路を妨害された運転手は罵倒する。意地の悪い運転手なら警笛を鳴らしながら、禁止道路を渡る我々をどう喝する様に、直近をスピードを上げて駆け抜ける。地獄を見ることになる。「こわい!!!」


ここは天国、ゆっくりと車は止まる。気がつけばすでに数台が止まってくれている。対向車線も合わせると十数台、思わずぞれぞれの車に会釈をして急いで横断を終える。目の合った運転手いずれも穏やかな顔をして笑みさえ浮かべている。
 
恥ずかしさにおろおろする。汗が吹き出す。「神様は責めない!!」
天国のルール・・・もう私たち夫婦が横着することは絶対にない。

 

 

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4) ハローウィン

ハローウィン
今夜はハローウィン、ワイキキ・ヨット・クラブのバーに居る。

パーティ客が 三々五々集まってくる。既に仮装したまま車で乗り付ける人たち。仮装の衣裳と用具を持参した平服の人。バーに人陰がどんどん増えているが、到着後なかなか仮装に取りかからない「シャイ」も交じる。その気になるまでバーカウンターで、1杯〜2杯お酒が進む。気分が和む。
パーティは6時からと告示してあっても、そこはハワイ時間。誰も急ぐ風はない。

男性群に。怪盗ゼロがいる。黒い帽子に黒い衣裳、お決まりのアイマスクは、ナイスガイの顔が見えないから、友だち達がまごつくかもしれぬ。腰に「Z」とマーク、マークをを切り刻む剣が腰に下げられている。
腰といえば拳銃、カウボーイハットにジーンズ、首に巻くスカーフのいでたちにも抜かりない。小柄な連れ合いはカントリースタイル、フリルのついた前掛けは引きずる程長い。二人揃っての演出も心憎い。

「アラビアンナイト」は湾岸戦争の最中で人気には、少し陰りが見えるというのは思い過ごしか? 

白衣を着た医者、胸に聴診器がひかる。往診の途中と見える。医者が持つ黒いかばんが小道具として雰囲気をかもす。「はーい大統領」と見ている側が訳分からず思わず声を掛けたくなる。

女性はオペラのヒロインカルメンが早々登場する。お淑やかさの中に情女カルメンの風情がある主人公は、グラス片手に早くも社交に如才ない。

NY自由の女神は年端行かない女性、手に持つトーチが電池で光る。アメリカ人なら11/19日の鎮魂、NYヘの思いは苦い痛みが走るだろう。

ウエディングドレスも女性の仮装の定番、若い人がこれに挑むのは普通だが、おばあちゃんがの例もままある。これがまた愛嬌・・・若い花嫁衣装の仮装にお願いして、一緒に写した「記念写真」が一番多いのではないだろうか。

ハローウィンでアメリカ人の好きな魔法使いは男女とも必ずにいる。トンガリ帽子に黒い衣裳、箒でも持てばすぐに様になる・・・・・
     
それにしてもアメリカ人のこの稚気はなんや・・・・お金があるとか? 時間がないとか?人がどう思うかとか? 日本人もっと人生楽しみだという瞬間を積極的に作るべきだ。
自分達が自分のサイズにあった人生をたのしむ、それは人生を受動的に過ご すことではない。人生の今という一瞬を、愛おしむように生きる達人達のようだ。人生の達人達に神のお恵みを!!!!

私が決めたこの日のN01の登場、こうなると両親の仮装はほとんど印象にない。あまりに小さい赤ちゃんに「いつ?」ときいたら「24日」、生まれて3日しか経っていない。デリバリーを終えたばかりの赤ん坊を連れての会への参加はもう仮装という洒落ではない。日本なら親子共々産院のベツドで、未だ横たわっているところだろう。

「ご存じでしたか?」
つわりはMorning sickness   陣痛室はLabor Room(仕事場) 
分娩室がDelivery room(受け渡し所)・・・・ といいえて妙です。
これも旅で知る楽しみのひとつだ。赤ん坊を見ていて話が横道にそれた。
       
カルチュアショツクと感傷にふけっている場合ではない。おむつの交換する。適当な場所がないなら、舞台のそでにおいた打楽器「ボンゴ」の上で始末する。
「まな板の鯉」と「諦観と度胸の座った様子」を表わす言葉が日本にあるが、パーティ会場ボンゴの上でのおむつの交換の様子は、料理する側の印象が華奢な母親だけに、その胆力にはただただ驚く。

日没前出帆していったヨットも戻った。ぼつぼつパーティは佳境に入る。

おくるみに包まれた赤ちゃん、ほとんど小さな手荷物でしかない。彼がこの世で一番最初に出席したパーティはハローウィン。

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5) のど自慢

 5 のど自慢
 
日本とハワイでは19時間の時差がある。日付け変更線がこの二つの島の間に引かれていることを知れば、ほぼ一日に近いこの時差も理解できる。
但し実際は、日本とハワイを往復して住んで見ると、一日遅れというよりは、5時間ハワイの方が早く、日本は5時間遅れと考えた方が、連絡など取りやすい。

大相撲。武蔵丸と曙・・・・ハワイ出身の横綱が二人も在籍するだけに大変人気が高い。
“We proud of Akebono & Musashimaru"というコマーシャルがTVで流れる。日本の国技といわれる相撲に、外国人としてはハワイからの入門が最初では無かったか? 
そして東関親方を先導として、小錦、曙、武蔵丸とそれぞれの力士が活躍する。そもそもポリネシアの人たちは格闘技に向いた体躯をしている。しかし心根はいずれも優しい。格闘技には優しすぎると、日本人ファンが心配するところでもある。いずれにしろ地元は英雄たちに熱くなるのは当然だろう。

実況放送と解説は英語だが、それでも伝統的な相撲用語はほとんどが日本語そのままで、異国で聞く相撲放送は少し淡々としている感じはあるが違和感は無い。。
小錦はオアフの西の方ナナクリ出身、曙は反対側で、曙そっくりで美人の母チャンが店をやっていている。観光コースにもなっていて、彼女と一緒に記念写真を撮った人たちも多いはずだ。武蔵丸についての消息はない。

太相撲の放送は日本から生(LIVE)で伝わる。幕内中盤日本時間4時30分は、ハワイでは午後9時30分。横綱の取り組みの終わる6時は、現地では11時、眠い目をこすりにながら観戦ということになる。眠いのを辛抱するだけならば何の不自由もない。
 
千秋楽は必ず日曜日。しかしハワイでのTV観戦だと土曜日の夜という珍しい経験に、一瞬頭がクラットする。

ハワイのサンデー、朝8時はNHKのど自慢、これも人気が高い。この放送は日本各地を転々とするから、お国自慢と懐かしい風景にも出会う楽しみもある。
 
朝食、味噌汁をすすりながら聞く連だの鐘の音。日本でなら日曜の昼、食事をしながら聞く放送を、ブレックファーストでというのも、慣れるまでは何とも奇妙な体験だ。少しずる寝をしておれば「鐘の音」が目覚ましになる。

日本人のあなた、「のど自慢」の手拍子と鐘の響を耳にして、寝続けられる自信がありますか?

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6) 雨


快晴続きのホノルル、めったに本格的な雨は降らない。
テレビをひねったら、FOX NEWSが雨に煙る、ニューヨークの都心の映像を送電している。
ウエットな日本から来て、雨が素敵という思いなど無いはずだが、久しぶりの大都会の雨の風情に、心和み暫く見とれる。

今年の夏ホノルルではほとんど雨が降らない。明日は今日と違う日本のめまぐるしい気候の移り変わりは、それだけに「その時節を惜しむ」という想いが強く、ある種の無常感を生む。雨の日が結構好きだという人もおられるが、快晴に恵まれた一日の夕刻、明日はもう続かないという諦めと寂寥感は、わたしには耐え難い。

明日もほとんど今日と一緒と思える現地での生活に慣れると「一瞬を生きる」「生きざるをえない」日本の息苦しさから解放される。この国には間違いなく今日と同じ快晴の明日がやってくる。

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7) ガイド

ハワイに日本人観光客が姿を見せはじめた1960年後半,日本語のしゃべれるガイドの育成が急がれた。バス会社に勤務していたMIKE 氏、レクチュアーを勤めた上司のきつい広島訛に参った。あたかも広島なまりでないと、日本語でないみたいな雰囲気があった。当時日本語がしゃべれるほとんどの人が、熊本弁か、広島弁、移民として一番多かったから当然といえる。

初期のハワイ観光ツアーの客は、ガイドの広島・熊本弁の歓迎を受けたはずだ。それも日本では戦後ほとんど使われなくなった、生粋とよべるローカル色の強い言葉、日本人観光客はハワイは何と遅れた国と驚いたに違いない。


ダウンタウンのコインシヨップで、珍しいコインを見つけた。TOKEN・・辞書を引くと(地下鉄・バス料金などに用いられる代用貨幣)という項がある。
ニューヨークの地下鉄がそうであったように 1950年代ハワイのバスに乗る時に、切符として流通していたコインだ。1951年製のトークン・・・HONOLULU RAPID TRANSIT COMPANY LTD.(ホノルル高速輸送株式会社)コインに文字が入っている。バスしか主要交通機関がないはずの、なぜ高速という文字は入っているのか不明だ。真ん中にフラを踊る女性像、いかにもハワイらしい意匠で、ワイフはこれに鎖をつけてネックレスとして愛用している。
偶然店に居合わせた日系人ご夫婦、お似合いといえる感じのいいご夫婦だ。 男性81才が若い頃実際に使ったと教えてくれた・・・・歳月を数えれば「さもありなん」と思える。 立ち居振る舞いはカクシャクとしておられる。女性は控えめな態度が眼につく。

しばらくおしゃべりが続く中、最近の日本人の言葉使いの悪さには、「辟易する」と、難しい言葉で辛口のご意見がでる・・・・・
「扉(とびら)」のことを「ドアー」という 。良い日本語があるのになぜわざわざ英語にかえてしまうのか?
英語圏に住んでいる先達がいう。ごもっともが多い。
「へち」?・・・・広島の古い言葉か? 「へち」が「 ボタン」だと理解できるまで少し時間がかかった。
「へち」という方言はわたくしも理解できない。

時代の影響を受けない「古い言葉」は、現在の日本語との乖離をいやというほど感じさせる。西鶴や近松、日本文学さえもう読みつらくなっている。 
あなた方は60才台、まだまだお若い。ハワイを楽しんでくださいと励まされて別れた。
それにしてもハワイの日系2〜3世がしゃべる日本語が、総じて丁寧できれいと感じるのは私だけだろうか。彼等の先代がこの島に渡ってきた時代、日本人が持っていた「慎み深さと含羞」をそのまま継承している。

寅さんが逝って随分経つ。
「 寅さんに会いたい。95年の最終作「紅の花」の舞台となった奄美大島、加計呂麻島。生間港に近い諸鈍集落で、通りかかったおばあさんに「リリーさんの家はどこでしょう」と訊ねると「ああ、あそこの緑色の屋根の家ですよ。でも、リリーさんは今、留守かもしれません」という答えが返ってきた。
「リリーさんの家」はディゴ並木の中ほどに現存していたが、雨戸が閉まり、寅さんとリリーはどこか旅行中と見えて留守だった。」と記事の切り取りがある。

寅さんは亡くなったが映画の舞台は当時のまま残っている・・・ハワイの日系人たちの使う言葉も時が止まっているのだ。「慎み深さと含羞」をなくした日本人、文明・文化は進化するが、言葉が必ずしも進化しているかは疑わしい。日本人の私でも日本語の乱れに辟易する。

友人ジョイスに見舞いを届ける。ジョイスと呼ぶように体格が良くて貌も外人にしか見えない。日本語が上手で日本人より慎の深い3世だ。すべてで日本人より日本人らしいかもしれぬ。「筋腫の手術はもう大丈夫」です・・・・・ 勤め先の日本企業が破綻しでハワイ撤退が決まって 事務所の残務整理をしている。
「そのうちにわたしも立ち直るでしょう」と、切り変える逞しさも備えている。仕方がないとはいえ日本企業の衰退が、現地の人たちの生活に影を落とす。他国で営む、あるいは住む、に際してその国に迷惑をかけないという「慎み深さ」を欠いてはならない。


MIKE氏の話は続く・・・・・時代が下って、観光客が増えるに従い大都会からの顧客が増えると、流暢な大阪弁を話せるガイドが大もてになったと・・・・・・・

大阪弁に関するアンケート、大阪人が後世に残したい代表言葉の一位は「おもろい」だ。
当時のガイドも観光の合間おもろいを連発したはずである。これが今日のハワイの楽しさを作り上げたといえるかもしれん。間違いなく「めっちゃおもろい島」ではある。


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8) ハーレダビットソン

ハワイ、アラモアナ、ここは世界有数といわれるシヨッピングセンター、このプロムナードを疾走するハーレダビツトソン、運転する女性がデパート入り口のドア−を開けて欲しいと乞う。
ハレーに見立てた車椅子、ヘッドライトはほぼ純正、ハンドルもピカピカのTボーン、車体の左右に振り分けた鋲打のかばん。着ているドライバースーツは半端ではない。暑い当地さすがに皮製は実用的でない。布製黒のライダー用シャツとズボン、覗く手首に入れ墨。心配なさることはない。これは日本のように身体にキズをつけなくとも、お洒落でやれる張り絵。車体からはみだした靴は鋲打のブーツ。「片方の足がご不自由?」らしい。ドアーをくぐる。

「Thank you.」ことに都会に住む人たち日本人が、既に無くしてしまったはずむ挨拶に、こぼれるような笑顔を重ねたお礼が届く。
「You're welcome. 」こちらに住んでみて一番使いたい言葉を返す。
元気でオシャレなおばあちゃんが通り過ぎた昼下がり、SCに屈託ない時間が流れる。

ハワイ、ハンディキヤップ対策は、ほぼ万全といえる程に整備されている。車椅子に乗れば健常者と同じく町中何処へも自由に出かけることができる。日本よりハンディキヤップ者が多いように見えるのは、それだけ普通の生活ができる社会ができているからだ。車椅子のまま主要交通機関The BUSにも難無く乗れる。ほとんど不自由なく過ごせるが、万一の時はみんなが見事といえる程の早さで手を貸す。障害者と接触する機会が多いから、手助けすることに社会が慣れている。

コンドミニアムのプールに車椅子が来る。ゆっくり椅子に座ったまま服を脱ぐ。ほとんど自由の利かない足に、窮屈な手順でスチロール製の浮き具をゴムで止める。車椅子からプールの水面まで少し距離があるら、側にいた人が手を貸そうとすると・・・・本人は柔らかく拒否して、腕をテコにして「ドボーン」
キックは使えないが、彼が泳ぐクロールはすごい。泳ぎはえんえんと続く。

「強者が弱者を助ける」は人の道として当然だとしても、誰が「弱者」と呼べるのか? 疑問が湧く。
プールサイドにハワイの明るい日射しが降り注ぐ。

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9) ハワイ島沖地震

阪神淡路大震災を経験したわたし、地震といえばドキツとする・・・・・・
ハワイでM6?の地震が起きてお見舞が殺到した。というのはオーバーだが、友人達からお伺いが届いた。お答えする側が向こうにいなかったから、状況は分からぬ・・・火山が現役で始終爆発している國。地震の無い國とこちらも信じていたから驚いている。後で調べたら250年に1度とか大きな地震に見舞われている。 AP通信によれば1983年M6.7、1868年M7.9の地震があり77人が死亡した。 いずれにしろ日本の地震頻度から気の遠くなるような数字だ。

耳と目をダンボにして情報を集める。今回の震源地はハワイ島のコナより海中といわれる。後で分ったことだが震源地に近いコナのリゾートホテルは、壊滅的な打撃を受けた。数年経った今も営業するに至っていない。

ところが日本メデイアの報じる映像に、ハワイ島からの物は無く、オアフ島ワイキキでの現地情報だけ。北海道の地震を大阪で取材しているほどのものだ。当然家屋の倒壊などの映像はない。ワイキキの通常の映像が流される。ホテルに止まっている客が停電で困っているといった話だけがくる・・・
現場を知らない人がこれを見たら、「ああよかった」という印象しか無いはずだ。メディアがウソを流したというと、無差し障りがあるが、取材というものの限界を露呈していた。現地の友人達にメールを入れたがこれに返事は来なかった。何かあれば向こうから連絡が来るはずだ・・・・この方は前述の停電の後遺症だった。


おもしろかったのはN君からの見舞い・・・いつの間にかコンドが1戸建てに、ワイキキの拙宅が、ハワイ島のヒロに変わっていた。もともと少し軽薄な感じのする友人の1人だが、地震見舞いが人格をもろに露呈していて、なるほどという印象を改めて感じる・・・世界通を任じるからハワイ島、ヒロという地名まで出てくる。A君の悪口を書くつもりは微塵も無い。男の「知ったかぶり」としゃべり過ぎは慎みたいと自戒している。 世界通を任じるからハワイ島、ヒロという地名まで出てくる。

ちょうど日時をおかず用事があって来島・・・コンドに地震の跡形といわれるもの・・・TVの上においてある、リモコンが床に落ちていた。

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10) 秋を探しに


息子や孫からの日本の秋のたよりがとどく。
ハワイで「秋の空が広がる」とアナウサーが話すが私には実感乏しい。
年間通じてほぼ気温が一定の島で、変化の一番は日足だ。さすがに10月も最後の週になると、帳のおりるのが早い。

秋を探しにタンタラスの丘に登る。観光名所の一つとして知られるここから眺めも、今まで立ち寄ったことがなかった。ホノルル全体が一望できる。海と山との間に東西に長く続く町、世界に人が住むための適地として選んだ、この地形の町は少なくないが、規模と形が私が住む神戸に似て、改めて親しみを感じる。

帰路コンテンポラリーギャラリー、ここは何度も訪問したから館内の鑑賞はせず、Lunchを取る。珍らしく乾いたフランスパン、カスクード・・・カフェオレも合うが、ここはアメリカ、バトワイザーでやる。勿論オープンカフェ・・・・木々を揺らせて風が吹き抜ける。

木々に囲まれた庭が素晴らしい。大木に囲こわれた空間は、何処からでも海と一緒という、ハワイらしいものを全て否定している。鬱蒼とした木々の森が、手入れの行き届いた芝生に濃い影を落とす。適当な場所を見つけて芝生に座る。日本で有名な博物館というと、人込みにまぎれて疲れに行く場所だが、つい先ほど遊歩道を奥に歩いていた人以外人影はない。静かさが聞こえるというくらいの雰囲気だ。少し落ち着いて目を巡らす。一カ所木々の重なりが見事というほかないように外れた所があって、すき間からワイキキのシンボルダイヤモンドヘッドが小さく望める。緑の額縁にハマったこの景色は、絵葉書にも登場する。時間がとれれば至福の時に巡り合える。芝生に寝転んでしばし白昼夢を見て欲しい。

*絵画ポスター1枚$28.00・・・・額縁をあつらえて部屋に飾ってある。


夕刻メインランドへ留学中の友人の娘へ長い便りを書く。この人恋しさは秋かも知れません。 秋の夜長はこうして更けていきます。

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11) NYの友への手紙

ご無沙汰しております。おかわりございませんか。

NYでテロが起こってちょうど1ヶ月、早いといえば早い時の流れです。
NYは被害を受けた特別の土地、しかもアメリカの戦争の歴史でも、自国内が攻撃被害を受けたという記録は、私のいるハワイ真珠湾以来でしょう。国民のシヨックも大きく当然反応は違うでしょう。とうとうアメリカtが報復戦争を始めました。

こちらの新聞のコラム、「メインランドに比べたらハワイは、国を挙げての戦いに意識が欠けている」と、たまたまメインランドから来た人が書いた記事が物議をかもしました。
観光立国、他国から来た観光客中心の、ワイキキビーチを見たらそう感じるかもしれません。
しかし、どうしてどうして、いたるところに星条旗がはためき、国をたたえる歌が流れ、バッジを胸につける人々のようすは、日本人の私が公平に見て、平静穏やかなロコ達、この機にに及んで国を憂う意識を欠いているとは思えません。

今回の戦争、相手がテロ組織ということ、国際社会対テロリズムとという新しい構図の戦争と考えたら、20世紀の国家間抗争を仮想した防衛議論も、見直さざるを得ない所にきていることは確かでしょう。日本だけは大丈夫という保証はどこにもありません。
国会の議論などの、「自衛について」の日本国民の意識の低さを恥ずかしい思いで心配しています。もちろん参戦に賛成していません。60数余年平和に過ごせた日本、アメリカはこの間も朝鮮戦争、ベトナム、湾岸、そして今回のイランと数えると。戦っていなかっ時はないほどです。
21世紀もうぼつぼつ話し合いで解決できるものを増やすべきではないでしょうか。
難しい話はこの辺で・・・・

急に日暮れが早くなってきました。四季感の乏しいハワイ、昼間の太陽の輝き、空の色、雲の流れに秋を感じることはほとんどありません。たださすがに南の島も、夜明けと日没の時間の変化に季節の移ろいを感じる昨今です。

マジックアイランドへの散歩、家を出るのが少し遅かった。海に日が没するのを眺める場所に到着するまでに、大きな夕日がパームツリーの葉隠れに沈む。「まって−」思わず駆け出す。秋の夕日はつるべ落とし、息を弾ませて到着したころは、大平洋の彼方に日が沈んでしまって、ちょうどその辺りに動いているように見えない船が黒い点になっています
日が沈む頃夕焼け空が見れるという、子供の頃からの記憶は、正確でなかったことをお教わります。夕焼け空のドラマは陽が没してから始まります。

ハワイは海に囲われた島、しかし住んで感じるのは、空に囲われた島というのが実感です。空というスクリーンにドラマが写し出されます。遮るもののない水平線の彼方に今沈んだ太陽が、最後のいのちを燃やすのです。地上にはもはや届かない光を、黄昏れの残る冲天を矢のごとく射るのです。光は雲の群れの形・厚さに反映される。形も色もいろいろ。

7月に見た夕焼けは、今までの人生でもはじめてといえるものでした。
あかね、オレンジ、むらさき、金色・しろ、黄色、ブルー、グレー。絵の具のすべてをひっくり返して、それでも足りない色彩が、混じりあつて、ドームの天空を焦がしていました。
「夕焼け小焼け」と歌われる日本の空は色も淡白で、夕焼けの規模が「童謡」だとしたら、これはもう「オーケストラ」の大演奏、「どどどーー」と身体に響くような光の洪水に包まれまれて放心していました。

それに比べたら今日の夕焼けは、澄み切つたたそがれの空に、掃いたような雲がたなびいてピンクの濃淡で染まっていました。散歩を楽しむ人たち、私の横をスケートボードが帰路を急ぐようにスピードを上げて通り過ぎます。

ようやく夕闇に包まれる気配が色濃くなっています。
潮の香のあまりしないハワイのビーチ、その石積みの中から「チチチチチ!!!」
虫の声を聞いてハッとして立ち止まりました。

やはり平和の方に軍パイがあがります。 親愛なる友へ マハロ

 

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12) 隣のトトロ

孫が「隣のトトロ」と「隣のアラモアナ」にいま夢中だ・・・・・コンドミニアムからの散歩はアラモアナというのが日課になっている。
ゆっくりアラモアナを歩く・・・もう見つくしたというほど見て歩いた。世界の名だたるブランド店が出揃っている・・・・・しかも一様にマーチャンダイジングの多様化が進む。分かり易い話が、モンブランという万年筆メーカーは、本業の万年筆は極一部しか置かれていない。万年筆が斜陽であることは認める。そこで新しい商品群を育成して活路を開こうする。どうしても自店の専門性は希薄になる。しかし他ブランド店でも大なり小なり同じような発想だ。
手っ取り早いのが時計とバッグ類のようだ・・・・・これは下請け群が活躍していて、入手しやすいのでは無いか?と疑ってしまう。

「企業で規模的発展が無いとたち行かぬ」というマーケッティングは理解できる。しかしすでに世界的名声を確立、相応の規模にまで成功を重ねたブランドが、そんな安直な手でしか成長を考えないのは、ブランドを潰しているようにしか見えぬ。

ルイ・ビトンはかばんメーカーとしての製品力は世界一だ。この商品はヨーロッパで世界中ですでに何代も、使い続けられて名声を確立した。しかし靴や衣料にまで手を伸ばして、専業を凌駕できる商品が誕生できるとは思えない。エルブイのマークが付いたら何でも売れると安直にお考えか?

ファツションメーカーはファッションに、靴メーカーは靴に、かばんメーカーはかばんに・・・・時計メーカーも同じ・・・ローレックスもニーズの多様化に対応というのだろうが、あれほどの種類をつくり出す必要が本当にあるのか・・・・この際少し立ちどまって「規模的成長」を望まぬ方針を打ち出すのもトップの英断だと思うのだが・・・

「マスプロダクション・マスセール」20世紀を席巻した拡大路線の終焉。 その上21世紀は「大量消費」にもブレーキがかかろうとしている・・・・過去のマーケッティングが、すでに時代に適合していないことに気がついていない。

昼下がりのアラモアナ、オープンエアーだから常夏の日差しがSCの通路に影を落としている。
「日だまり」と「陰り」21世紀が終わる頃、ブランドの栄枯盛衰を見ていたいという思いが頭をかすめる。孫なら可能かなあ・・・・・

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13)ハワイの雪

アラモアナシヨッピングセンター中央に位置するデパート「ニーマンマーカス」ハワイへの出店は新参だが、アメリカでは名にしおう老舗だ。

11月オフホワイトの店内がクリスマス商戦をひかえて、飾り付けが変わる。
ちなみにこのSCには4店のデパートがひしめく。しかも各店が住みわける。取り扱うXマスのオーナメント一つを見ても、材質・価格・嗜好などそれぞれの店で異なる。日本のデパートのようにどこもみな同じというようなことはない。華やいだ赤にグリーンの組み合わせが溢れる街中で、高級店程色を控えてシックにそろえる。

2階正面を入ると化粧品、このコーナーを通り抜けて、建物のほぼ中央上下2台のエスカレーターのスぺースが贅沢に取ってあり、4層の天井まで大きく吹き抜ける。トップに四方天窓が付いていてハワイの青い空が望める。

糸一条に白い蝶と小さい銀色のメタルが、交互について天井から釣り下げられる。一本の糸に何匹蝶が舞うのか、数えることはできない。この糸がびっしり吹き抜けを埋める。空気の薄い流れの中で蝶はほとんど動かない。見る側が移動するからメタルがキラキラと反射する。

近づいてエスカレーターを使う。当然エスカレーターの昇降に差しつかえがない範囲に飾り付けしてあるとはいえ、何万、何十万、何百万、蝶々の乱舞の中に身お置くことになる。

ゆっくり昇るエスカレーター、一瞬、蝶とキラキラ光るメタルが降ってくる錯角に捕われる。吹き抜けの天窓のカギ取った真っ青の空から、ハワイの雪が降ってくる。

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14)学校教育

日本での不登校、小中学生でおおよそ15万人いるそうだ。この数が多いかどうかはなんともいえぬが、困難な社会現象であることに違いない。この子たちのケアーはどちらかというと、学校を離れてしばらく好きなようにさせるというのが、日本的一般的処置だそうだ?。
当事者と家族を含めた苦悩を、こう単純に切り捨てると暴言にも聞こえる。

ハワイで登校拒否は、家族に罰金が科せられる。・・・・手段の善し悪しはあるとして、義務教育はあくまでも義務、義務教育期間中この義務を、理由の如何があるとしても放棄することはできぬない。このスタンスの違いに私自身が驚く。
言葉は飛躍するが、例えば兵役は義務、この国に生きる限り放棄は許されない。「義務と権利」に裏打ちされた民主主義の精神と体現がこの国のルールである。
 
日本の学校教育、不登校もさることながら、低学年に及ぶ荒廃はハワイでも評判だ。
銀行勤務のみどりさんは、離婚しても日本に帰る気はさらさらない。子供を日本の学校へ通わせることなど、恐ろしくて考えられないという。断っておくが離婚率の高いハワイで、少なくとも離婚する気配はない。

ハワイでも学校になじめず「ヤッカイ者」だった子供が放校になり、行くところがなくて、止むを得ず日本へ行った。日本での学校生活を体験して、同世代の荒れように「もうこれは無茶苦茶!!」ハワイの荒れようとは次元が違うと改心、結構真面目になって帰ってきたと話した。

チンピラヤクザが本物を見て、驚いて足を洗ったようなものだ。
こちらは離婚組、学童を抱えた朋子さんが家に来て、「オカキ」と日本茶で話が弾む。

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15) 癒し

さすがに見るものすべてに新鮮な驚きはなくなった。とはいえハワイの魅力は気温です。外気20〜28度、年間気温が一定していて、天然のクーラーの中にいるといっても過言でない。飛行機から下りて入国審査を終え外へ出た瞬間、 包まれる風と花の匂いにはいつの季節でもため息が出る。特に厳寒の日本から来て冷えきった身体にはたまらない魅力だ。

ところが、滞在して一週間くらい立つとある変化に・・・・・ 序序にからだは暖まる。今度は芯までとろけるという感覚に気付く。これは温泉療法も同じで、数度の入浴も気持ちいいものではあるが、本当の効果に結びつくには日数を要するのに似ている。時間が寒さの「刺」 を完全に取り去り、肉体と気を蘇生させる。日本から引きづってきた冬から解放される。残念ながら観光客はその感触を得る前に島を去る。
ほとんどのツアーが5日と6日コースに設定されている。2日間は飛行機の中、本当の滞在期間は3〜4日。勿論事情はあろうかと思うがこの島では1週間以上滞在してほしい。癒しの島の魅力は倍増するはずだから・・・・


プールサイド、日本からもってきた書籍、慌てて読まねばならぬ要もない。プールとジャグジーでぼんやりする。ハワイといえば泳ぎの本場、ここへ来て泳がぬ人は、折角の天国からの贈り物を放棄したことになる。もっとも夏場は気を付けないと、陽射しが強いから焼けどをする。からだがヒリヒリして一晩中ベッドの上ではえずり回ることになる。滞在中一番多い飛び込みの患者はサンバーンだという。

ハワイの勤務、朝も早いが終業も早い。その上通勤に時間を要すること、われわれの比ではない。ロコ達は夕食前までの時間海に入る。サーフィンを楽しむというのだろうが、かならずしもそうでない。海に入り波と戯れる心地よさを知っているのだ。
プールサイドでの所作も、一生懸命泳ぐというのは子供達か、エクササイズのプログラムを消化しょうという人たちだけだ。普通は少し傾きかけた太陽と対峙し無聊の時間を過ごす。デッキチェアーは時計の針のように少しづつ傾く陽を追う。悠久という時間に身を任せている間にカラダが乾いて少し火照る。するとプールやジャグジーにつかる。
水から上がったカラダを陽と風が乾かす。カラダについた水分を気化させるこの時の感触は特別で、これを数度くり返すとデツキの上に贅沢で上質の時間が流れる。騙されたと思って滞在中は必ず、現地人のように水に漬かってほしい。

ワイフと娘が合流する。彼女達はジャグジーでしばし ・・・・・
シャワーを浴びたらYacht Clubのバーへ、少し盛装した彼女たちと食事に出かける。


     

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16) コーヒーブレイク

この辺でコーヒーブレイク

お疲れさま・・・・拙著をお読みいただく皆様に・・・・コーヒーブレイク
空港へ着いたとたん暖かい風と花の匂いに包まれる。常夏の島でプリメイラなど香りの強い花が、年中咲いているから当然といえば当然だが・・・ハワイの匂いにはもう一つコーヒーの香りが混じる。アラモアナSCなどを歩くと焙煎中のコーヒーの馥郁たる香りが・・・・これもハワイの匂いだ。

コーヒ豆の品質の良いことはハワイ産「コナ・コーヒー」が、ずば抜けた価格で取引されているのを見るまでもない。 コーヒー本来の香りとほろ苦い味覚、これが世界中のコーヒー飲みを虜にしてきた。日本人の好きな「キリマンジャロ」「ブルー・マウンテン」「モカ」など既に高い知名度を有する。

ただハワイのコーヒーが他国の追従を許さないのは焙煎に特徴があるらだ。フレバーコーヒーと呼ばれ バニラ、ナッツ、チョコレートなどなどのエキスをブレンドして、甘い香りがコーヒーについている。どの香りが自分の嗜好にあうのかいろいろ試してみるのも楽しみだ。とはいえいずれの香りにも嫌だというようなものはなく、それほど神経質になることもない。おそらくコーヒー通を任じておられるご仁も、初めての経験だとおもう。案外コーヒーを嗜まない人も魅了される。

ハワイ土産としても一押しだ。手頃で移動にもさほど嵩張らず荷物になりにくい。友人たちに差し上げて一番喜ばれるものの一つだ。
ライオンコーヒーはハワイを代表するコーヒーの一つ。10数年前ハワイのコーヒーというばライオン一色だった。今日この魅力が人々に知られることになって数社・数十社がいろんなブランドで競合している。コーヒーは世界的に高くなってきた。さすがに$3台(7oz/198g)は少なくなったとはいえ$4〜$5で買える、競合が激しくなったからその時々店頭価格をチエック、利口なものを選べば良い。


家でのコーヒーが一番美味しい・・・
日曜の朝、ハワイのコーヒーをたてる。熱熱の湯気・・・フレーバーコーヒーの 甘い香りが部屋中に漂う。アロマ効果を生みきっとあなたを夢中にさせてくれるゆっくりした時が流れる。暑い夏場はコーヒーにミルクをたっぷり・・・わたしの世代だと「カフェオレ」と呼ぶが、若い人たちは「コーヒー・ラテ」とイタリア仕立てだ。クラッシュした氷(現地の冷蔵庫ならどんなタイプの製氷も標準タイプだ)を加える・・・・
バニラアイスクリームを浮かせたらもう一級のスィーツが出来上がる。


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17) もう一杯 コーヒーを

もう一杯コーヒーをどうぞ・・・・・・
「スターバックス」、シアトルから来たコーヒーチェーンが、不況下の日本で快進撃。どんどん店数を増やしている。イタリアンコーヒーをベースに、蒸気でミキシングしたホイップミルクを加え、コーヒーが見えない紙容器で飲む。香りより味と食感に特徴があるように思える。コーヒーを飲まない女性に支持されているのを見ても、日本の喫茶店文化に風穴をあけたことは確かである。

食べ物の嗜好は人それぞれ、コーヒーのような嗜好品はことに難しい。ブルーマウンテンやキリマンジャロ、「香りと味」苦味・酸味に好みが別れるまた継続すると味に慣れ過ぎて、感激乏しく感じるのは、香水と似ている。両方とも香りを楽しむということでは同じかもしれぬ。時々変えて楽しみも倍加する。
楽しむコーヒーの世界、そんな日本で比較的知られていないのがハワイアンコーヒー。この方は香に特徴があって、フレーバーを加味したハワイのコーヒーはオリジナリティがあって、誰でもが識別できる。

アラモアナシヨッピングセンター1F 中央にコーヒー屋さんがある。馥郁たるハワイアンコーヒーの香が、通路まで立ち篭めるから、否応なく店の存在に気が着く筈だ。コーヒーを店頭で立ち飲みすることもできるが、本来は豆を売る店。コーヒー豆は格好のハワイ土産でもある。
「レコメンド」良く売れる種類、人気の品種を聞いて買い求める。少し高いがコーヒー通なら必ず虜になる。


北陸路の秋、黄金色の田園、自動車を止めてコーヒーを発てたOさん。こちらはコーヒー「おたく」と呼ばれる人がこだわるドリップル。道具一式自動車に常時積んである。電源は車のシガレットライターから、水を沸せてネルでコーヒーを漉す。野立てという日本茶の作法もある。コーヒーではダメということも無いだろう。稲穂を揺らして透明な風が脇を通り抜ける。

お湯がゆっくりコーヒーに染みてぽたぽた、褐色の液体が容器に序序に量を増す。畦に腰をおろして飲んだコーヒーの美味しさは忘れられない。その人も今年逝った。

年一回の温泉招待、忙しい時期芸子が居らずに、引退したおばあちゃんが代役で登場、宴席が終盤近くなって、接待する側のOサンは現地の人だから、いつもの馴染みの芸子がいて早々に部屋へ退散。される側のYくんとわたし、毎年手の早いY君、今年はその席で狸寝入りは、白々しくて何が何でもひどい。

残ったわたしとおばあちゃん芸者。「コーヒーを飲みに行こうよ」とわたしから誘う。考えてみれば北陸一流の料理旅館、頼めばコーヒーくらいは出るだろう。「どこか喫茶店がある?」心得た足取りで夜の帳が降りた温泉町を一直線に歩く。晩秋の北陸さすがに夜気が冷たい。浴衣に羽織の旅館の着物では冷える。深夜に近く到着した喫茶店は終っていた。仕方が無い。

はじめからコーヒーはどうでもよかった。その日相手にされない芸者に気まづい一瞬があって、とにかく外へ出た。鄙びた神社にボーツと裸電球の外灯がともっている。
「ここで待つとれ」と色気には程遠い言葉付きで彼女は消える。ほどなく戻ってきた彼女、缶コーヒーが二つ、社殿に背を向けて使い込まれた石段に腰をおろして、缶のふたをあける。コーヒーの香はほとんどしない。甘味とコーヒー飲料という風味が特徴で、普段は飲んだことは無い。暖かさが口中に広がる。彼女の風情は覚えていないのに、この時のコーヒーの思いでは鮮明だ。
少し甘さに苦味の交じったコーヒーの味は人生に似ている・・・

コーヒーにまつわる話は尽きない。ハワイには先に述べたスターバツクスの瓶詰めコーヒーがコカ・コーラから発売されている。この方はスマイルとメローなハワイの生活と同じくひたすら甘い。

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18) 虹

                                       第一章
バレンタインのプレゼントが日本から届く。さすがにうれしい・・・・

思いきって正月を海外で過ごすことも何度か経験した。これはもう日本の正月に叶うものは無い。ほとんどの国国、元旦は休みとして、「カレンダーが新しくなった日」という素っ気無さは、句読点を欠いた文章のようだ。年のはじめに改まった気分を持たぬまま、だらだらと次の年に入っていく行く感じは馴染めない。
 
町中が掃き清められて、凛とした寒気の中迎える初春、息子や娘や孫達と祝う屠蘇、初もうでによらずとも、真っ白なページに、誰もが今年の願いを懸ける。正月は日本人の心に結承をつける儀式のひとつだ。正月の行事を一通り終えて、税の申告の資料を揃えてと、旅立ちはどうしても1月末ということになる。

「大寒」それにしても寒い。四季の移ろいはこの国の恵みというが、日本の中央部に住んでいても、冬期はほぼ0度、夏場は35度を超す。その上湿度の高さが住みにくさを倍加させる。世界を知れば知るほど、この国の気象がさほど恵まれたものではなく、ハッキリいうと劣悪の部類に属するのでは無いかとおもう。建物内部は快適になったとはいえ、しょうことなしにひたすら耐えて暮らす。

今年の正月休み息子達家族が久しぶりで出かけた。家があったとしても、航空運賃だけで、20万円/1人は悠に越える。価格が「需要と供給」で決まると承知しているが、閑散期との格差は大きすぎる。
「大井川の渡し」利用客の困窮に付け込んで、駄賃を吹き掛けた彼等を「雲助け」と呼んだ。世界を飛ぶ航空会社が、同じシステムから脱せぬまま存続を続けている。IR活動に力を入れていても、企業イメージを損ねていることおびただしい。

年末年始のピークを越えた時期、さすがに空港も閑散としている。逆にいえば旅慣れて、時間を自由に使える人たちがこの時期を選ぶ。ハワイはリピーターが多いから、家族単位や少グループが目立つ。アジアはSARE'S、アメリカ、ヨーロッパはテロ・・・・
景気の低迷が全体的に影を落としているとはいえ、減便中の機内は満席に近い状態が数年続いている。

7時間のフライト、冬期は偏西風の応援を得て往路は早く、帰路は時間がかかる。新幹線ができて大阪〜東京は驚くほど縮まった。それでもさらにという思いは募る。
ことに帰路はもう少し縮まらないか? 欲望は際限ない。

機首を下げた左手の窓に太陽を背にしたコウラウ山脈が見えてくる。大概この時期山頂に雲がかって、強風に吹き飛ばされる。ホノルル空港はもう近い。


第二章
どんな旅も見知らぬ土地への第一歩はわくわく、ぞくぞくする・・・・
返還前の香港カイタク空港、「油と潮と消毒臭」が混じって、決してほめられた臭気では無いが、これが独特・・・・・「おお・・香港へ来たぞ・・・」と深呼吸した。

訪れる土地の魅力は2種類ある。一つは尖った旅、「トゲトゲ」が一杯の旅行、とげの数が多いほど緊張感が持続してそれがおもしろい。古いものと新しいもの、西洋と東洋、豊かさと貧しさ、その上多少の危険もはらむ。この「混沌」が魅力を生み出す。前述の香港は象徴的な都市だったが、NYをはじめ世界の大都会は、ほぼ同様の魅力を持つ。緊張と刺激のの続く旅、年を取るにつれての興味は少し希薄になった。
ついでにアジアの都市、昨今は随分近代化が進んできた。とはいえこちらは「トゲトゲ」もあるが、一方で古い時代の日本を見ているような、のどかで懐かしい感慨に随所で出会うのは私だけだろうか。我がルーツを辺りに感じて「魂の揺らぎ」を覚えることがある。

ハワイは少し違う。日本との気温差が20度以上あつて、イミグレーションを終えて触れる空気、まとわりつくような風と甘い花の匂いにくらっとする。この瞬間の思いは通いつめる今も鮮烈だ。この島には刺激的な魅力はなにもない。始めての観光客が「すーっ」ととけ込める。
若い時代、米国での仕事での帰路に何度か立ち寄ったが、何気なさに気づかずにいた。「ハワイ?」と小馬鹿にしていた。私同様そんな人たちも多い。「いずれ行けるわい!!」 といいながら果たせぬまま逝った友人がいる。お痛夜の席で故人の家族が「ハワイへ行かせたかった・・・・」と絞るような声を発した。

旅先は何処を選ぼうと本人がが望むところでよろしい。しかし旅の愉しみに「癒し」という切り口を加えるとしたら、この島ほど似つかわしいところは無い。
「癒しの場所」・・・・人気のない無人島や未開の奥地は、瞬間的にこれが手に入る。
また国内にいてもそれらしい場所はある。しかしこの方は日常を引きずっているだけに難しい。問題はその場所で最低限の文化的生活ができるかがポイントになる。「携帯用ウオッシュレット」を持ち込んでの現地生活など、日本人はなかなかなじめない。

ワイキキ(オアフ島)以外の島も結構人気がある。実際に住んでみると1〜2週間が限度では無いだろうか? 「生活するには退屈すぎるのが難」だと悟る。とはいえそれぞれの島へは是非足を運んでほしい。大都市ホノルルと島の存在がハワイの魅力を補完していることに気がつくはずだ・・・・・10年住んだらハワイを知り尽くすことになると、タカをくくっていたがとんでもない。この思いはいま緒についたばかりだ。

空港を出るとシャワーが通りすぎる。旅先「雨で、コマッタ?」という印象は無く、街は普通に動いている。車の窓から見る木木につく露が光る。雨が少ないないワイキキ、オアフ島の中央に位置する山脈が屏風の役目を果たしていて、反対側は結構降るが、それでも今年の冬は雨が少ないという。このシーズン風に吹きどばされた愁雨が、あちこちの空に虹を掛ける。ビッグアイランドと呼ばれるハワイ島、キラウエアとマウナケアの東側ヒロでは年間200日驟雨が通る。

「ご存じですか?」 ハワイのシンボルは虹、自動車のナンバープレイトにさえ、虹が描かれている。ハワイ大学のフットボールチーム、この方はいかにも弱そうだと・・・・昨今虹のマークを変えた。
日本なら虹は「はかない物」のひとつで、すぐに消えると思ってきた。、どうしてどうしてハワイでは、しかも虹の掛け橋は、端から端まで全貌を見せて、大空というキャンバスに見事とな弧を描く。
ワイケレまで買い物に遠出をしての帰路、フリーウエイを虹に向かって疾走する気分は、もう子供にでもなったようで、ひさひさにワクワクする。「虹が消えるまでに願いごとをお願いししたら叶う」というようなことがあれば、ハワイは願いごとの天国だ。あまた「人類のために、地球のために」と壮大な願いをかける。
帰宅した夜「虹を見に来ませんか?」遅れて日本を出発すると約束してきた友人家族に連絡を入れる。


第三章
マウイ島ワイレアへ行く。日本からM氏、S氏ご夫妻とホノルル空港で落ち合う。
彼等が入国の諸手続きを終了したら、通常は団体・グループは流れとして左手出口で旅行社が待ってくれる。ひとりひとりにレイとキスの歓迎を受けるのもこの場所だ。
旅が始めてのM氏には右側でと念をおしておいた。M氏の第一声「ここが芸能人を待ち受けるレポーターの定位置か?」と気分以上に会話の内容も軽い。

ここからは国内線、日本からきたら荷物は最終地まで届く。とはいえテロ以降警備が厳しく、空港での手続きは難渋する。好きな時間に行って好きなように乗るような、バスに乗る気楽さは無くなった。だからとはいわぬがハワイアンエアーは昨年倒産した。
ホノルルから各島へ所要時間は30分・・・・できれば指定のない機中、進行方向にあわせて窓際左座席にと、M氏に伝えたらきっちりとまもる。空港を飛び立った機の窓にワイキキの市街地とダイヤモンドヘッドまでのパノラマが一望できる。観光機に乗った気分だ。あと機首を急角度であげて海上に出る。高度が低いから、他島へのフライトは、地図と同じ形のモロカイ・ラナイ・マウイ・その先ハワイ島が紺碧の大洋の中に望める。バリハイの島カウアイだけは反対方向になる。「左の席ですョ」よほど気に入ったかして、帰国したS氏からのアドバイス、すっかりハワイフリークになっている。

レンターカーにしょうか迷う。運転ができればこれもチャレンジすれば楽しい。ビギナーはオープンカーに憧れる。乾いた風の中を走るスポーツタイプ、想像しただけで「カッコイイ」の一言、陽射しの強いハワイで真夏こんなのに乗ると後頭部が焼けて「早くにハゲマスョ」とロコ達に揶揄される。

島もだんだん賑わってきたとはいえ、まだまだ車両の交通量も少なく、ワイキキで乗るよりはゆっくり気楽に乗れる。左折した側道、随分先に斜線をはみだしたまま対向車が止まった。近付くとローカルのご夫婦、こちらを見てニコニコ笑っている。右側通行帯を側道で間違えて走ってきた私の車、レンターカーは昼間でもへットライトが点灯しているので、遠くからでも識別できる。「また観光客が間違っとるわい」と先方が車を止めて待っていてくれた恥ずかしい経験もある。日本ならさしずめヘットライトのパッシングか、「馬鹿やろう!!」くらいの罵声が飛ぶところだ。アロハスピリット、日本人の運転マナーより質がいいことは保証できる。

観光の繁忙期はあらかじめ日本で予約しておかないと、車が無いということがままある。日本の運転免許書とデポジットとしてカードを提示すれば良い。保険はフルカバー・・・
結局滞在中の予定を考慮して、ワイレアのホテルまで総勢5名タクシーで行く。


第四章
「天国へ行こう」ととてつも無いテーマーで友人を誘った。ことに海外などとんでもないというM氏には「遺影」の写真はハワイ旅行で、と親しさにかまけてむちゃくちゃなこともいった。写真がきれいに写ることは嘘ではない。光の強さ、何より屈託のない滞在が顔にでる。マウイ島ワイレアは雨の少ない土地だ。これだけでも心置きなくゴルフができる。しかもコースは全米ベストテンに入るコース、いつだったかご一緒した日本人、商社をリタイヤしてアメリカのこれというゴルフ場めぐりをしている。氏いわくべストテンもごくごく上位とのお墨付き・・・・ゴルフ好きならこれは天国だろう。

ゴルファーだけが天国を享受できるのではない。ゴルフをしないワイフ達には、「ライダー」という制度がある。申し込めばカートを運転してゴルフ場を一緒に回れる。陽射しはさすがに強いが、丘陵の起伏に芝のカーペットを敷きつめたフエアーウエイを自由に走り回る。孫娘のファーストティと初めてのドライブはこのコースだった。時折飲み物と食べ物を売る車が巡回してくる。ボリュームのあるサンドイッチが普通だが、運が良ければ「スパム」にありつく。
プルメリアが香りを放つ木陰、海を望める位置にカートを止めて・・・・・彼女達にとってももう最高のピクニックだろう。カートにはナビゲーションが設備としてついている。自分の球の位置に止めると、ピンまでの距離が表示される。プレー中の私をフェアーウエイに放っておいて、プルメリアの木陰からワイフが「150ヤード」と叫ぶ。彼女の方が先に天国にいる様子だ。
それでも時々「ナイスショット」拍手が飛ぶ。M氏はワイフにほめられて調子つく。S氏の方は「あなたフォーム悪いわ」とこれは連れ合いから指摘されて、いらぬ力が入ってますます球は曲がる。

もともとマウイはラハイナを擁するカアナパリ周辺、ウエストマウイが観光の中心だった。
五月の連休、到着便でごった返すホノルル空港で、偶然役員で外国部長のAさんご夫妻に出会う。「どちらへ・・・」「カアナパリへ」 君たちは「ワイレア?」
仕事柄外国通のAさんが、「どうして?」とその時怪訝な顔をされたのを覚えている。成熟したカアナパリに比べたら、村の寄り合いのような小さなSCがひとつ、庭は子供達の遊び場でありフラの練習場所だった。ここで買い物をして、財布を忘れたが当然のごとくそのままで置いてあった。一緒に遊んだ仲間たち・・・・成熟した喧噪の街か鄙びたホテルか?仲間も魅力も二分される。


第五章
カフルイの空港を外れるとさとうきび畑が続く。精糖工場、一見異様な建物、この風景も慣れると懐かしい思いを抱かせて、この辺りを通るのが好きだ。
ホテルの食事に飽きたらキヘイヘでかける。そのひとつの店で食べたアサリのワイン蒸しは、小さなバケツに一杯あった。ボリュームもさることながら旨さも飛び抜けていた。

ショツピングモール「ザ・ショツプ・アット・ワイレア」が2000年同じ場所にオープンした。規模は一級で、世界中の有名ブランド店がそろう。低層で洗練された佇まいを見せるSCは、女性達の夢のほとんどをかなえる。昼下がりなどは観光客もパラパラ、ごった返した買い物に慣れた日本人には物足りなさも付きまとう。SCが買い物するだけの場所だけならこれだけの設備はいらない。
歩き始めたばかりの幼児、よろよろと今にも転びそうなわが子の足取りを、若いママが見守る。木陰のベンチで本を読む人、ぼんやりと時間をやり過ごす人がいる、若い二人連れの快活な話声がすれ違い様に聞こえる。
午前中ゴルフを終えた私と、ホテルに残ったワイフ、巡回シャトルで落ち合う。私はバトワイザー、彼女はアイスティ、ローカルのランチを二人で分ける。

旅の醍醐味は非日常性、例えばホテルはオープンエアー、チェックインで待つ間も、花の香のする薫風が吹き抜ける。パームツリーが黒々と影になったシルエットの向こうに、コバルト色の海がキラキラ光る。これから始まる滞在への静かな高まりが沸き上がる。

所有者の日系企業がホテルとゴルフ場から撤収を決めた日、03/10月ここを訪れた。もともとカナダの外資からバブルの前買い受けた。10数年維持してゴルフ場はハウスとコースの改良と新設を加えた。バブルが弾けて日本経済先の見えないままデフレを迎える。売却先は同じくカナダ企業、高く買取って売却は買い叩かれる。
日系企業の現地責任者K氏に会う。エクササイズで鍛え抜かれたからだとこころ、西洋的タフさが魅力的だった彼、心なしかスマートになっていて、話す言葉に元気がない。勤めが無くなるのだから当然だといえ過酷な現実。ここを拠点にメインランドで活躍するプロゴルファーT君の話題も、前回は「そんなにゴルフがうまいですか?ここでは確かにカラオケの腕は上げましたが」とジョークが冴えていた・・・・
Tさんと呼び方まで違う。事業は無料サービス(6億かかる/年間)を有料にして継承するが・・・良いはたらき口がありましたらと・・・請願される。「日本でも・・・OK?」という問いに、「この島から離れることなど・・・・」と、ハワイで好条件の職場は見つけにくい。天国にも苦悩はある。


第六章
翌朝の起床は生まれたての真新しい空気と・・・・鳥の鳴き声、今さらのごとく鳥の鳴き声で、こんなに気持ちのよい目覚ましがあるものか?
といいながら朝食を約束したS氏だけががなかなか現れない。「寝坊したのかなあ?」
とうわさしているところへ登場・・・・・深夜起きだして海岸へ、星空のあまりのきれいさにしばらく散歩したとか、そういえば日本の天体望遠鏡「すばる」も隣の島ハワイ島にある。天体観測に関しては一級の場所であることはいうまでもない。ハワイは大平洋のまん中の島、海の囲まれていることは承知しているが、しばらく滞在していると、空に囲まれていることの気がつく。海はそこへ行かぬと臨めぬ場所もあが空は場所を選ばない。

本当にプラネタリュウムそのままの天空が広がる。「木枯らし途絶えて冴える空より・・・・」(唱歌)われわれ日本人が知っている星空は凍てつく冬の空だ。「あなたのお誘いのスケジュールに、今後天体ショウの観望会を加えるべきだ」星座図でも持ってきたらもっと楽しめた・・・・とこれは目からウロコのご指摘。
ハワイの冬、凛とした寒さはみじんもない。常夏とろけるような空気の中で夜空を眺める。ビーチに横たわって眺めた夜空と散策は、場所さえ選べばオススメの経験だったろう。あらためてS氏のロマンチックなご趣味に脱帽、
横から「夜中にごそごそして、そのえう帰ってきたら部屋が砂だらけ、私の方は迷惑したは・・・」これはS氏の奥さん、朝食に話は盛り上がる・・・・・

今日は早々にゴルフを切り上げて、「ラハイナ」へくり出す。pm4:00約束どうリ空港で出会ったタクシードライバーが迎えにくる。ベトナム国籍の彼女、アジア人との車中の会話はお互いに第2外国語、劣等感もなくコミュニケーションも取りやすい。泥沼の戦争をした敵対国、事情はあろうともハワイでタクシードライバーができるこの国の許容度も正直驚く。シュガートレインは最終が4:00間に合わず仲間達には迷惑をかけた。

ラハイナの町、カメハメハ王朝の旧首都、19世紀半ばにはホエーリングの一大拠点として栄えた。時間がたっぷりあるので食事場所を決めて町をぶらつく・・・海に接しての道の左右に瀟洒なコロニアル風の建物のショップが続く。小さな町だから別行動した友人達とも始終出会う。なにか特別珍しいものにであったかと問われると「別に・・・」ということになるのだが、ゆっくりとした時の流れに身をゆだねる鄙の時間と、ところどころで波と出くわすのこの町での散策は強烈な思い出として残る。S夫妻もM氏もラハイナの夕暮れは良かったとたびたび思いで話しに出る。
倉庫群を利用したビアの再開発までいかずとも、海に接した日本列島でこんな町並みづくりは参考になるのでは・・・・

間もなくサンセット、町のはずれに近いFish Coで食事、ここは何度か利用して知っている店、2Fの海にせり出したテラスに席を、力を弱めた太陽が対岸ラナイ島に沈もうとする。上席はまだしばらく夕日が眩しい・・・よせ返す白波が島の喫水を首飾りで飾る。
乾杯「今日一日の・・・」 乾杯「天国に滞在する一日に・・・」何度目かの乾杯は今日の役目を終えた太陽にだ。

ワイキキで到着した日生牡蠣を食べた。ハワイでは初めて、これが結構上質でよかったから、ここでもリクエストが出る。貝の形こそ不揃いでダメかなという思いは吹き飛ぶ・・・・小粒だが磯の香りの強く旨さが凝縮している。この辺りで採れるのだろうか?お変わりをする。SOLDOUT!! 「料理は美味しいか?」「楽しんでいるか?」ウエイターが時々声をかける。先ほどまでの夕日は、ガスの松明に役目を譲っている。
食事を終えたらpm900待たせたタクシー、待っている間何をしていたか尋ねたら、家族の食事の買い物をしたと、ネギやら何やらの買い物を見せる・・・・・

ホテルへ帰って部屋に集まる。ラハイナで買ってきたシャンパンを抜く。締めくくりも乾杯の連発、人生乾杯の数が幸せの数とイコールかと、わけの分からぬことをガヤガヤとやって、片づけもそこそこで・・・・さすがに疲れてバタンキュー。
3日の滞在を終えて午後の便でワイキキへ、帰りは空港チェックも比較的簡単でスムーズ、Waikikiヘもどって来たら家に帰りついたようとM氏、始めての旅にしてはすっかりペースをつかんでいる。


  第七章
息子が来島する。空港へ迎えにでかけようとしているところへ、「もう到着した」とデンワが入る。旅慣れた彼の方はタクシーで迎えに及ばず。
NYテロが起こって外国人に関する管理が難しくなった。ソシアルセキュリティはほとんど発行不可能となった。最後という時期に彼は貰った。これがあってローカルの証明書をかねる運転免許書の取得にチャレンジしている。彼のようにサラリーマンで、休暇が2〜3日の極悪といえる条件では大変むつかしい。回を重ねる以外方法はない・・・・今回もこれが目的だが帰路M氏を日本へ届ける役目もになう。S氏夫妻は早期退職制度を利用して、日程に余裕があり少し遅れて帰る。私達夫婦は日本で桜が咲くころまで滞在する。帰路は日本行きだとしても、S氏の安寧な日本への到着はお誘いした側の責務でもある。S氏との帰国日程に合わせて息子を来させた。

息子は時差ボケの残る到着の翌朝am2:00寝る間も無く試験場へ。通常はデンワで予約、数カ月先になるが受験日の予約をくれる。スケジュール上これができぬから当日、いわゆる飛び込みということになる。試験は朝8:00からだが、当日必ず受験できるという保証のために早朝から並ぶ。日本を出てからまる2日間ほとんど眠れぬまま、ドライバーライセンスにチャレンジするのだから・・・・

S夫妻・M氏とパールハーバーへ、お気に入りのハワイも「真珠湾」だけは避ける。先の戦争はここから始まった。そして日本は敗れた。終戦という人がいる。敗戦と呼ぶのが正しいと頑な私はいまだ現場に足を踏み入れたことはない。パールハーバーの観光は2ツある。「アリゾナ」と「ミズリー」だ。アリゾナは日本軍の攻撃を受けた被害のメモリアルだ。現実から目を逸らせるなという意見もある。無視し是認しょうという思いあがりもない。われわれが経験した戦争という行為、せざるを得ないギリギリの諸々があって起こった。戦闘行為の行われた現場を、「これでもか」と直視できるほどのタフな神経を、持ち合わせていないというのが本当の所だ。これを頑なほど忌避してきた。
しかし戦艦ミズリーは日本が講和条約を締結した場所。大砲の真下の艦上での会談は決して対等の立場でのなかった思えるが、当時の調印風景がそのまま残されている。

それよりもこの戦艦がベトナム戦争にも、再参加した経緯を知るだけにこれは興味があった。軍艦を目の当たりに見れる機会はそんなにない。M氏40インチの大砲がこれ、戦艦ヤマトは45インチを積んでいたと、博学振りを発揮する。S氏夫妻は記念写真に余念ない。


第八章
携帯が鳴る。息子ダメだったの連絡が入る。さすがにこちらも気落ちがする。
しかし当人はもっとがっかりだろう。もう少しゆとりがいると思う。気落ちするな・・・・まあ考えたらいいのでは?「今夜はうまいものでも食べに行こう」。
そして彼はM氏と早朝ホノルルを離れる。

交通ルールに特別差はない。これだけは真似たい。一旦停止、信号のない交差点、日本でも必ず一旦停止の印があってもほとんどが無視する。止まろうものなら相手車が停止車を無視して通過するから、止まった方はひたすら待つことになる。どうも大和魂は「先を行くために譲らない」ことを本懐とするようだ。だから一旦停止のサインは意味を持たぬ。ルールを守らない日本人の後進性も情けないが、守りにくいルールになっている。取り締まれば大勢が法に触れる。悪法の最たるものでもあろう。
ハワイでは止まった刻で優先権が生じる。自車より早くに停止線で止まった他車があれば、必ず他車が先に動く。後続車がいたとしても、次の車も同じルールが適応されるから、今度発進するのは自車の番だ。止まるべきところで止まる順位で権利が生じるこのルール、民主主義の原点を見るようにおもう。この段で行くと割り込みという混乱は生じない。

M氏慣れぬはじめての旅が終わる。足を痛めた。普段の生活不摂生とまではいわずとも、結構やわな生活を続けていたことが分かる。滞在中あちこち歩き回った。ゴルフが引き金になった。ゴルフ好きの彼、始めてカラダを捻るという奥義を、はじめてハワイのゴルフで体現した。球は過去にないほど飛んだ。そして今日帰国してからもそれは続いている。

彼等の帰国当日の早朝、足を引きずるM氏・息子共々、Egg's innヘ誘う。ハワイで有名なレストランのひとつ、ことに日本人にも人気がある。火事をだしてしばらく休業したが再開された。

ホノルルの地図を見るとワイキキを取り囲むように運河が流れる。何でも今は世界のリゾートワイキキも、もともとは湿原地帯で、この改善のために人工的に作られた。世界の大都会が大型河川の下流に開けているがワイキキは珍しい。短い運河は西下し流れを南に変えて海にそそぐ。海と運河が混じりあう地点がヨットハーバーのメッカだ。
ことに南に流れを変えてからの運河周辺の景観はすばらしい。
大木が覆いかぶさって遊歩道にトンネルを作る。早朝の優しい風が吹き抜ける。揺れる木々からの陽射し木漏れ日が動く影を落とす。自宅から店までゆっくり歩いて15分、この道の散歩がすでにごちそうのはじまりだ。この道の入口にプロムナードと記してある。なるほどと納得いく。Egg's innは相変わらず繁盛している。

空港へ二人を送り届ける。淋しくなったが少しほっとした所もあって、夕食後久しぶりにMacyをぶらつく・・・・pm9:30 息子・M氏から日本到着した旨連絡入る。


月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老いをむかうる物は、日々旅にして旅を住処とす。古人も多く旅に死せるあり・・・
松尾芭蕉が「奥の細道」ヘの旅に出たのが46才。今では丁度われわれの年嵩ではなかったか。芭蕉のような終世感はないが、よい友とのよい旅は心に残る。旅路にましてすばらしい仲間・息子との邂逅に感謝する。



 
    
 

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19) ブーゲンビリアBougainvillea

 オシロイバナ科、ブラジル原産のつる性花木、園芸品種が多く、花色も赤紫、赤、ピンク、しろ、オレンジと多彩で八重咲き種や斑入り葉種もある。花びらと見えるのは苞で、実際の花は中央部にある白色の筒状小花である。熱帯では周年花をつけ、最も多く見られる花の一つ。

ハワイもこの花が多い。
ネバーアイランド、島は赤紫(原種)が多い。道の端、溶岩の間、野生のもののほとんどがこの品種、私もブーゲンビリアといえば濃い赤紫と思い込んでいた。色がきつい。
ピンクやオレンジの花を最初に見たのは10数年前、T君達とハワイへ立ち寄った時、ロイヤルハワイアンホテルの海への出入口で大型の鉢に植っていた。写真をとった記憶がある。ホノルルや、都心ほど薄い色合いピンクやオレンジが混ざる。それだけ人手が加えられている。オレンジとピンクを同じ鉢に植える。互いの色は補完しあって、都会的で洗練されて見える。 

コンドミニアム、ヨットハーバータワーはもちろん、お向かいのアラモアナシヨッピングセンターは、この色の組み合わせででとり囲まれる。枯れると苞といわれる花の部分は落ちて、乾いてドライフラワー化する。薄いパラフィン紙で作った造花、軽いので庭の木々の下や、建物の蔭などに吹き溜まっている。花の死骸は乾いても結構きれいだ。

風の強いハワイ、ワイキキであまり風を感じないのは、ホテルが貿易風を遮るように建ててあるからだ。コンドの横アトキンソン通りは山から海への風の通り道、ビル風が手伝うと、立って歩くのがやっとという瞬間がある。ここでワイフは傘をさしていて風に思わず吹き飛ばされた・・・・・本当の出来事である。
 
風が通る。風の通る音が聞こえる。
ビルの吹きだまりに枯れ落ちた、ブーゲンビリアの花の群れに風が吹いて、この風がビルをかけ昇る。花はほとんどピンクの固まりのままビルの壁伝いにを駆け上がる。中にはぐれて真っ青な空に吸い込まれるよう飛び去るものもある。

風が止む。こんどは乾いて軽い三角の羽を持った、お正月羽子板でつく羽のように、回転しながらゆっくり一つづつ舞い降りる。

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20) ワイキキビーチ

ご用心のほどを・・・・
ラジオの領事館だよりで、諸々の連絡があって、ワイキキで日本人が夫婦ゲンカ。日本では犬も食わぬと・・・無視されるがこちらではお互い軽少でもケガをしたとなると、加害者ということで刑法で罰せられる。これで勾留され仮保釈金が$1000/1人。後裁判を受けることになる。刑が決まると5年ハワイはもちろんアメリカへの入国禁止。いずれにしろ内輪の痴話げんかが高いものにつくので、ご注意をと・・・・・   
同じくアラモアナで子供がぐじる。親は当然として体罰を・・・これを当地の人が見て訴えると、親が勾留される・・・・ 「激怒」して得することなどあるはずもない。 気をつけないと天国への扉を自分で閉ざすことに相成る。


われわれはオアフの要所アラモアナに住んでいる。今の所あまり滞在できぬ息子・娘たち、「時々ワイキキへ出向かねば・・・」が決まり文句だ。さすがに娘は子供を連れてワイキキはテリトリーだ。
バスで10分程度「ポストオフィス前」で降りて、カラカウア通りを東上すればワイキキの中心街だ。

三月に入るとさすがに空の色が深さを増す。目前ワイキキビ-チはいつもの賑わい。はだかで大勢の人人が、「天上で遊ぶ」夢のようなひとときを楽しむ。どんな不幸もビ-チで寝そべる人に限り存在しない。春の気配を増したビ-チの空には、幸福のシンボルエンゼルが今日も大勢、飛び交っているに違いない。もしこのビ-チに人の賑わいが見られぬ時がきたとしたら、それは地球が滅びる日だろう。それでも地球最後の日は、やはりここで過ごしたいと念願する。現地の大歌手DON・HOOの追悼の式が、この濱で行われ沖に「散骨」された。この島の海への「散華」を望む所だ・・・・

ワイキキといえばビーチに沿って建つホテルと、背景のダイアモンドへッドは誰でもが知る景色の一つだ。
ビーチでは大勢が好きな時間を過ごす・・・・沖合打ちせる波が白い波頭を見せるあたり、サーファー
が波との格闘を繰り返す絶好の場所だ。とはいえサーファーの類いからいえば、ビギナーを含めて穏やかなものだ・・・そんな景色をぼんやり眺めながら・・・ワイキキを満喫できる特等席がある。このビ-チのほぼ中央で、プライベ-トビ-チを取り込んだ「MAITAI・Bar」はオ-プンエア- の極上の場所、なかなか席が確保できない難はある。ここでランチ・・・・クラブサンドを頬張る。そうそう歴史のあるこのバーの古いメニューが出てきて、ここに画かれた図柄をポスターに復刻、これが我が家の玄関を飾る。

ひらひらと目の前に何かが飛んでくる。「ドル紙幣」どなたかがとあたりを見渡すが、いつも混雑しているこの場所に珍しく人がいない。そうだ今までいた客がテ-ブルに残した、チップが風で飛んだ可能性もある。腰を上げて拾う。「20ドル」はチップの額ではない。

相変わらず賑わうワイキキの浜から、風に吹かれて飛んできたとしか考えられない。持ち主不明の春風が運んでくれた贈り物。さすがに気が引けてテ-ブルの上に置ぃたら、ウエイタ-がチエックと間違えてそれを引き上げてしまう。その勘定がちょうど20ドルというのもでき過ぎている。

帰路、パ-ルハ-バ-で沈没した「えひめまる寄金」に立ち寄る。

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21 Ghiradelli

AM TRAVEL
××陽子様
いつもお世話に相成りありがとうこざいます。
お水とりが終わると関西は、春真っただ中になります。
昨日、ハワイから帰ってきました。お土産を送ります。

ハワイのチョコレートはマカデイミアンナッツと決まっていますが、
去年カラカウアにサンフランシスコのチョコレートメーカー「GHIRADELLI」が店を出しました。
彼の地で工場を見たこともあって、立ち寄ったのですが、以来虜になっています。
店もアメリカのソーダファンテンの面影があって、質の低い店が多いハワイでも、女性にとっては素敵な憩の場所ですよ。あなたの仕事、旅行代理店でも新しい情報になりますでしょう・・・・・

別添のメニュー、「Double Scoop Sundae」は食べている最中に、「おいしい!!」を連発するものですから家族に笑われています。ただし、日本人になじみがなく、今の所繁盛しているとはいえません。今度行くときまで店があるか?といつも不安がよぎります。
一押しの・・・・・お試しください。    ××敏子

上記はワイフが知人に送った書簡である。サンフラシスコ滞在中、私は仕事があって単独行、その間彼女はガイドを断って一人で訪ねた先が「 Ghiradelli」の工場だった。
それだけに「思い出」も「思い入れ」も凝縮されている。

カラカウア通りの西はずれに直営店を出した。 さすがにメインランドからの店で、腰から下をグリーンと白のタイルで張り分けて、上部の壁面には50〜60年代のポスターが架かる。いかにも清潔で古いアメリカのソーダーファウンテンという佇まいは、ハワイがローカルであることを強烈に印象づける。
何杯飲んでも堪えないアメリカンコーヒーに、アイスクリームと果物ふんだんの、メニューのいろいろは、一人で食べるのは無理といえるボリューム・・・・家族で立ち寄ると1人前の注文にしておかないと、食べ残す心配は無いと思うが、ロコの体つきになることを覚悟することに相成る。

従業員はなぜか島の住人、日曜祭日は家族ぐるみで接客している。コーヒーは子供が運んでくれる。
ここで帰国用の土産を買ったワイフ、女性はよくやるのだが・・・・・帰宅して清算を整理していたら買った数と支払いが符合わない。クレームにバスに乗って出かける。日本ならば支払いと受け取った商品の数の照合には、多少ともごたごたがあつって後味よい交渉とはいえない。ハワイではレシートと自己申告で気持ちよく対応してくれる。このときは支払いで清算してくれた。

私の場合、ホッスル社のサングラス・・・メーシー百貨店で特売をしていた。半年は使ったと思う。帰国間際になってこれが壊れた。修理に出すとしてレシートも無い。もし修理に時間がかかると受け取れぬ。
心配しながら店まで出向いたが、対応はメーカーの陳列コーナーへ連れて行き、ここから良いものを選べと・・・・買ったときは特売、並んだ商品とは価格差がある。それでも交換してくれて終わり。いかにも大雑把アメリカと思えるが、「顧客が神様」と思えばこのサービス精神は見習うものがある。

家族全員か好きな「ノードストローム」という大デパート、靴の小売りから出発して今日を作り上げた。その創業精神は「履いた靴でも不都合なら交換に応じます」靴という商品、本当は履いて見ないと不備が解らぬという解釈に根ざしている。

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22) バスの旅

 
タートルベイへ
  第一章
  am10:00のIsland Carcle Busで旅立つ。名前の通りこのバスは4時間かけてオアフ島を一周する。丁度中間地点がタートルベイ。ここでバスはそのままで、行き先ナンバーが42から55に変わる。  
3月快晴の朝、アラモアナの山手側を出発したバスはほぼ満員。バスは前方側の席が、日