« 17) もう一杯 コーヒーを | トップページ | 19) ブーゲンビリアBougainvillea »

18) 虹

                                       第一章
バレンタインのプレゼントが日本から届く。さすがにうれしい・・・・

思いきって正月を海外で過ごすことも何度か経験した。これはもう日本の正月に叶うものは無い。ほとんどの国国、元旦は休みとして、「カレンダーが新しくなった日」という素っ気無さは、句読点を欠いた文章のようだ。年のはじめに改まった気分を持たぬまま、だらだらと次の年に入っていく行く感じは馴染めない。
 
町中が掃き清められて、凛とした寒気の中迎える初春、息子や娘や孫達と祝う屠蘇、初もうでによらずとも、真っ白なページに、誰もが今年の願いを懸ける。正月は日本人の心に結承をつける儀式のひとつだ。正月の行事を一通り終えて、税の申告の資料を揃えてと、旅立ちはどうしても1月末ということになる。

「大寒」それにしても寒い。四季の移ろいはこの国の恵みというが、日本の中央部に住んでいても、冬期はほぼ0度、夏場は35度を超す。その上湿度の高さが住みにくさを倍加させる。世界を知れば知るほど、この国の気象がさほど恵まれたものではなく、ハッキリいうと劣悪の部類に属するのでは無いかとおもう。建物内部は快適になったとはいえ、しょうことなしにひたすら耐えて暮らす。

今年の正月休み息子達家族が久しぶりで出かけた。家があったとしても、航空運賃だけで、20万円/1人は悠に越える。価格が「需要と供給」で決まると承知しているが、閑散期との格差は大きすぎる。
「大井川の渡し」利用客の困窮に付け込んで、駄賃を吹き掛けた彼等を「雲助け」と呼んだ。世界を飛ぶ航空会社が、同じシステムから脱せぬまま存続を続けている。IR活動に力を入れていても、企業イメージを損ねていることおびただしい。

年末年始のピークを越えた時期、さすがに空港も閑散としている。逆にいえば旅慣れて、時間を自由に使える人たちがこの時期を選ぶ。ハワイはリピーターが多いから、家族単位や少グループが目立つ。アジアはSARE'S、アメリカ、ヨーロッパはテロ・・・・
景気の低迷が全体的に影を落としているとはいえ、減便中の機内は満席に近い状態が数年続いている。

7時間のフライト、冬期は偏西風の応援を得て往路は早く、帰路は時間がかかる。新幹線ができて大阪〜東京は驚くほど縮まった。それでもさらにという思いは募る。
ことに帰路はもう少し縮まらないか? 欲望は際限ない。

機首を下げた左手の窓に太陽を背にしたコウラウ山脈が見えてくる。大概この時期山頂に雲がかって、強風に吹き飛ばされる。ホノルル空港はもう近い。


第二章
どんな旅も見知らぬ土地への第一歩はわくわく、ぞくぞくする・・・・
返還前の香港カイタク空港、「油と潮と消毒臭」が混じって、決してほめられた臭気では無いが、これが独特・・・・・「おお・・香港へ来たぞ・・・」と到着時空港で必ず深呼吸した。

訪れる土地の魅力は2種類ある。一つは尖った旅、「トゲトゲ」が一杯の旅行、とげの数が多いほど緊張感が持続してそれがおもしろい。古いものと新しいもの、西洋と東洋、豊かさと貧しさ、その上多少の危険もはらむ。この「混沌」が魅力を生み出す。前述の香港は象徴的な都市だったが、NYをはじめ世界の大都会は、ほぼ同様の魅力を持つ。緊張と刺激のの続く旅、年を取るにつれての興味は少し希薄になった。
ついでにアジアの都市、昨今は随分近代化が進んできた。とはいえこちらは「トゲトゲ」もあるが、一方で古い時代の日本を見ているような、のどかで懐かしい感慨に随所で出会うのは私だけだろうか。我がルーツを辺りに感じて「魂の揺らぎ」を覚えることがある。

ハワイは少し違う。日本との気温差が20度以上あつて、イミグレーションを終えて触れる空気、まとわりつくような風と甘い花の匂いにくらっとする。この瞬間の思いは通いつめる今も鮮烈だ。この島には刺激的な魅力はなにもない。始めての観光客が「すーっ」ととけ込める。
若い時代、米国での仕事での帰路に何度か立ち寄ったが、何気なさに気づかずにいた。「ハワイ?」と小馬鹿にしていた。私同様そんな人たちも多い。「いずれ行けるわい!!」 といいながら果たせぬまま逝った友人がいる。お痛夜の席で故人の家族が「ハワイへ行かせたかった・・・・」と絞るような声を発した。

旅先は何処を選ぼうと本人がが望むところでよろしい。しかし旅の愉しみに「癒し」という切り口を加えるとしたら、この島ほど似つかわしいところは無い。
「癒しの場所」・・・・人気のない無人島や未開の奥地は、瞬間的にこれが手に入る。
また国内にいてもそれらしい場所はある。しかしこの方は日常を引きずっているだけに難しい。問題はその場所で最低限の文化的生活ができるかがポイントになる。「携帯用ウオッシュレット」を持ち込んでの現地生活など、日本人はなかなかなじめない。

ワイキキ(オアフ島)以外の島も結構人気がある。実際に住んでみると1〜2週間が限度では無いだろうか? 「生活するには退屈すぎるのが難」だと悟る。とはいえそれぞれの島へは是非足を運んでほしい。大都市ホノルルと島の存在がハワイの魅力を補完していることに気がつくはずだ・・・・・10年住んだらハワイを知り尽くすことになると、タカをくくっていたがとんでもない。この思いはいま緒についたばかりだ。

空港を出るとシャワーが通りすぎる。旅先「雨で、コマッタ?」という印象は無く、街は普通に動いている。車の窓から見る木木につく露が光る。雨が少ないないワイキキ、オアフ島の中央に位置する山脈が屏風の役目を果たしていて、反対側は結構降るが、それでも今年の冬は雨が少ないという。このシーズン風に吹きどばされた愁雨が、あちこちの空に虹を掛ける。ビッグアイランドと呼ばれるハワイ島、キラウエアとマウナケアの東側ヒロでは年間200日驟雨が通る。

「ご存じですか?」 ハワイのシンボルは虹、自動車のナンバープレイトにさえ、虹が描かれている。ハワイ大学のフットボールチーム、この方はいかにも弱そうだと・・・・昨年虹のマークを変えた。
日本なら虹は「はかない物」のひとつで、すぐに消えると思ってきた。、どうしてどうしてハワイでは、しかも虹の掛け橋は、端から端まで全貌を見せて、大空というキャンバスに見事とな弧を描く。
ワイケレまで買い物に遠出をしての帰路、フリーウエイを虹に向かって疾走する気分は、もう子供にでもなったようで、ひさひさにワクワクする。「虹が消えるまでに願いごとをお願いししたら叶う」というようなことがあれば、ハワイは願いごとの天国だ。あまた「人類のために、地球のために」と壮大な願いをかける。
帰宅した夜「虹を見に来ませんか?」遅れて日本を出発すると約束してきた友人家族に連絡を入れる。


第三章
マウイ島ワイレアへ行く。日本からM氏、S氏ご夫妻とホノルル空港で落ち合う。
彼等が入国の諸手続きを終了したら、通常は団体・グループは流れとして左手出口で旅行社が待ってくれる。ひとりひとりにレイとキスの歓迎を受けるのもこの場所だ。
旅が始めてのM氏には右側でと念をおしておいた。M氏の第一声「ここが芸能人を待ち受けるレポーターの定位置か?」と気分以上に会話の内容も軽い。

ここからは国内線、日本からきたら荷物は最終地まで届く。とはいえテロ以降警備が厳しく、空港での手続きは難渋する。好きな時間に行って好きなように乗るような、バスに乗る気楽さは無くなった。だからとはいわぬがハワイアンエアーは昨年倒産した。
ホノルルから各島へ所要時間は30分・・・・できれば指定のない機中、進行方向にあわせて窓際左座席にと、M氏に伝えたらきっちりとまもる。空港を飛び立った機の窓にワイキキの市街地とダイヤモンドヘッドまでのパノラマが一望できる。観光機に乗った気分だ。あと機首を急角度であげて海上に出る。高度が低いから、他島へのフライトは、地図と同じ形のモロカイ・ラナイ・マウイ・その先ハワイ島が紺碧の大洋の中に望める。バリハイの島カウアイだけは反対方向になる。「左の席ですョ」よほど気に入ったかして、帰国したS氏からのアドバイス、すっかりハワイフリークになっている。

レンターカーにしょうか迷う。運転ができればこれもチャレンジすれば楽しい。ビギナーはオープンカーに憧れる。乾いた風の中を走るスポーツタイプ、想像しただけで「カッコイイ」の一言、陽射しの強いハワイで真夏こんなのに乗ると後頭部が焼けて「早くにハゲマスョ」とロコ達に揶揄される。

島もだんだん賑わってきたとはいえ、まだまだ車両の交通量も少なく、ワイキキで乗るよりはゆっくり気楽に乗れる。左折した側道、随分先に斜線をはみだしたまま対向車が止まった。近付くとローカルのご夫婦、こちらを見てニコニコ笑っている。右側通行帯を側道で間違えて走ってきた私の車、レンターカーは昼間でもへットライトが点灯しているので、遠くからでも識別できる。「また観光客が間違っとるわい」と先方が車を止めて待っていてくれた恥ずかしい経験もある。日本ならさしずめヘットライトのパッシングか、「馬鹿やろう!!」くらいの罵声が飛ぶところだ。アロハスピリット、日本人の運転マナーより質がいいことは保証できる。

観光の繁忙期はあらかじめ日本で予約しておかないと、車が無いということがままある。日本の運転免許書とデポジットとしてカードを提示すれば良い。保険はフルカバー・・・
結局滞在中の予定を考慮して、ワイレアのホテルまで総勢5名タクシーで行く。


第四章
「天国へ行こう」ととてつも無いテーマーで友人を誘った。ことに海外などとんでもないというM氏には「遺影」の写真はハワイ旅行で、と親しさにかまけてむちゃくちゃなこともいった。写真がきれいに写ることは嘘ではない。光の強さ、何より屈託のない滞在が顔にでる。マウイ島ワイレアは雨の少ない土地だ。これだけでも心置きなくゴルフができる。しかもコースは全米ベストテンに入るコース、いつだったかご一緒した日本人、商社をリタイヤしてアメリカのこれというゴルフ場めぐりをしている。氏いわくべストテンもごくごく上位とのお墨付き・・・・ゴルフ好きならこれは天国だろう。

ゴルファーだけが天国を享受できるのではない。ゴルフをしないワイフ達には、「ライダー」という制度がある。申し込めばカートを運転してゴルフ場を一緒に回れる。陽射しはさすがに強いが、丘陵の起伏に芝のカーペットを敷きつめたフエアーウエイを自由に走り回る。孫娘のファーストティと初めてのドライブはこのコースだった。時折飲み物と食べ物を売る車が巡回してくる。ボリュームのあるサンドイッチが普通だが、運が良ければ「スパム」にありつく。
プルメリアが香りを放つ木陰、海を望める位置にカートを止めて・・・・・彼女達にとってももう最高のピクニックだろう。カートにはナビゲーションが設備としてついている。自分の球の位置に止めると、ピンまでの距離が表示される。プレー中の私をフェアーウエイに放っておいて、プルメリアの木陰からワイフが「150ヤード」と叫ぶ。彼女の方が先に天国にいる様子だ。
それでも時々「ナイスショット」拍手が飛ぶ。M氏はワイフにほめられて調子つく。S氏の方は「あなたフォーム悪いわ」とこれは連れ合いから指摘されて、いらぬ力が入ってますます球は曲がる。

もともとマウイはラハイナを擁するカアナパリ周辺、ウエストマウイが観光の中心だった。
五月の連休、到着便でごった返すホノルル空港で、偶然役員で外国部長のAさんご夫妻に出会う。「どちらへ・・・」「カアナパリへ」 君たちは「ワイレア?」
仕事柄外国通のAさんが、「どうして?」とその時怪訝な顔をされたのを覚えている。成熟したカアナパリに比べたら、村の寄り合いのような小さなSCがひとつ、庭は子供達の遊び場でありフラの練習場所だった。ここで買い物をして、財布を忘れたが当然のごとくそのままで置いてあった。一緒に遊んだ仲間たち・・・・成熟した喧噪の街か鄙びたホテルか?仲間も魅力も二分される。


第五章
カフルイの空港を外れるとさとうきび畑が続く。精糖工場、一見異様な建物、この風景も慣れると懐かしい思いを抱かせて、この辺りを通るのが好きだ。
ホテルの食事に飽きたらキヘイヘでかける。そのひとつの店で食べたアサリのワイン蒸しは、小さなバケツに一杯あった。ボリュームもさることながら旨さも飛び抜けていた。

ショツピングモール「ザ・ショツプ・アット・ワイレア」が2000年同じ場所にオープンした。規模は一級で、世界中の有名ブランド店がそろう。低層で洗練された佇まいを見せるSCは、女性達の夢のほとんどをかなえる。昼下がりなどは観光客もパラパラ、ごった返した買い物に慣れた日本人には物足りなさも付きまとう。SCが買い物するだけの場所だけならこれだけの設備はいらない。
歩き始めたばかりの幼児、よろよろと今にも転びそうなわが子の足取りを、若いママが見守る。木陰のベンチで本を読む人、ぼんやりと時間をやり過ごす人がいる、若い二人連れの快活な話声がすれ違い様に聞こえる。
午前中ゴルフを終えた私と、ホテルに残ったワイフ、巡回シャトルで落ち合う。私はバトワイザー、彼女はアイスティ、ローカルのランチを二人で分ける。

旅の醍醐味は非日常性、例えばホテルはオープンエアー、チェックインで待つ間も、花の香のする薫風が吹き抜ける。パームツリーが黒々と影になったシルエットの向こうに、コバルト色の海がキラキラ光る。これから始まる滞在への静かな高まりが沸き上がる。

所有者の日系企業がホテルとゴルフ場から撤収を決めた日、03/10月ここを訪れた。もともとカナダの外資からバブルの前買い受けた。10数年維持してゴルフ場はハウスとコースの改良と新設を加えた。バブルが弾けて日本経済先の見えないままデフレを迎える。売却先は同じくカナダ企業、高く買取って売却は買い叩かれる。
日系企業の現地責任者K氏に会う。エクササイズで鍛え抜かれたからだとこころ、西洋的タフさが魅力的だった彼、心なしかスマートになっていて、話す言葉に元気がない。勤めが無くなるのだから当然だといえ過酷な現実。ここを拠点にメインランドで活躍するプロゴルファーT君の話題も、前回は「そんなにゴルフがうまいですか?ここでは確かにカラオケの腕は上げましたが」とジョークが冴えていた・・・・
Tさんと呼び方まで違う。事業は無料サービス(6億かかる/年間)を有料にして継承するが・・・良いはたらき口がありましたらと・・・請願される。「日本でも・・・OK?」という問いに、「この島から離れることなど・・・・」と、ハワイで好条件の職場は見つけにくい。天国にも苦悩はある。


第六章
翌朝の起床は生まれたての真新しい空気と・・・・鳥の鳴き声、今さらのごとく鳥の鳴き声で、こんなに気持ちのよい目覚ましがあるものか?
といいながら朝食を約束したS氏だけががなかなか現れない。「寝坊したのかなあ?」
とうわさしているところへ登場・・・・・深夜起きだして海岸へ、星空のあまりのきれいさにしばらく散歩したとか、そういえば日本の天体望遠鏡「すばる」も隣の島ハワイ島にある。天体観測に関しては一級の場所であることはいうまでもない。ハワイは大平洋のまん中の島、海の囲まれていることは承知しているが、しばらく滞在していると、空に囲まれていることの気がつく。海はそこへ行かぬと臨めぬ場所もあが空は場所を選ばない。

本当にプラネタリュウムそのままの天空が広がる。「木枯らし途絶えて冴える空より・・・・」(唱歌)われわれ日本人が知っている星空は凍てつく冬の空だ。「あなたのお誘いのスケジュールに、今後天体ショウの観望会を加えるべきだ」星座図でも持ってきたらもっと楽しめた・・・・とこれは目からウロコのご指摘。
ハワイの冬、凛とした寒さはみじんもない。常夏とろけるような空気の中で夜空を眺める。ビーチに横たわって眺めた夜空と散策は、場所さえ選べばオススメの経験だったろう。あらためてS氏のロマンチックなご趣味に脱帽、
横から「夜中にごそごそして、そのえう帰ってきたら部屋が砂だらけ、私の方は迷惑したは・・・」これはS氏の奥さん、朝食に話は盛り上がる・・・・・

今日は早々にゴルフを切り上げて、「ラハイナ」へくり出す。pm4:00約束どうリ空港で出会ったタクシードライバーが迎えにくる。ベトナム国籍の彼女、アジア人との車中の会話はお互いに第2外国語、劣等感もなくコミュニケーションも取りやすい。泥沼の戦争をした敵対国、事情はあろうともハワイでタクシードライバーができるこの国の許容度も正直驚く。シュガートレインは最終が4:00間に合わず仲間達には迷惑をかけた。

ラハイナの町、カメハメハ王朝の旧首都、19世紀半ばにはホエーリングの一大拠点として栄えた。時間がたっぷりあるので食事場所を決めて町をぶらつく・・・海に接しての道の左右に瀟洒なコロニアル風の建物のショップが続く。小さな町だから別行動した友人達とも始終出会う。なにか特別珍しいものにであったかと問われると「別に・・・」ということになるのだが、ゆっくりとした時の流れに身をゆだねる鄙の時間と、ところどころで波と出くわすのこの町での散策は強烈な思い出として残る。S夫妻もM氏もラハイナの夕暮れは良かったとたびたび思いで話しに出る。
倉庫群を利用したビアの再開発までいかずとも、海に接した日本列島でこんな町並みづくりは参考になるのでは・・・・

間もなくサンセット、町のはずれに近いFish Coで食事、ここは何度か利用して知っている店、2Fの海にせり出したテラスに席を、力を弱めた太陽が対岸ラナイ島に沈もうとする。上席はまだしばらく夕日が眩しい・・・よせ返す白波が島の喫水を首飾りで飾る。
乾杯「今日一日の・・・」 乾杯「天国に滞在する一日に・・・」何度目かの乾杯は今日の役目を終えた太陽にだ。

ワイキキで到着した日生牡蠣を食べた。ハワイでは初めて、これが結構上質でよかったから、ここでもリクエストが出る。貝の形こそ不揃いでダメかなという思いは吹き飛ぶ・・・・小粒だが磯の香りの強く旨さが凝縮している。この辺りで採れるのだろうか?お変わりをする。SOLDOUT!! 「料理は美味しいか?」「楽しんでいるか?」ウエイターが時々声をかける。先ほどまでの夕日は、ガスの松明に役目を譲っている。
食事を終えたらpm900待たせたタクシー、待っている間何をしていたか尋ねたら、家族の食事の買い物をしたと、ネギやら何やらの買い物を見せる・・・・・

ホテルへ帰って部屋に集まる。ラハイナで買ってきたシャンパンを抜く。締めくくりも乾杯の連発、人生乾杯の数が幸せの数とイコールかと、わけの分からぬことをガヤガヤとやって、片づけもそこそこで・・・・さすがに疲れてバタンキュー。
3日の滞在を終えて午後の便でワイキキへ、帰りは空港チェックも比較的簡単でスムーズ、Waikikiヘもどって来たら家に帰りついたようとM氏、始めての旅にしてはすっかりペースをつかんでいる。


  第七章
息子が来島する。空港へ迎えにでかけようとしているところへ、「もう到着した」とデンワが入る。旅慣れた彼の方はタクシーで迎えに及ばず。
NYテロが起こって外国人に関する管理が難しくなった。ソシアルセキュリティはほとんど発行不可能となった。最後という時期に彼は貰った。これがあってローカルの証明書をかねる運転免許書の取得にチャレンジしている。彼のようにサラリーマンで、休暇が2〜3日の極悪といえる条件では大変むつかしい。回を重ねる以外方法はない・・・・今回もこれが目的だが帰路M氏を日本へ届ける役目もになう。S氏夫妻は早期退職制度を利用して、日程に余裕があり少し遅れて帰る。私達夫婦は日本で桜が咲くころまで滞在する。帰路は日本行きだとしても、S氏の安寧な日本への到着はお誘いした側の責務でもある。S氏との帰国日程に合わせて息子を来させた。

息子は時差ボケの残る到着の翌朝am2:00寝る間も無く試験場へ。通常はデンワで予約、数カ月先になるが受験日の予約をくれる。スケジュール上これができぬから当日、いわゆる飛び込みということになる。試験は朝8:00からだが、当日必ず受験できるという保証のために早朝から並ぶ。日本を出てからまる2日間ほとんど眠れぬまま、ドライバーライセンスにチャレンジするのだから・・・・

S夫妻・M氏とパールハーバーへ、お気に入りのハワイも「真珠湾」だけは避ける。先の戦争はここから始まった。そして日本は敗れた。終戦という人がいる。敗戦と呼ぶのが正しいと頑な私はいまだ現場に足を踏み入れたことはない。パールハーバーの観光は2ツある。「アリゾナ」と「ミズリー」だ。アリゾナは日本軍の攻撃を受けた被害のメモリアルだ。現実から目を逸らせるなという意見もある。無視し是認しょうという思いあがりもない。われわれが経験した戦争という行為、せざるを得ないギリギリの諸々があって起こった。戦闘行為の行われた現場を、「これでもか」と直視できるほどのタフな神経を、持ち合わせていないというのが本当の所だ。これを頑なほど忌避してきた。
しかし戦艦ミズリーは日本が講和条約を締結した場所。大砲の真下の艦上での会談は、決して対等の立場ではなかった思えるが、当時の調印風景がそのまま残されている。

それよりもこの戦艦がベトナム戦争にも、再参加した経緯を知るだけにこれは興味があった。軍艦を目の当たりに見れる機会はそんなにない。M氏40インチの大砲がこれ、戦艦ヤマトは45インチを積んでいたと、博学振りを発揮する。S氏夫妻は記念写真に余念ない。


第八章
携帯が鳴る。息子ダメだったの連絡が入る。さすがにこちらも気落ちがする。
しかし当人はもっとがっかりだろう。もう少しゆとりがいると思う。気落ちするな・・・・まあ考えたらいいのでは?「今夜はうまいものでも食べに行こう」。
そして彼はM氏と早朝ホノルルを離れる。

交通ルールに特別差はない。これだけは真似たい。一旦停止、信号のない交差点、日本でも必ず一旦停止の印があってもほとんどが無視する。止まろうものなら相手車が停止車を無視して通過するから、止まった方はひたすら待つことになる。どうも大和魂は「先を行くために譲らない」ことを本懐とするようだ。だから一旦停止のサインは意味を持たぬ。ルールを守らない日本人の後進性も情けないが、守りにくいルールになっている。取り締まれば大勢が法に触れる。悪法の最たるものでもあろう。
ハワイでは止まった刻で優先権が生じる。自車より早くに停止線で止まった他車があれば、必ず他車が先に動く。後続車がいたとしても、次の車も同じルールが適応されるから、今度発進するのは自車の番だ。止まるべきところで止まる順位で権利が生じるこのルール、民主主義の原点を見るようにおもう。この段で行くと割り込みという混乱は生じない。

M氏慣れぬはじめての旅が終わる。足を痛めた。普段の生活不摂生とまではいわずとも、結構やわな生活を続けていたことが分かる。滞在中あちこち歩き回った。ゴルフが引き金になった。ゴルフ好きの彼、始めてカラダを捻るという奥義を、はじめてハワイのゴルフで体現した。球は過去にないほど飛んだ。そして今日帰国してからもそれは続いている。

彼等の帰国当日の早朝、足を引きずるM氏・息子共々、Egg's innヘ誘う。ハワイで有名なレストランのひとつ、ことに日本人にも人気がある。火事をだしてしばらく休業したが再開された。

ホノルルの地図を見るとワイキキを取り囲むように運河が流れる。何でも今は世界のリゾートワイキキも、もともとは湿原地帯で、この改善のために人工的に作られた。世界の大都会が大型河川の下流に開けているがワイキキは珍しい。短い運河は西下し流れを南に変えて海にそそぐ。海と運河が混じりあう地点がヨットハーバーのメッカだ。
ことに南に流れを変えてからの運河周辺の景観はすばらしい。
大木が覆いかぶさって遊歩道にトンネルを作る。早朝の優しい風が吹き抜ける。揺れる木々からの陽射し木漏れ日が動く影を落とす。自宅から店までゆっくり歩いて15分、この道の散歩がすでにごちそうのはじまりだ。この道の入口にプロムナードと記してある。なるほどと納得いく。Egg's innは相変わらず繁盛している。

空港へ二人を送り届ける。淋しくなったが少しほっとした所もあって、夕食後久しぶりにMacyをぶらつく・・・・pm9:30 息子・M氏から日本到着した旨連絡入る。


月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老いをむかうる物は、日々旅にして旅を住処とす。古人も多く旅に死せるあり・・・
松尾芭蕉が「奥の細道」ヘの旅に出たのが46才。今では丁度われわれの年嵩ではなかったか。芭蕉のような終世感はないが、よい友とのよい旅は心に残る。旅路にましてすばらしい仲間・息子との邂逅に感謝する。



 
    
 

|

ロングスティ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く