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2007年12月

5) のど自慢


日本とハワイでは19時間の時差がある。日付け変更線がこの二つの島の間に引かれていることを知れば、ほぼ一日に近いこの時差も理解できる。
但し実際は、日本とハワイを往復して住んで見ると、一日遅れというよりは、5時間ハワイの方が早く、日本は5時間遅れと考えた方が、連絡など取りやすい。

大相撲。武蔵丸と曙・・・・ハワイ出身の横綱が二人も在籍するだけに大変人気が高い。
“We proud of Akebono & Musashimaru"というコマーシャルがTVで流れる。日本の国技といわれる相撲に、外国人としてはハワイからの入門が最初では無かったか? 
そして東関親方を先導として、小錦、曙、武蔵丸とそれぞれの力士が活躍する。そもそもポリネシアの人たちは格闘技に向いた体躯をしている。しかし心根はいずれも優しい。格闘技には優しすぎると、日本人ファンが心配するところでもある。いずれにしろ地元は英雄たちに熱くなるのは当然だろう。

実況放送と解説は英語だが、それでも伝統的な相撲用語はほとんどが日本語そのままで、異国で聞く相撲放送は少し淡々としている感じはあるが違和感は無い。。
小錦はオアフの西の方ナナクリ出身、曙は反対側で、曙そっくりで美人の母チャンが店をやっていている。観光コースにもなっていて、彼女と一緒に記念写真を撮った人たちも多いはずだ。武蔵丸についての消息はない。

太相撲の放送は日本から生(LIVE)で伝わる。幕内中盤日本時間4時30分は、ハワイでは午後9時30分。横綱の取り組みの終わる6時は、現地では11時、眠い目をこすりにながら観戦ということになる。眠いのを辛抱するだけならば何の不自由もない。
 
千秋楽は必ず日曜日。しかしハワイでのTV観戦だと土曜日の夜という珍しい経験に、一瞬頭がクラットする。

ハワイのサンデー、朝8時はNHKのど自慢、これも人気が高い。この放送は日本各地を転々とするから、お国自慢と懐かしい風景にも出会う楽しみもある。
 
朝食、味噌汁をすすりながら聞く連だの鐘の音。日本でなら日曜の昼、食事をしながら聞く放送を、ブレックファーストでというのも、慣れるまでは何とも奇妙な体験だ。少しずる寝をしておれば「鐘の音」が目覚ましになる。

日本人のあなた、「のど自慢」の手拍子と鐘の響を耳にして、寝続けられる自信がありますか?

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6) 雨

快晴続きのホノルル、通常夏場は本格的な雨は降らない。
テレビをひねったら、FOX NEWSが雨に煙る、ニューヨークの都心の映像を送電している。
ウエットな日本から来て、雨が素敵という思いなど無いはずだが、妙に大都会の雨の風情に心和み暫く見とれる。人は無い物ねだりをする。


第1便
貴殿、地球の中の極楽生活を、ENJOYされているご様子、何よりです。イヤー、本当に昨日の雪は大変でした。スキー場なら兎に角、歩くと雪の中に、ズブーとめり込むなんて、ここ何年来なかった事です。地球温暖化が叫ばれ、冬は段々温かくなるといやと言うほど聞かされていましただけに、地球も思っているより、頑張っているのではないかと思ったりで、チョッピリ,密かに喜んだり、感心したりしています。日本にはやっぱり四季がないといけません。四季の変化が、感性に襞を作り、日本人独特の文化や、芸術を生みだして居るのだと思います。

とはいっても,実際生活では本当に寒いです。 でもこれが日本だといってきかしています。身体のほうは、去年の10月に、ベットから寝返りをした拍子に誤って落ち、その時肩をひどく打ったようで、とても痛く難儀をしています。 医者は、簡単に、手術をしますかといいますが、そんな事簡単に言われても困りますし・・・困った事です。此れが近況です。
または舶来のニュースがあれば教えて下さい。それでは、今日は此れくらいで・・・

第2便
めーるありがとうございます。 メールをいただいた一昨日は、 本当に寒かったです。小生は、割と寒さには強いほでうすが、犬を散歩に連れている時は、本当に寒かったです。でも、久しぶりの冬です。 反面、あたたたくなるのが惜しいようなきもします。季節感て大事ですよ。

第3便
日本は前回のメールの時より、随分、温かくなりましたが季節の変わり目というか文字ドウリ、三寒四温の状態で、身体を壊す人が多く、小生の家内ももう1つスッキリしません。小生は、肩の状態が、一向に改善する気配なく、それに、歯の調子も良くなく、そうかと言って,歯医者のギリギリを思い出しますと、すぐに行かねばならないのに、どうしても、足が動きにくいです。このままでは、総入歯になる日も近いです。まあこんな状態で、日が過ぎていきます。
確定申告も、しなければならないのに、気が進まず手をつけていません。
日本から友人の便りが届きます。


「今日は寒いですね・・・・」日本語放送のラジオから女性のアナウサーの声。
オアフ島は年間を通して気温差の少ない、温暖な気候に恵まれている。夏場は 30℃を超すこともあるが、 北からの貿易風が吹いて木陰など直射日光の当たらない場所では、とても爽やかに過ごすことがでる。平均的にいえば 年中摂氏23〜28度という所でしょうか。(島を取り囲む海水の温度が23~27度、影響しているといわれる) 屋外の温度が快適でエアコンの中に身を置く感じは、地球上でもまれな場所の一つといえるのではないか。それがたまに20度をしたまわると「寒い」という挨拶になる。季節の所感が挨拶になるのもどうも日本人の特徴の一つのようだ。

極寒の日本を脱出してのハワイで、薄い掛け布団一つで眠る夜、この心地よさは言葉に表すことが難しい。
もう一つ身体は芯まで冷えている。・・・・しかし短期観光客には理解できぬが、本当に凍てついた身体が癒されるには少し日時を要する。1週間はかかるだろうか? 常夏のまとわりつくような風に、心も身体もとろけて酔いしれることになる。

人はお天気の影響を受ける。「ストレス」というと仕事や人間関係が起因すると考えているが、天候の影響が大きいことを痛切に感じる。寒暖の差が身体に負担をかける。とすると日本の四季は条件的にも過酷だ。夏は高温多湿、冬場は結構温度が下がる。劣悪といえる環境というといい過ぎか。前者はうまく立ち回れば避けることも出来るが、天候はそうはいかぬ。四季の移ろいといえば風情があるが、身体のリズムが気候の変化に対応できないために、季節の変わり目に体調を崩すということもよくある。

寒い冬をひたすら耐えるのが好きという友人がいる。冷暖房が完備されたとはいえ、「ズボン下を履いて・・・・」 
若い頃わたし個人としてはそんなもの履く習慣はなかった。しかし瀬戸内海でヨットと随分つきあったが、日本の夏はほとんど風が吹かない。比較的風が吹く冬場「パッチを2枚」履いてのセーリーング、色気も恰好あったものではない。


晴天率がほぼ70%と高いホノルル、今年の夏はほとんど雨が降らない。明日は今日と違う日本のめまぐるしい気候の移り変わりは、それだけに「その時節を惜しむ」という想いが強く、ある種の無常感を生む。雨の日が好きだという人もおられるが、快晴に恵まれた一日の夕刻、この好天が明日はもう続かないという諦めと寂寥感は、わたしには耐え難い。

明日もほとんど今日と一緒と思える現地での生活に慣れると「一瞬を生きる」「生きざるをえない」日本の息苦しさから解放される。
この国には間違いなく今日と同じ快晴の明日がやってくる。
 

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7) ガイド

ハワイに日本人観光客が姿を見せはじめた1960年後半,日本語のしゃべれるガイドの育成が急がれた。バス会社に勤務していたMIKE 氏、レクチュアーを勤めた上司のきつい広島訛に参った。あたかも広島なまりでないと、日本語でないみたいな雰囲気があった。当時日本語がしゃべれるほとんどの人が、熊本弁か、広島弁、移民として一番多かったから当然といえる。

初期のハワイ観光ツアーの客は、ガイドの広島・熊本弁の歓迎を受けたはずだ。それも日本では戦後ほとんど使われなくなった、生粋とよべるローカル色の強い言葉、日本人観光客はハワイは何と遅れた国と驚いたに違いない。


ダウンタウンのコインシヨップで、珍しいコインを見つけた。TOKEN・・辞書を引くと(地下鉄・バス料金などに用いられる代用貨幣)という項がある。
ニューヨークの地下鉄がそうであったように 1950年代ハワイのバスに乗る時に、切符として流通していたコインだ。1951年製のトークン・・・HONOLULU RAPID TRANSIT COMPANY LTD.(ホノルル高速輸送株式会社)コインに文字が入っている。バスしか主要交通機関がないはずの、なぜ高速という文字は入っているのか不明だ。真ん中にフラを踊る女性像、いかにもハワイらしい意匠で、ワイフはこれに鎖をつけてネックレスとして愛用している。
偶然店に居合わせた日系人ご夫婦、お似合いといえる感じのいいご夫婦だ。 男性81才が若い頃実際に使ったと教えてくれた・・・・歳月を数えれば「さもありなん」と思える。 立ち居振る舞いはカクシャクとしておられる。女性は控えめな態度が眼につく。

しばらくおしゃべりが続く中、最近の日本人の言葉使いの悪さには、「辟易する」と、難しい言葉で辛口のご意見がでる・・・・・
「扉(とびら)」のことを「ドアー」という 。良い日本語があるのになぜわざわざ英語にかえてしまうのか?
英語圏に住んでいる先達がいう。ごもっともが多い。
「へち」?・・・・広島の古い言葉か? 「へち」が「 ボタン」だと理解できるまで少し時間がかかった。
「へち」という方言はわたくしも理解できない。

時代の影響を受けない「古い言葉」は、現在の日本語との乖離をいやというほど感じさせる。西鶴や近松、日本文学さえもう読みつらくなっている。 
あなた方は60才台、まだまだお若い。ハワイを楽しんでくださいと励まされて別れた。
それにしてもハワイの日系2〜3世がしゃべる日本語が、総じて丁寧できれいと感じるのは私だけだろうか。彼等の先代がこの島に渡ってきた時代、日本人が持っていた「慎み深さと含羞」をそのまま継承している。

寅さんが逝って随分経つ。
「 寅さんに会いたい。95年の最終作「紅の花」の舞台となった奄美大島、加計呂麻島。生間港に近い諸鈍集落で、通りかかったおばあさんに「リリーさんの家はどこでしょう」と訊ねると「ああ、あそこの緑色の屋根の家ですよ。でも、リリーさんは今、留守かもしれません」という答えが返ってきた。
「リリーさんの家」はディゴ並木の中ほどに現存していたが、雨戸が閉まり、寅さんとリリーはどこか旅行中と見えて留守だった。」と記事の切り取りがある。

寅さんは亡くなったが映画の舞台は当時のまま残っている・・・ハワイの日系人たちの使う言葉も時が止まっているのだ。「慎み深さと含羞」をなくした日本人、文明・文化は進化するが、言葉が必ずしも進化しているかは疑わしい。日本人の私でも日本語の乱れに辟易する。

友人ジョイスに見舞いを届ける。ジョイスと呼ぶように体格が良くて貌も外人にしか見えない。日本語が上手で日本人より慎の深い3世だ。すべてで日本人より日本人らしいかもしれぬ。「筋腫の手術はもう大丈夫」です・・・・・ 勤め先の日本企業が破綻しでハワイ撤退が決まって 事務所の残務整理をしている。
「そのうちにわたしも立ち直るでしょう」と、切り変える逞しさも備えている。仕方がないとはいえ日本企業の衰退が、現地の人たちの生活に影を落とす。他国で営む、あるいは住む、に際してその国に迷惑をかけないという「慎み深さ」を欠いてはならない。


MIKE氏の話は続く・・・・・時代が下って、観光客が増えるに従い大都会からの顧客が増えると、流暢な大阪弁を話せるガイドが大もてになったと・・・・・・・

大阪弁に関するアンケート、大阪人が後世に残したい代表言葉の一位は「おもろい」だ。
当時のガイドも観光の合間おもろいを連発したはずである。これが今日のハワイの楽しさを作り上げたといえるかもしれん。間違いなく「めっちゃおもろい島」ではある。


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8) ハーレダビットソン

ハワイ、アラモアナ、ここは世界有数といわれるシヨッピングセンター、このプロムナードを疾走するハーレダビツトソン、運転する女性がデパート入り口のドア−を開けて欲しいと乞う。
ハレーに見立てた車椅子、ヘッドライトはほぼ純正、ハンドルもピカピカのTボーン、車体の左右に振り分けた鋲打のかばん。着ているドライバースーツは半端ではない。暑い当地さすがに皮製は実用的でない。布製黒のライダー用シャツとズボン、覗く手首に入れ墨。心配なさることはない。これは日本のように身体にキズをつけなくとも、お洒落でやれる張り絵。車体からはみだした靴は鋲打のブーツ。「片方の足がご不自由?」らしい。ドアーをくぐる。

「Thank you.」ことに都会に住む人たち日本人が、既に無くしてしまったはずむ挨拶に、こぼれるような笑顔を重ねたお礼が届く。
「You're welcome. 」こちらに住んでみて一番使いたい言葉を返す。
元気でオシャレなおばあちゃんが通り過ぎた昼下がり、SCに屈託ない時間が流れる。

ハワイ、ハンディキヤップ対策は、ほぼ万全といえる程に整備されている。車椅子に乗れば健常者と同じく町中何処へも自由に出かけることができる。日本よりハンディキヤップ者が多いように見えるのは、それだけ普通の生活ができる社会ができているからだ。車椅子のまま主要交通機関The BUSにも難無く乗れる。ほとんど不自由なく過ごせるが、万一の時はみんなが見事といえる程の早さで手を貸す。障害者と接触する機会が多いから、手助けすることに社会が慣れている。

コンドミニアムのプールに車椅子が来る。ゆっくり椅子に座ったまま服を脱ぐ。ほとんど自由の利かない足に、窮屈な手順でスチロール製の浮き具をゴムで止める。車椅子からプールの水面まで少し距離があるら、側にいた人が手を貸そうとすると・・・・本人は柔らかく拒否して、腕をテコにして「ドボーン」
キックは使えないが、彼が泳ぐクロールはすごい。泳ぎはえんえんと続く。

「強者が弱者を助ける」は人の道として当然だとしても、誰が「弱者」と呼べるのか? 疑問が湧く。
プールサイドにハワイの明るい日射しが降り注ぐ。

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9) ハワイ島沖地震

阪神淡路大震災を経験したわたし、地震といえばドキツとする・・・・・・
ハワイでM6?の地震が起きてお見舞が殺到した。というのはオーバーだが、友人達からお伺いが届いた。お答えする側が向こうにいなかったから、状況は分からぬ・・・火山が現役で始終爆発している國。地震の無い國とこちらも信じていたから驚いている。後で調べたら250年に1度とか大きな地震に見舞われている。 AP通信によれば1983年M6.7、1868年M7.9の地震があり77人が死亡した。 いずれにしろ日本の地震頻度から気の遠くなるような数字だ。

耳と目をダンボにして情報を集める。今回の震源地はハワイ島のコナより海中といわれる。後で分ったことだが震源地に近いコナのリゾートホテルは、壊滅的な打撃を受けた。数年経った今も営業するに至っていない。

ところが日本メデイアの報じる映像に、ハワイ島からの物は無く、オアフ島ワイキキでの現地情報だけ。北海道の地震を大阪で取材しているほどのものだ。当然家屋の倒壊などの映像はない。ワイキキの通常の映像が流される。ホテルに止まっている客が停電で困っているといった話だけがくる・・・
現場を知らない人がこれを見たら、「ああよかった」という印象しか無いはずだ。メディアがウソを流したというと差し障りがあるが、取材というものの限界を露呈していた。現地の友人達にメールを入れたがこれに返事は来なかった。何かあれば向こうから連絡が来るはずだ・・・・この方は前述の停電の後遺症だった。


おもしろかったのはN君からの見舞い・・・いつの間にかコンドが1戸建てに、ワイキキの拙宅が、ハワイ島のヒロに変わっていた。もともと少し軽薄な感じのする友人の1人だが、地震見舞いが人格をもろに露呈していて、なるほどという印象を改めて感じる・・・世界通を任じるからハワイ島、ヒロという地名まで出てくる。A君の悪口を書くつもりは微塵も無い。男の「知ったかぶり」としゃべり過ぎは慎みたいと自戒している。 世界通を任じるからハワイ島、ヒロという地名まで出てくる。

ちょうど日時をおかず用事があって来島・・・コンドに地震の跡形といわれるもの・・・TVの上においてある、リモコンが床に落ちていた。

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10) 秋を探しに


息子や孫からの日本の秋のたよりがとどく。
ハワイで「秋の空が広がる」とアナウサーが話すが私には実感乏しい。
年間通じてほぼ気温が一定の島で、変化の一番は日足だ。さすがに10月も最後の週になると、帳のおりるのが早い。

秋を探しにタンタラスの丘に登る。観光名所の一つとして知られるここから眺めも、今まで立ち寄ったことがなかった。ホノルル全体が一望できる。海と山との間に東西に長く続く町、世界に人が住むための適地として選んだ、この地形の町は少なくないが、規模と形が私が住む神戸に似て、改めて親しみを感じる。

帰路コンテンポラリーギャラリー、ここは何度も訪問したから館内の鑑賞はせず、Lunchを取る。珍らしく乾いたフランスパン、カスクード・・・カフェオレも合うが、ここはアメリカ、バトワイザーでやる。勿論オープンカフェ・・・・木々を揺らせて風が吹き抜ける。

木々に囲まれた庭が素晴らしい。大木に囲こわれた空間は、何処からでも海と一緒という、ハワイらしいものを全て否定している。鬱蒼とした木々の森が、手入れの行き届いた芝生に濃い影を落とす。適当な場所を見つけて芝生に座る。日本で有名な博物館というと、人込みにまぎれて疲れに行く場所だが、つい先ほど遊歩道を奥に歩いていた人以外人影はない。静かさが聞こえるというくらいの雰囲気だ。少し落ち着いて目を巡らす。一カ所木々の重なりが見事というほかないように外れた所があって、すき間からワイキキのシンボルダイヤモンドヘッドが小さく望める。緑の額縁にハマったこの景色は、絵葉書にも登場する。時間がとれれば至福の時に巡り合える。芝生に寝転んでしばし白昼夢を見て欲しい。

*絵画ポスター1枚$28.00・・・・額縁をあつらえて部屋に飾ってある。


夕刻メインランドへ留学中の友人の娘へ長い便りを書く。この人恋しさは秋かも知れません。 秋の夜長はこうして更けていきます。

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11) NYの友への手紙

ご無沙汰しております。おかわりございませんか。

NYでテロが起こってちょうど1ヶ月、早いといえば早い時の流れです。
NYは被害を受けた特別の土地、しかもアメリカの戦争の歴史でも、自国内が攻撃被害を受けたという記録は、私のいるハワイ真珠湾以来でしょう。国民のシヨックも大きく当然反応は違うでしょう。とうとうアメリカtが報復戦争を始めました。

こちらの新聞のコラム、「メインランドに比べたらハワイは、国を挙げての戦いに意識が欠けている」と、たまたまメインランドから来た人が書いた記事が物議をかもしました。
観光立国、他国から来た観光客中心の、ワイキキビーチを見たらそう感じるかもしれません。
しかし、どうしてどうして、いたるところに星条旗がはためき、国をたたえる歌が流れ、バッジを胸につける人々のようすは、日本人の私が公平に見て、平静穏やかなロコ達、この機にに及んで国を憂う意識を欠いているとは思えません。

今回の戦争、相手がテロ組織ということ、国際社会対テロリズムとという新しい構図の戦争と考えたら、20世紀の国家間抗争を仮想した防衛議論も、見直さざるを得ない所にきていることは確かでしょう。日本だけは大丈夫という保証はどこにもありません。
国会の議論などの、「自衛について」の日本国民の意識の低さを恥ずかしい思いで心配しています。もちろん参戦に賛成していません。60数余年平和に過ごせた日本、アメリカはこの間も朝鮮戦争、ベトナム、湾岸、そして今回のイランと数えると。戦っていなかっ時はないほどです。
21世紀もうぼつぼつ話し合いで解決できるものを増やすべきではないでしょうか。
難しい話はこの辺で・・・・

急に日暮れが早くなってきました。四季感の乏しいハワイ、昼間の太陽の輝き、空の色、雲の流れに秋を感じることはほとんどありません。たださすがに南の島も、夜明けと日没の時間の変化に季節の移ろいを感じる昨今です。

マジックアイランドへの散歩、家を出るのが少し遅かった。海に日が没するのを眺める場所に到着するまでに、大きな夕日がパームツリーの葉隠れに沈む。「まって−」思わず駆け出す。秋の夕日はつるべ落とし、息を弾ませて到着したころは、大平洋の彼方に日が沈んでしまって、ちょうどその辺りに動いているように見えない船が黒い点になっています
日が沈む頃夕焼け空が見れるという、子供の頃からの記憶は、正確でなかったことをお教わります。夕焼け空のドラマは陽が没してから始まります。

ハワイは海に囲われた島、しかし住んで感じるのは、空に囲われた島というのが実感です。空というスクリーンにドラマが写し出されます。遮るもののない水平線の彼方に今沈んだ太陽が、最後のいのちを燃やすのです。地上にはもはや届かない光を、黄昏れの残る冲天を矢のごとく射るのです。光は雲の群れの形・厚さに反映される。形も色もいろいろ。

7月に見た夕焼けは、今までの人生でもはじめてといえるものでした。
あかね、オレンジ、むらさき、金色・しろ、黄色、ブルー、グレー。絵の具のすべてをひっくり返して、それでも足りない色彩が、混じりあつて、ドームの天空を焦がしていました。
「夕焼け小焼け」と歌われる日本の空は色も淡白で、夕焼けの規模が「童謡」だとしたら、これはもう「オーケストラ」の大演奏、「どどどーー」と身体に響くような光の洪水に包まれまれて放心していました。

それに比べたら今日の夕焼けは、澄み切つたたそがれの空に、掃いたような雲がたなびいてピンクの濃淡で染まっていました。散歩を楽しむ人たち、私の横をスケートボードが帰路を急ぐようにスピードを上げて通り過ぎます。

ようやく夕闇に包まれる気配が色濃くなっています。
潮の香のあまりしないハワイのビーチ、その石積みの中から「チチチチチ!!!」
虫の声を聞いてハッとして立ち止まりました。

やはり平和の方に軍パイがあがります。 親愛なる友へ マハロ

 

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