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2008年1月

12) 隣のトトロ

孫が「隣のトトロ」と「隣のアラモアナ」にいま夢中だ・・・・・コンドミニアムからの散歩はアラモアナというのが日課になっている。
ゆっくりアラモアナを歩く・・・もう見つくしたというほど見て歩いた。世界の名だたるブランド店が出揃っている・・・・・しかも一様にマーチャンダイジングの多様化が進む。分かり易い話が、モンブランという万年筆メーカーは、本業の万年筆は極一部しか置かれていない。万年筆が斜陽であることは認める。そこで新しい商品群を育成して活路を開こうする。どうしても自店の専門性は希薄になる。しかし他ブランド店でも大なり小なり同じような発想だ。
手っ取り早いのが時計とバッグ類のようだ・・・・・これは下請け群が活躍していて、入手しやすいのでは無いか?と疑ってしまう。

「企業で規模的発展が無いとたち行かぬ」というマーケッティングは理解できる。しかしすでに世界的名声を確立、相応の規模にまで成功を重ねたブランドが、そんな安直な手でしか成長を考えないのは、ブランドを潰しているようにしか見えぬ。

ルイ・ヴィトンはかばんメーカーとしての製品力は世界一だ。この商品はヨーロッパで世界中ですでに何代も、使い続けられて名声を確立した。しかし靴や衣料にまで手を伸ばして、専業を凌駕する商品が誕生できるとは思えない。エルブイのマークが付いたら何でも売れると安直にお考えか?

ファツションメーカーはファッションに、靴メーカーは靴に、かばんメーカーはかばんに・・・・時計メーカーも同じ・・・ローレックスもニーズの多様化に対応というのだろうが、あれほどの種類をつくり出す必要が本当にあるのか・・・・この際少し立ちどまって「規模的成長」を望まぬ方針を打ち出すのもトップの英断だと思うのだが・・・

「マスプロダクション・マスセール」20世紀を席巻した拡大路線の終焉。 その上21世紀は「大量消費」にもブレーキがかかろうとしている・・・・過去のマーケッティングが、すでに時代に適合していないことに気がついていない。

昼下がりのアラモアナ、オープンエアーだから常夏の日差しがSCの通路に影を落としている。
「日だまり」と「陰り」21世紀が終わる頃、ブランドの栄枯盛衰を見ていたいという思いが頭をかすめる。孫なら可能かなあ・・・・・

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13)ハワイの雪

アラモアナシヨッピングセンター中央に位置するデパート「ニーマンマーカス」ハワイへの出店は新参だが、アメリカでは名にしおう老舗だ。

11月オフホワイトの店内がクリスマス商戦をひかえて、飾り付けが変わる。
ちなみにこのSCには4店のデパートがひしめく。しかも各店が住みわける。取り扱うXマスのオーナメント一つを見ても、材質・価格・嗜好などそれぞれの店で異なる。日本のデパートのようにどこもみな同じというようなことはない。華やいだ赤にグリーンの組み合わせが溢れる街中で、高級店程色を控えてシックにそろえる。

2階正面を入ると化粧品、このコーナーを通り抜けて、建物のほぼ中央上下2台のエスカレーターのスぺースが贅沢に取ってあり、4層の天井まで大きく吹き抜ける。トップに四方天窓が付いていてハワイの青い空が望める。

糸一条に白い蝶と小さい銀色のメタルが、交互について天井から釣り下げられる。一本の糸に何匹蝶が舞うのか、数えることはできない。この糸がびっしり吹き抜けを埋める。空気の薄い流れの中で蝶はほとんど動かない。見る側が移動するからメタルがキラキラと反射する。

近づいてエスカレーターを使う。当然エスカレーターの昇降に差しつかえがない範囲に飾り付けしてあるとはいえ、何万、何十万、何百万、蝶々の乱舞の中に身お置くことになる。

ゆっくり昇るエスカレーター、一瞬、蝶とキラキラ光るメタルが降ってくる錯角に捕われる。吹き抜けの天窓のカギ取った真っ青の空から、ハワイの雪が降ってくる。

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14) 学校教育

日本での不登校、小中学生でおおよそ15万人いるそうだ。この数が多いかどうかはなんともいえぬが、困難な社会現象であることに違いない。この子たちのケアーはどちらかというと、学校を離れてしばらく好きなようにさせるというのが、日本での一般的処置だそうだ?。
当事者と家族を含めた苦悩を、こう単純に切り捨てると暴言にも聞こえる。

ハワイで登校拒否は、家族に罰金が科せられる。・・・・手段の善し悪しはあるとして、義務教育はあくまでも義務、義務教育期間中のこの義務を、理由の如何があるとしても放棄することはできない。このスタンスの違いに私自身が驚く。
言葉は飛躍するが、例えば兵役は義務、この国に生きる限り放棄は許されない。「義務と権利」に裏打ちされた民主主義の精神と体現がこの国のルールである。
 
日本の学校教育、不登校もさることながら、低学年に及ぶ荒廃は噂としてハワイでも評判だ。
銀行勤務のみどりさんは、離婚しても日本に帰る気はさらさらない。子供を日本の学校へ通わせることなど、恐ろしくて考えられないという。断っておくが離婚率の高いハワイで、少なくとも離婚する気配はない。

ハワイでも学校になじめず「ヤッカイ者」だった子供が放校になり、行くところがなくて、止むを得ず日本へ行った。日本での学校生活を体験して、同世代の荒れように「もうこれは無茶苦茶!!」ハワイの荒れようとは次元が違うと改心、結構真面目になって帰ってきたと話した。

チンピラヤクザが本物を見て、驚いて足を洗ったようなものだ。
こちらは離婚組、学童を抱えた朋子さんが家に来て、「オカキ」と日本茶で話が弾む。

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15) 癒し

さすがに見るものすべてに新鮮な驚きはなくなった。とはいえハワイの魅力は気温です。外気20〜28度、年間気温が一定していて、天然のクーラーの中にいるといっても過言でない。飛行機から下りて入国審査を終え外へ出た瞬間、 包まれる風と花の匂いにはいつの季節でもため息が出る。特に厳寒の日本から来て冷えきった身体にはたまらない魅力だ。

ところが、滞在して一週間くらい立つとある変化に・・・・・ 序序にからだは暖まる。今度は芯までとろけるという感覚に気付く。これは温泉療法も同じで、数度の入浴も気持ちいいものではあるが、本当の効果に結びつくには日数を要するのに似ている。時間が寒さの「刺」 を完全に取り去り、肉体と気を蘇生させる。日本から引きづってきた冬から解放される。残念ながら観光客はその感触を得る前に島を去る。
ほとんどのツアーが5日と6日コースに設定されている。2日間は飛行機の中、本当の滞在期間は3〜4日。勿論事情はあろうかと思うがこの島では1週間以上滞在してほしい。癒しの島の魅力は倍増するはずだから・・・・


プールサイド、日本からもってきた書籍、慌てて読まねばならぬ要もない。プールとジャグジーでぼんやりする。ハワイといえば泳ぎの本場、ここへ来て泳がぬ人は、折角の天国からの贈り物を放棄したことになる。もっとも夏場は気を付けないと、陽射しが強いから焼けどをする。からだがヒリヒリして一晩中ベッドの上ではえずり回ることになる。滞在中一番多い飛び込みの患者はサンバーンだという。

ハワイの勤務、朝も早いが終業も早い。その上通勤に時間を要すること、われわれの比ではない。ロコ達は夕食前までの時間海に入る。サーフィンを楽しむというのだろうが、かならずしもそうでない。海に入り波と戯れる心地よさを知っているのだ。
プールサイドでの所作も、一生懸命泳ぐというのは子供達か、エクササイズのプログラムを消化しょうという人たちだけだ。普通は少し傾きかけた太陽と対峙し無聊の時間を過ごす。デッキチェアーは時計の針のように少しづつ傾く陽を追う。悠久という時間に身を任せている間にカラダが乾いて少し火照る。するとプールやジャグジーにつかる。
水から上がったカラダを陽と風が乾かす。カラダについた水分を気化させるこの時の感触は特別で、これを数度くり返すとデツキの上に贅沢で上質の時間が流れる。騙されたと思って滞在中は必ず、現地人のように水に漬かってほしい。

ワイフと娘が合流する。彼女達はジャグジーでしばし ・・・・・
シャワーを浴びたらYacht Clubのバーへ、少し盛装した彼女たちと食事に出かける。
二人の履く「ミュール」 足音が踊っているように聞こえる。


     

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16) コーヒーブレイク

この辺でコーヒーブレイク

お疲れさま・・・・拙著をお読みいただく皆様に・・・・コーヒーブレイク
空港へ着いたとたん暖かい風と花の匂いに包まれる。常夏の島でプリメイラなど香りの強い花が、年中咲いているから当然といえば当然だが・・・ハワイの匂いにはもう一つコーヒーの香りが混じる。アラモアナSCなどを歩くと焙煎中のコーヒーの馥郁たる香りが・・・・これもハワイの匂いだ。

コーヒ豆の品質の良いことはハワイ産「コナ・コーヒー」が、ずば抜けた価格で取引されているのを見るまでもない。 コーヒー本来の香りとほろ苦い味覚、これが世界中のコーヒー飲みを虜にしてきた。日本人の好きな「キリマンジャロ」「ブルー・マウンテン」「モカ」など既に高い知名度を有する。

ただハワイのコーヒーが他国の追従を許さないのは焙煎に特徴があるらだ。フレバーコーヒーと呼ばれ バニラ、ナッツ、チョコレートなどなどのエキスをブレンドして、甘い香りがコーヒーについている。どの香りが自分の嗜好にあうのかいろいろ試してみるのも楽しみだ。とはいえいずれの香りにも嫌だというようなものはなく、それほど神経質になることもない。おそらくコーヒー通を任じておられるご仁も、初めての経験だとおもう。案外コーヒーを嗜まない人も魅了される。

ハワイ土産としても一押しだ。手頃で移動にもさほど嵩張らず荷物になりにくい。友人たちに差し上げて一番喜ばれるものの一つだ。
ライオンコーヒーはハワイを代表するコーヒーの一つ。10数年前ハワイのコーヒーというばライオン一色だった。今日この魅力が人々に知られることになって数社・数十社がいろんなブランドで競合している。コーヒーは世界的に高くなってきた。さすがに$3台(7oz/198g)は少なくなったとはいえ$4〜$5で買える、競合が激しくなったからその時々店頭価格をチエック、利口なものを選べば良い。


家でのコーヒーが一番美味しい・・・
日曜の朝、ハワイのコーヒーをたてる。熱熱の湯気・・・フレーバーコーヒーの 甘い香りが部屋中に漂う。アロマ効果はきっとあなたを夢中にさせ、ゆっくりした時が流れる。暑い夏場はコーヒーにミルクをたっぷり・・・わたしの世代だと「カフェオレ」と呼ぶが、若い人たちは「コーヒー・ラテ」とイタリア仕立てだ。クラッシュした氷(現地の冷蔵庫ならどんなタイプの製氷も標準タイプだ)を加える・・・・
バニラアイスクリームを浮かせたらもう一級のスィーツが出来上がる。


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17) もう一杯 コーヒーを

もう一杯コーヒーをどうぞ・・・・・・
「スターバックス」、シアトルから来たコーヒーチェーンが、不況下の日本で快進撃。どんどん店数を増やしている。イタリアンコーヒーをベースに、蒸気でミキシングしたホイップミルクを加え、コーヒーが見えない紙容器で飲む。香りより味と食感に特徴があるように思える。コーヒーを飲まない女性に支持されているのを見ても、日本の喫茶店文化に風穴をあけたことは確かである。

食べ物の嗜好は人それぞれ、コーヒーのような嗜好品はことに難しい。ブルーマウンテンやキリマンジャロ、「香りと味」苦味・酸味に好みが別れる。また継続すると味に慣れ過ぎて、感激乏しく感じるのは、香水と似ている。両方とも香りを楽しむということでは同じかもしれぬ。時々変えて楽しみも倍加する。
楽しむコーヒーの世界、そんな日本で比較的知られていないのがハワイアンコーヒー。この方は香に特徴があって、フレーバーを加味したハワイのコーヒーはオリジナリティがあって、誰でもが識別できる。

アラモアナシヨッピングセンター1F 中央にコーヒー屋さんがある。馥郁たるハワイアンコーヒーの香が、通路まで立ち篭めるから、否応なく店の存在に気が着く筈だ。コーヒーを店頭で立ち飲みすることもできるが、本来は豆を売る店。コーヒー豆は格好のハワイ土産でもある。
「レコメンド」良く売れる種類、人気の品種を聞いて買い求める。少し高いがコーヒー通なら必ず虜になる。


北陸路の秋、黄金色の田園、自動車を止めてコーヒーを発てたOさん。こちらはコーヒー「おたく」と呼ばれる人がこだわるドリップル。道具一式自動車に常時積んである。電源は車のシガレットライターから、水を沸せてネルでコーヒーを漉す。野立てという日本茶の作法もある。コーヒーではダメということも無いだろう。稲穂を揺らして透明な風が脇を通り抜ける。

お湯がゆっくりコーヒーに染みてぽたぽた、褐色の液体が容器に序序に量を増す。畦に腰をおろして飲んだコーヒーの美味しさは忘れられない。その人も今年逝った。

年一回の温泉招待、忙しい時期芸子が居らずに、引退したおばあちゃんが代役で登場、宴席が終盤近くなって、接待する側のOサンは現地の人だから、いつもの馴染みの芸子がいて早々に部屋へ退散。される側のYくんとわたし、毎年手の早いY君、今年はその席で狸寝入りは、白々しくて何が何でもひどい。

残ったわたしとおばあちゃん芸者。「コーヒーを飲みに行こうよ」とわたしから誘う。考えてみれば北陸一流の料理旅館、頼めばコーヒーくらいは出るだろう。「どこか喫茶店がある?」心得た足取りで夜の帳が降りた温泉町を一直線に歩く。晩秋の北陸さすがに夜気が冷たい。浴衣に羽織の旅館の着物では冷える。深夜に近く到着した喫茶店は終っていた。仕方が無い。

はじめからコーヒーはどうでもよかった。その日相手にされない芸者に気まづい一瞬があって、とにかく外へ出た。鄙びた神社にボーツと裸電球の外灯がともっている。
「ここで待つとれ」と色気には程遠い言葉付きで彼女は消える。ほどなく戻ってきた彼女、缶コーヒーが二つ、社殿に背を向けて使い込まれた石段に腰をおろして、缶のふたをあける。コーヒーの香はほとんどしない。甘味とコーヒー飲料という風味が特徴で、普段は飲んだことは無い。暖かさが口中に広がる。彼女の風情は覚えていないのに、この時のコーヒーの思いでは鮮明だ。
少し甘さに苦味の交じったコーヒーの味は人生に似ている・・・

コーヒーにまつわる話は尽きない。ハワイには先に述べたスターバツクスの瓶詰めコーヒーがコカ・コーラから発売されている。この方はスマイルとメローなハワイの生活と同じくひたすら甘い。

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18) 虹

                                       第一章
バレンタインのプレゼントが日本から届く。さすがにうれしい・・・・

思いきって正月を海外で過ごすことも何度か経験した。これはもう日本の正月に叶うものは無い。ほとんどの国国、元旦は休みとして、「カレンダーが新しくなった日」という素っ気無さは、句読点を欠いた文章のようだ。年のはじめに改まった気分を持たぬまま、だらだらと次の年に入っていく行く感じは馴染めない。
 
町中が掃き清められて、凛とした寒気の中迎える初春、息子や娘や孫達と祝う屠蘇、初もうでによらずとも、真っ白なページに、誰もが今年の願いを懸ける。正月は日本人の心に結承をつける儀式のひとつだ。正月の行事を一通り終えて、税の申告の資料を揃えてと、旅立ちはどうしても1月末ということになる。

「大寒」それにしても寒い。四季の移ろいはこの国の恵みというが、日本の中央部に住んでいても、冬期はほぼ0度、夏場は35度を超す。その上湿度の高さが住みにくさを倍加させる。世界を知れば知るほど、この国の気象がさほど恵まれたものではなく、ハッキリいうと劣悪の部類に属するのでは無いかとおもう。建物内部は快適になったとはいえ、しょうことなしにひたすら耐えて暮らす。

今年の正月休み息子達家族が久しぶりで出かけた。家があったとしても、航空運賃だけで、20万円/1人は悠に越える。価格が「需要と供給」で決まると承知しているが、閑散期との格差は大きすぎる。
「大井川の渡し」利用客の困窮に付け込んで、駄賃を吹き掛けた彼等を「雲助け」と呼んだ。世界を飛ぶ航空会社が、同じシステムから脱せぬまま存続を続けている。IR活動に力を入れていても、企業イメージを損ねていることおびただしい。

年末年始のピークを越えた時期、さすがに空港も閑散としている。逆にいえば旅慣れて、時間を自由に使える人たちがこの時期を選ぶ。ハワイはリピーターが多いから、家族単位や少グループが目立つ。アジアはSARE'S、アメリカ、ヨーロッパはテロ・・・・
景気の低迷が全体的に影を落としているとはいえ、減便中の機内は満席に近い状態が数年続いている。

7時間のフライト、冬期は偏西風の応援を得て往路は早く、帰路は時間がかかる。新幹線ができて大阪〜東京は驚くほど縮まった。それでもさらにという思いは募る。
ことに帰路はもう少し縮まらないか? 欲望は際限ない。

機首を下げた左手の窓に太陽を背にしたコウラウ山脈が見えてくる。大概この時期山頂に雲がかって、強風に吹き飛ばされる。ホノルル空港はもう近い。


第二章
どんな旅も見知らぬ土地への第一歩はわくわく、ぞくぞくする・・・・
返還前の香港カイタク空港、「油と潮と消毒臭」が混じって、決してほめられた臭気では無いが、これが独特・・・・・「おお・・香港へ来たぞ・・・」と到着時空港で必ず深呼吸した。

訪れる土地の魅力は2種類ある。一つは尖った旅、「トゲトゲ」が一杯の旅行、とげの数が多いほど緊張感が持続してそれがおもしろい。古いものと新しいもの、西洋と東洋、豊かさと貧しさ、その上多少の危険もはらむ。この「混沌」が魅力を生み出す。前述の香港は象徴的な都市だったが、NYをはじめ世界の大都会は、ほぼ同様の魅力を持つ。緊張と刺激のの続く旅、年を取るにつれての興味は少し希薄になった。
ついでにアジアの都市、昨今は随分近代化が進んできた。とはいえこちらは「トゲトゲ」もあるが、一方で古い時代の日本を見ているような、のどかで懐かしい感慨に随所で出会うのは私だけだろうか。我がルーツを辺りに感じて「魂の揺らぎ」を覚えることがある。

ハワイは少し違う。日本との気温差が20度以上あつて、イミグレーションを終えて触れる空気、まとわりつくような風と甘い花の匂いにくらっとする。この瞬間の思いは通いつめる今も鮮烈だ。この島には刺激的な魅力はなにもない。始めての観光客が「すーっ」ととけ込める。
若い時代、米国での仕事での帰路に何度か立ち寄ったが、何気なさに気づかずにいた。「ハワイ?」と小馬鹿にしていた。私同様そんな人たちも多い。「いずれ行けるわい!!」 といいながら果たせぬまま逝った友人がいる。お痛夜の席で故人の家族が「ハワイへ行かせたかった・・・・」と絞るような声を発した。

旅先は何処を選ぼうと本人がが望むところでよろしい。しかし旅の愉しみに「癒し」という切り口を加えるとしたら、この島ほど似つかわしいところは無い。
「癒しの場所」・・・・人気のない無人島や未開の奥地は、瞬間的にこれが手に入る。
また国内にいてもそれらしい場所はある。しかしこの方は日常を引きずっているだけに難しい。問題はその場所で最低限の文化的生活ができるかがポイントになる。「携帯用ウオッシュレット」を持ち込んでの現地生活など、日本人はなかなかなじめない。

ワイキキ(オアフ島)以外の島も結構人気がある。実際に住んでみると1〜2週間が限度では無いだろうか? 「生活するには退屈すぎるのが難」だと悟る。とはいえそれぞれの島へは是非足を運んでほしい。大都市ホノルルと島の存在がハワイの魅力を補完していることに気がつくはずだ・・・・・10年住んだらハワイを知り尽くすことになると、タカをくくっていたがとんでもない。この思いはいま緒についたばかりだ。

空港を出るとシャワーが通りすぎる。旅先「雨で、コマッタ?」という印象は無く、街は普通に動いている。車の窓から見る木木につく露が光る。雨が少ないないワイキキ、オアフ島の中央に位置する山脈が屏風の役目を果たしていて、反対側は結構降るが、それでも今年の冬は雨が少ないという。このシーズン風に吹きどばされた愁雨が、あちこちの空に虹を掛ける。ビッグアイランドと呼ばれるハワイ島、キラウエアとマウナケアの東側ヒロでは年間200日驟雨が通る。

「ご存じですか?」 ハワイのシンボルは虹、自動車のナンバープレイトにさえ、虹が描かれている。ハワイ大学のフットボールチーム、この方はいかにも弱そうだと・・・・昨年虹のマークを変えた。
日本なら虹は「はかない物」のひとつで、すぐに消えると思ってきた。、どうしてどうしてハワイでは、しかも虹の掛け橋は、端から端まで全貌を見せて、大空というキャンバスに見事とな弧を描く。
ワイケレまで買い物に遠出をしての帰路、フリーウエイを虹に向かって疾走する気分は、もう子供にでもなったようで、ひさひさにワクワクする。「虹が消えるまでに願いごとをお願いししたら叶う」というようなことがあれば、ハワイは願いごとの天国だ。あまた「人類のために、地球のために」と壮大な願いをかける。
帰宅した夜「虹を見に来ませんか?」遅れて日本を出発すると約束してきた友人家族に連絡を入れる。


第三章
マウイ島ワイレアへ行く。日本からM氏、S氏ご夫妻とホノルル空港で落ち合う。
彼等が入国の諸手続きを終了したら、通常は団体・グループは流れとして左手出口で旅行社が待ってくれる。ひとりひとりにレイとキスの歓迎を受けるのもこの場所だ。
旅が始めてのM氏には右側でと念をおしておいた。M氏の第一声「ここが芸能人を待ち受けるレポーターの定位置か?」と気分以上に会話の内容も軽い。

ここからは国内線、日本からきたら荷物は最終地まで届く。とはいえテロ以降警備が厳しく、空港での手続きは難渋する。好きな時間に行って好きなように乗るような、バスに乗る気楽さは無くなった。だからとはいわぬがハワイアンエアーは昨年倒産した。
ホノルルから各島へ所要時間は30分・・・・できれば指定のない機中、進行方向にあわせて窓際左座席にと、M氏に伝えたらきっちりとまもる。空港を飛び立った機の窓にワイキキの市街地とダイヤモンドヘッドまでのパノラマが一望できる。観光機に乗った気分だ。あと機首を急角度であげて海上に出る。高度が低いから、他島へのフライトは、地図と同じ形のモロカイ・ラナイ・マウイ・その先ハワイ島が紺碧の大洋の中に望める。バリハイの島カウアイだけは反対方向になる。「左の席ですョ」よほど気に入ったかして、帰国したS氏からのアドバイス、すっかりハワイフリークになっている。

レンターカーにしょうか迷う。運転ができればこれもチャレンジすれば楽しい。ビギナーはオープンカーに憧れる。乾いた風の中を走るスポーツタイプ、想像しただけで「カッコイイ」の一言、陽射しの強いハワイで真夏こんなのに乗ると後頭部が焼けて「早くにハゲマスョ」とロコ達に揶揄される。

島もだんだん賑わってきたとはいえ、まだまだ車両の交通量も少なく、ワイキキで乗るよりはゆっくり気楽に乗れる。左折した側道、随分先に斜線をはみだしたまま対向車が止まった。近付くとローカルのご夫婦、こちらを見てニコニコ笑っている。右側通行帯を側道で間違えて走ってきた私の車、レンターカーは昼間でもへットライトが点灯しているので、遠くからでも識別できる。「また観光客が間違っとるわい」と先方が車を止めて待っていてくれた恥ずかしい経験もある。日本ならさしずめヘットライトのパッシングか、「馬鹿やろう!!」くらいの罵声が飛ぶところだ。アロハスピリット、日本人の運転マナーより質がいいことは保証できる。

観光の繁忙期はあらかじめ日本で予約しておかないと、車が無いということがままある。日本の運転免許書とデポジットとしてカードを提示すれば良い。保険はフルカバー・・・
結局滞在中の予定を考慮して、ワイレアのホテルまで総勢5名タクシーで行く。


第四章
「天国へ行こう」ととてつも無いテーマーで友人を誘った。ことに海外などとんでもないというM氏には「遺影」の写真はハワイ旅行で、と親しさにかまけてむちゃくちゃなこともいった。写真がきれいに写ることは嘘ではない。光の強さ、何より屈託のない滞在が顔にでる。マウイ島ワイレアは雨の少ない土地だ。これだけでも心置きなくゴルフができる。しかもコースは全米ベストテンに入るコース、いつだったかご一緒した日本人、商社をリタイヤしてアメリカのこれというゴルフ場めぐりをしている。氏いわくべストテンもごくごく上位とのお墨付き・・・・ゴルフ好きならこれは天国だろう。

ゴルファーだけが天国を享受できるのではない。ゴルフをしないワイフ達には、「ライダー」という制度がある。申し込めばカートを運転してゴルフ場を一緒に回れる。陽射しはさすがに強いが、丘陵の起伏に芝のカーペットを敷きつめたフエアーウエイを自由に走り回る。孫娘のファーストティと初めてのドライブはこのコースだった。時折飲み物と食べ物を売る車が巡回してくる。ボリュームのあるサンドイッチが普通だが、運が良ければ「スパム」にありつく。
プルメリアが香りを放つ木陰、海を望める位置にカートを止めて・・・・・彼女達にとってももう最高のピクニックだろう。カートにはナビゲーションが設備としてついている。自分の球の位置に止めると、ピンまでの距離が表示される。プレー中の私をフェアーウエイに放っておいて、プルメリアの木陰からワイフが「150ヤード」と叫ぶ。彼女の方が先に天国にいる様子だ。
それでも時々「ナイスショット」拍手が飛ぶ。M氏はワイフにほめられて調子つく。S氏の方は「あなたフォーム悪いわ」とこれは連れ合いから指摘されて、いらぬ力が入ってますます球は曲がる。

もともとマウイはラハイナを擁するカアナパリ周辺、ウエストマウイが観光の中心だった。
五月の連休、到着便でごった返すホノルル空港で、偶然役員で外国部長のAさんご夫妻に出会う。「どちらへ・・・」「カアナパリへ」 君たちは「ワイレア?」
仕事柄外国通のAさんが、「どうして?」とその時怪訝な顔をされたのを覚えている。成熟したカアナパリに比べたら、村の寄り合いのような小さなSCがひとつ、庭は子供達の遊び場でありフラの練習場所だった。ここで買い物をして、財布を忘れたが当然のごとくそのままで置いてあった。一緒に遊んだ仲間たち・・・・成熟した喧噪の街か鄙びたホテルか?仲間も魅力も二分される。


第五章
カフルイの空港を外れるとさとうきび畑が続く。精糖工場、一見異様な建物、この風景も慣れると懐かしい思いを抱かせて、この辺りを通るのが好きだ。
ホテルの食事に飽きたらキヘイヘでかける。そのひとつの店で食べたアサリのワイン蒸しは、小さなバケツに一杯あった。ボリュームもさることながら旨さも飛び抜けていた。

ショツピングモール「ザ・ショツプ・アット・ワイレア」が2000年同じ場所にオープンした。規模は一級で、世界中の有名ブランド店がそろう。低層で洗練された佇まいを見せるSCは、女性達の夢のほとんどをかなえる。昼下がりなどは観光客もパラパラ、ごった返した買い物に慣れた日本人には物足りなさも付きまとう。SCが買い物するだけの場所だけならこれだけの設備はいらない。
歩き始めたばかりの幼児、よろよろと今にも転びそうなわが子の足取りを、若いママが見守る。木陰のベンチで本を読む人、ぼんやりと時間をやり過ごす人がいる、若い二人連れの快活な話声がすれ違い様に聞こえる。
午前中ゴルフを終えた私と、ホテルに残ったワイフ、巡回シャトルで落ち合う。私はバトワイザー、彼女はアイスティ、ローカルのランチを二人で分ける。

旅の醍醐味は非日常性、例えばホテルはオープンエアー、チェックインで待つ間も、花の香のする薫風が吹き抜ける。パームツリーが黒々と影になったシルエットの向こうに、コバルト色の海がキラキラ光る。これから始まる滞在への静かな高まりが沸き上がる。

所有者の日系企業がホテルとゴルフ場から撤収を決めた日、03/10月ここを訪れた。もともとカナダの外資からバブルの前買い受けた。10数年維持してゴルフ場はハウスとコースの改良と新設を加えた。バブルが弾けて日本経済先の見えないままデフレを迎える。売却先は同じくカナダ企業、高く買取って売却は買い叩かれる。
日系企業の現地責任者K氏に会う。エクササイズで鍛え抜かれたからだとこころ、西洋的タフさが魅力的だった彼、心なしかスマートになっていて、話す言葉に元気がない。勤めが無くなるのだから当然だといえ過酷な現実。ここを拠点にメインランドで活躍するプロゴルファーT君の話題も、前回は「そんなにゴルフがうまいですか?ここでは確かにカラオケの腕は上げましたが」とジョークが冴えていた・・・・
Tさんと呼び方まで違う。事業は無料サービス(6億かかる/年間)を有料にして継承するが・・・良いはたらき口がありましたらと・・・請願される。「日本でも・・・OK?」という問いに、「この島から離れることなど・・・・」と、ハワイで好条件の職場は見つけにくい。天国にも苦悩はある。


第六章
翌朝の起床は生まれたての真新しい空気と・・・・鳥の鳴き声、今さらのごとく鳥の鳴き声で、こんなに気持ちのよい目覚ましがあるものか?
といいながら朝食を約束したS氏だけががなかなか現れない。「寝坊したのかなあ?」
とうわさしているところへ登場・・・・・深夜起きだして海岸へ、星空のあまりのきれいさにしばらく散歩したとか、そういえば日本の天体望遠鏡「すばる」も隣の島ハワイ島にある。天体観測に関しては一級の場所であることはいうまでもない。ハワイは大平洋のまん中の島、海の囲まれていることは承知しているが、しばらく滞在していると、空に囲まれていることの気がつく。海はそこへ行かぬと臨めぬ場所もあが空は場所を選ばない。

本当にプラネタリュウムそのままの天空が広がる。「木枯らし途絶えて冴える空より・・・・」(唱歌)われわれ日本人が知っている星空は凍てつく冬の空だ。「あなたのお誘いのスケジュールに、今後天体ショウの観望会を加えるべきだ」星座図でも持ってきたらもっと楽しめた・・・・とこれは目からウロコのご指摘。
ハワイの冬、凛とした寒さはみじんもない。常夏とろけるような空気の中で夜空を眺める。ビーチに横たわって眺めた夜空と散策は、場所さえ選べばオススメの経験だったろう。あらためてS氏のロマンチックなご趣味に脱帽、
横から「夜中にごそごそして、そのえう帰ってきたら部屋が砂だらけ、私の方は迷惑したは・・・」これはS氏の奥さん、朝食に話は盛り上がる・・・・・

今日は早々にゴルフを切り上げて、「ラハイナ」へくり出す。pm4:00約束どうリ空港で出会ったタクシードライバーが迎えにくる。ベトナム国籍の彼女、アジア人との車中の会話はお互いに第2外国語、劣等感もなくコミュニケーションも取りやすい。泥沼の戦争をした敵対国、事情はあろうともハワイでタクシードライバーができるこの国の許容度も正直驚く。シュガートレインは最終が4:00間に合わず仲間達には迷惑をかけた。

ラハイナの町、カメハメハ王朝の旧首都、19世紀半ばにはホエーリングの一大拠点として栄えた。時間がたっぷりあるので食事場所を決めて町をぶらつく・・・海に接しての道の左右に瀟洒なコロニアル風の建物のショップが続く。小さな町だから別行動した友人達とも始終出会う。なにか特別珍しいものにであったかと問われると「別に・・・」ということになるのだが、ゆっくりとした時の流れに身をゆだねる鄙の時間と、ところどころで波と出くわすのこの町での散策は強烈な思い出として残る。S夫妻もM氏もラハイナの夕暮れは良かったとたびたび思いで話しに出る。
倉庫群を利用したビアの再開発までいかずとも、海に接した日本列島でこんな町並みづくりは参考になるのでは・・・・

間もなくサンセット、町のはずれに近いFish Coで食事、ここは何度か利用して知っている店、2Fの海にせり出したテラスに席を、力を弱めた太陽が対岸ラナイ島に沈もうとする。上席はまだしばらく夕日が眩しい・・・よせ返す白波が島の喫水を首飾りで飾る。
乾杯「今日一日の・・・」 乾杯「天国に滞在する一日に・・・」何度目かの乾杯は今日の役目を終えた太陽にだ。

ワイキキで到着した日生牡蠣を食べた。ハワイでは初めて、これが結構上質でよかったから、ここでもリクエストが出る。貝の形こそ不揃いでダメかなという思いは吹き飛ぶ・・・・小粒だが磯の香りの強く旨さが凝縮している。この辺りで採れるのだろうか?お変わりをする。SOLDOUT!! 「料理は美味しいか?」「楽しんでいるか?」ウエイターが時々声をかける。先ほどまでの夕日は、ガスの松明に役目を譲っている。
食事を終えたらpm900待たせたタクシー、待っている間何をしていたか尋ねたら、家族の食事の買い物をしたと、ネギやら何やらの買い物を見せる・・・・・

ホテルへ帰って部屋に集まる。ラハイナで買ってきたシャンパンを抜く。締めくくりも乾杯の連発、人生乾杯の数が幸せの数とイコールかと、わけの分からぬことをガヤガヤとやって、片づけもそこそこで・・・・さすがに疲れてバタンキュー。
3日の滞在を終えて午後の便でワイキキへ、帰りは空港チェックも比較的簡単でスムーズ、Waikikiヘもどって来たら家に帰りついたようとM氏、始めての旅にしてはすっかりペースをつかんでいる。


  第七章
息子が来島する。空港へ迎えにでかけようとしているところへ、「もう到着した」とデンワが入る。旅慣れた彼の方はタクシーで迎えに及ばず。
NYテロが起こって外国人に関する管理が難しくなった。ソシアルセキュリティはほとんど発行不可能となった。最後という時期に彼は貰った。これがあってローカルの証明書をかねる運転免許書の取得にチャレンジしている。彼のようにサラリーマンで、休暇が2〜3日の極悪といえる条件では大変むつかしい。回を重ねる以外方法はない・・・・今回もこれが目的だが帰路M氏を日本へ届ける役目もになう。S氏夫妻は早期退職制度を利用して、日程に余裕があり少し遅れて帰る。私達夫婦は日本で桜が咲くころまで滞在する。帰路は日本行きだとしても、S氏の安寧な日本への到着はお誘いした側の責務でもある。S氏との帰国日程に合わせて息子を来させた。

息子は時差ボケの残る到着の翌朝am2:00寝る間も無く試験場へ。通常はデンワで予約、数カ月先になるが受験日の予約をくれる。スケジュール上これができぬから当日、いわゆる飛び込みということになる。試験は朝8:00からだが、当日必ず受験できるという保証のために早朝から並ぶ。日本を出てからまる2日間ほとんど眠れぬまま、ドライバーライセンスにチャレンジするのだから・・・・

S夫妻・M氏とパールハーバーへ、お気に入りのハワイも「真珠湾」だけは避ける。先の戦争はここから始まった。そして日本は敗れた。終戦という人がいる。敗戦と呼ぶのが正しいと頑な私はいまだ現場に足を踏み入れたことはない。パールハーバーの観光は2ツある。「アリゾナ」と「ミズリー」だ。アリゾナは日本軍の攻撃を受けた被害のメモリアルだ。現実から目を逸らせるなという意見もある。無視し是認しょうという思いあがりもない。われわれが経験した戦争という行為、せざるを得ないギリギリの諸々があって起こった。戦闘行為の行われた現場を、「これでもか」と直視できるほどのタフな神経を、持ち合わせていないというのが本当の所だ。これを頑なほど忌避してきた。
しかし戦艦ミズリーは日本が講和条約を締結した場所。大砲の真下の艦上での会談は、決して対等の立場ではなかった思えるが、当時の調印風景がそのまま残されている。

それよりもこの戦艦がベトナム戦争にも、再参加した経緯を知るだけにこれは興味があった。軍艦を目の当たりに見れる機会はそんなにない。M氏40インチの大砲がこれ、戦艦ヤマトは45インチを積んでいたと、博学振りを発揮する。S氏夫妻は記念写真に余念ない。


第八章
携帯が鳴る。息子ダメだったの連絡が入る。さすがにこちらも気落ちがする。
しかし当人はもっとがっかりだろう。もう少しゆとりがいると思う。気落ちするな・・・・まあ考えたらいいのでは?「今夜はうまいものでも食べに行こう」。
そして彼はM氏と早朝ホノルルを離れる。

交通ルールに特別差はない。これだけは真似たい。一旦停止、信号のない交差点、日本でも必ず一旦停止の印があってもほとんどが無視する。止まろうものなら相手車が停止車を無視して通過するから、止まった方はひたすら待つことになる。どうも大和魂は「先を行くために譲らない」ことを本懐とするようだ。だから一旦停止のサインは意味を持たぬ。ルールを守らない日本人の後進性も情けないが、守りにくいルールになっている。取り締まれば大勢が法に触れる。悪法の最たるものでもあろう。
ハワイでは止まった刻で優先権が生じる。自車より早くに停止線で止まった他車があれば、必ず他車が先に動く。後続車がいたとしても、次の車も同じルールが適応されるから、今度発進するのは自車の番だ。止まるべきところで止まる順位で権利が生じるこのルール、民主主義の原点を見るようにおもう。この段で行くと割り込みという混乱は生じない。

M氏慣れぬはじめての旅が終わる。足を痛めた。普段の生活不摂生とまではいわずとも、結構やわな生活を続けていたことが分かる。滞在中あちこち歩き回った。ゴルフが引き金になった。ゴルフ好きの彼、始めてカラダを捻るという奥義を、はじめてハワイのゴルフで体現した。球は過去にないほど飛んだ。そして今日帰国してからもそれは続いている。

彼等の帰国当日の早朝、足を引きずるM氏・息子共々、Egg's innヘ誘う。ハワイで有名なレストランのひとつ、ことに日本人にも人気がある。火事をだしてしばらく休業したが再開された。

ホノルルの地図を見るとワイキキを取り囲むように運河が流れる。何でも今は世界のリゾートワイキキも、もともとは湿原地帯で、この改善のために人工的に作られた。世界の大都会が大型河川の下流に開けているがワイキキは珍しい。短い運河は西下し流れを南に変えて海にそそぐ。海と運河が混じりあう地点がヨットハーバーのメッカだ。
ことに南に流れを変えてからの運河周辺の景観はすばらしい。
大木が覆いかぶさって遊歩道にトンネルを作る。早朝の優しい風が吹き抜ける。揺れる木々からの陽射し木漏れ日が動く影を落とす。自宅から店までゆっくり歩いて15分、この道の散歩がすでにごちそうのはじまりだ。この道の入口にプロムナードと記してある。なるほどと納得いく。Egg's innは相変わらず繁盛している。

空港へ二人を送り届ける。淋しくなったが少しほっとした所もあって、夕食後久しぶりにMacyをぶらつく・・・・pm9:30 息子・M氏から日本到着した旨連絡入る。


月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老いをむかうる物は、日々旅にして旅を住処とす。古人も多く旅に死せるあり・・・
松尾芭蕉が「奥の細道」ヘの旅に出たのが46才。今では丁度われわれの年嵩ではなかったか。芭蕉のような終世感はないが、よい友とのよい旅は心に残る。旅路にましてすばらしい仲間・息子との邂逅に感謝する。



 
    
 

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19) ブーゲンビリアBougainvillea

 オシロイバナ科、ブラジル原産のつる性花木、園芸品種が多く、花色も赤紫、赤、ピンク、しろ、オレンジと多彩で八重咲き種や斑入り葉種もある。花びらと見えるのは苞で、実際の花は中央部にある白色の筒状小花である。熱帯では周年花をつけ、最も多く見られる花の一つ。

ハワイもこの花が多い。
ネバーアイランド、島は赤紫(原種)が多い。道の端、溶岩の間、野生のもののほとんどがこの品種、私もブーゲンビリアといえば濃い赤紫と思い込んでいた。色がきつい。
ピンクやオレンジの花を最初に見たのは10数年前、T君達とハワイへ立ち寄った時、ロイヤルハワイアンホテルの海への出入口で大型の鉢に植っていた。写真をとった記憶がある。ホノルルや、都心ほど薄い色合いピンクやオレンジが混ざる。それだけ人手が加えられている。オレンジとピンクを同じ鉢に植える。互いの色は補完しあって、都会的で洗練されて見える。 

コンドミニアム、ヨットハーバータワーはもちろん、お向かいのアラモアナシヨッピングセンターは、この色の組み合わせででとり囲まれる。枯れると苞といわれる花の部分は落ちて、乾いてドライフラワー化する。薄いパラフィン紙で作った造花、軽いので庭の木々の下や、建物の蔭などに吹き溜まっている。花の死骸は乾いても結構きれいだ。

風の強いハワイ、ワイキキであまり風を感じないのは、ホテルが貿易風を遮るように建ててあるからだ。コンドの横アトキンソン通りは山から海への風の通り道、ビル風が手伝うと、立って歩くのがやっとという瞬間がある。ここでワイフは傘をさしていて風に思わず吹き飛ばされた・・・・・本当の出来事である。
 
風が通る。風の通る音が聞こえる。
ビルの吹きだまりに枯れ落ちた、ブーゲンビリアの花の群れに風が吹いて、この風がビルをかけ昇る。花はほとんどピンクの固まりのままビルの壁伝いにを駆け上がる。中にはぐれて真っ青な空に吸い込まれるよう飛び去るものもある。

風が止む。こんどは乾いて軽い三角の羽を持った、お正月羽子板でつく羽のように、回転しながらゆっくり一つづつ舞い降りる。

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20) ワイキキビーチ

ご用心のほどを・・・・
ラジオの領事館だよりで、諸々の連絡があって、ワイキキで日本人が夫婦ゲンカ。日本では犬も食わぬと・・・無視されるがこちらではお互い軽少でもケガをしたとなると、加害者ということで刑法で罰せられる。これで勾留され仮保釈金が$1000/1人。後裁判を受けることになる。刑が決まると5年ハワイはもちろんアメリカへの入国禁止。いずれにしろ内輪の痴話げんかが高いものにつくので、ご注意をと・・・・・   
同じくアラモアナで子供がぐじる。親は当然として体罰を・・・これを当地の人が見て訴えると、親が勾留される・・・・ 「激怒」して得することなどあるはずもない。 気をつけないと天国への扉を自分で閉ざすことに相成る。


われわれはオアフの要所アラモアナに住んでいる。今の所あまり滞在できぬ息子・娘たち、「時々ワイキキへ出向かねば・・・」が決まり文句だ。さすがに娘は子供を連れてワイキキはテリトリーだ。
バスで10分程度「ポストオフィス前」で降りて、カラカウア通りを東上すればワイキキの中心街だ。

三月に入るとさすがに空の色が深さを増す。目前ワイキキビ-チはいつもの賑わい。はだかで大勢の人人が、「天上で遊ぶ」夢のようなひとときを楽しむ。どんな不幸もビ-チで寝そべる人に限り存在しない。春の気配を増したビ-チの空には、幸福のシンボルエンゼルが今日も大勢、飛び交っているに違いない。もしこのビ-チに人の賑わいが見られぬ時がきたとしたら、それは地球が滅びる日だろう。それでも地球最後の日は、やはりここで過ごしたいと念願する。現地の大歌手DON・HOOの追悼の式が、この濱で行われ沖に「散骨」された。この島の海への「散華」を望む所だ・・・・

ワイキキといえばビーチに沿って建つホテルと、背景のダイアモンドへッドは誰でもが知る景色の一つだ。ビーチでは大勢が好きな時間を過ごす・・・・沖合打ちせる波が白い波頭を見せるあたり、サーファーが波との格闘を繰り返す絶好の場所だ。とはいえサーファーの類いからいえば、ビギナーを含めて穏やかなものだ・・・そんな景色をぼんやり眺めながら・・・

ワイキキを満喫できる特等席がある。このビ-チのほぼ中央で、プライベ-トビ-チを取り込んだ「MAITAI・Bar」はオ-プンエア- の極上の場所、なかなか席が確保できない難はある。ここでランチ・・・・クラブサンドを頬張る。そうそう歴史のあるこのバーの古いメニューが出てきて、ここに画かれた図柄をポスターに復刻、これが我が家の玄関を飾る。

ひらひらと目の前に何かが飛んでくる。「ドル紙幣」どなたかがとあたりを見渡すが、いつも混雑しているこの場所に珍しく人がいない。そうだ今までいた客がテ-ブルに残した、チップが風で飛んだ可能性もある。腰を上げて拾う。「20ドル」はチップの額ではない。

相変わらず賑わうワイキキの浜から、風に吹かれて飛んできたとしか考えられない。持ち主不明の春風が運んでくれた贈り物。さすがに気が引けてテ-ブルの上に置たら、ウエイタ-がチエックと間違えてそれを引き上げてしまう。その勘定がちょうど20ドルというのもでき過ぎている。

帰路、パ-ルハ-バ-で沈没した「えひめまる寄金」に立ち寄る。

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21) Ghiradelli

AM TRAVEL
××陽子様
いつもお世話に相成りありがとうこざいます。
お水とりが終わると関西は、春真っただ中になります。
昨日、ハワイから帰ってきました。お土産を送ります。

ハワイのチョコレートはマカデイミアンナッツと決まっていますが、去年カラカウアにサンフランシスコのチョコレートメーカー「GHIRADELLI」が店を出しました。彼の地で工場を見たこともあって、立ち寄ったのですが、以来虜になっています。店もアメリカのソーダファンテンの面影があって、質の低い店が多いハワイでも、女性にとっては素敵な憩の場所ですよ。あなたの仕事、旅行代理店でも新しい情報になりますでしょう・・・・・

別添のメニュー、「Double Scoop Sundae」は食べている最中に、「おいしい!!」を連発するものですから家族に笑われています。ただし、日本人になじみがなく、今の所繁盛しているとはいえません。今度行くときまで店があるか?といつも不安がよぎります。
一押しの・・・・・お試しください。    ××敏子

上記はワイフが知人に送った書簡である。サンフラシスコ滞在中、私は仕事があって単独行、その間彼女はガイドを断って一人で訪ねた先が「 Ghiradelli」の工場だった。それだけに「思い出」も「思い入れ」も凝縮されている。

カラカウア通りの西はずれに直営店を出した。 さすがにメインランドからの店で、腰から下をグリーンと白のタイルで張り分けて、上部の壁面には50〜60年代のポスターが架かる。いかにも清潔で古いアメリカのソーダーファウンテンという佇まいは、ハワイがローカルであることを強烈に印象づける。
何杯飲んでも堪えないアメリカンコーヒーに、アイスクリームと果物ふんだんの、メニューのいろいろは、一人で食べるのは無理といえるボリューム・・・・家族で立ち寄ると1人前の注文にしておかないと、食べ残す心配は無いと思うが、ロコの体つきになることを覚悟することに相成る。

従業員はなぜか島の住人、日曜祭日は家族ぐるみで接客している。コーヒーは子供が運んでくれる。
ここで帰国用の土産を買ったワイフ、女性はよくやるのだが・・・・・帰宅して清算を整理していたら買った数と支払いが符合わない。クレームにバスに乗って出かける。日本ならば支払いと受け取った商品の数の照合には、多少ともごたごたがあつって後味よい交渉とはいえない。ハワイではレシートと自己申告で気持ちよく対応してくれる。このときは支払いで清算してくれた。

私の場合、ホッスル社のサングラス・・・メーシー百貨店で特売をしていた。半年は使ったと思う。帰国間際になってこれが壊れた。修理に出すとしてレシートも無い。もし修理に時間がかかると受け取れぬ。
心配しながら店まで出向いたが、対応はメーカーの陳列コーナーへ連れて行き、ここから良いものを選べと・・・・買ったときは特売、並んだ商品とは価格差がある。それでも交換してくれて終わり。いかにも大雑把アメリカと思えるが、「顧客が神様」と思えばこのサービス精神は見習うものがある。

家族全員か好きな「ノードストローム」という大デパート、靴の小売りから出発して今日を作り上げた。その創業精神は「履いた靴でも不都合なら交換に応じます」靴という商品、本当は履いて見ないと不備が解らぬという解釈に根ざしている。

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22) バスの旅

 
タートルベイへ
  第一章
  am10:00のIsland Carcle Busで旅立つ。名前の通りこのバスは4時間かけてオアフ島を一周する。丁度中間地点がタートルベイ。ここでバスはそのままで、行き先ナンバーが42から55に変わる。  
3月快晴の朝、アラモアナの山手側を出発したバスはほぼ満員。バスは前方側の席が、日本でいうシルバーシートになっている。車椅子もこの場所を利用してベルトで固定してくれるし、また時には荷物の格納場所としてシートの下部が利用される。とはいえ大きな荷物の持ち込みは原則として禁止、ゴルフバッグ、サーフボードの持ち込みは許可されない。戸外での飲食は、海外のルールと思い込んでいる人が多いが、ジュースなど飲みながら乗り込むと、拒否されることもままある。その旨のサインが一部日本語でも表示されている。

日本のようにこの席に若者や健常者が平気で座ることはまず無い。ロコ(現地生活者)の習慣は徹底している。万一必要な状況になれば必ず席をゆずる。狸寝入りという手も通用しない。運転手は勿論、乗客からも注意が飛ぶ。ルールを守るということでは厳しい。
強い権利の要求と希薄な義務の履行という日本の民主主義は、この国の民主主義と比較して別物と感じる時がよくある。民主主義までいわずとも、弱者をいたわる人して当たり前のことが、われわれ希薄になっているのは残念でならぬ。
  
比較的距離の短い島内での移動は、席を譲る側もさほど苦ではない。長距離バスもホノルルの町中では市内バスと同じ路線を運行している。バス停も多く乗り降りが激しい。席は始終空いたりつまったりする。その都度譲ったり座ったりではかなわない。
サークルアイランド、2時間から4時間以上乗るこのバス旅行は、はじめから後ろの席を確保するのが、旅を楽しむ条件でもある。
  
ようやく市内を通り抜けてホノルル空港の手前で、H1高速に乗る。片側4車線のフリーウエイをスピードで走る。高速道路網は整備されている。話は脱線するが、道路というインフラは当然税金でつくる。国民の税金で作った道路で、もう一度通行料を取るという日本式は、この国の人に話したら吃驚する。その上道路巾が狭く雪上を駆け抜けるリュージュの人工的なコースみたいな規模しかない。慣れているから平気で疾走しているが、帰国しての高速道など暫くは恐ろしくて走れそうもない。ハワイ第2の街パールシティを過ぎると、バスはH3を北上する。
  
珍しく海から遠い町ミリラニ、町中をあちこちに寄りながら縫うように走る。熟成した街並みは街路樹の風格からしても雰囲気が漂う。
  
途中のバスで停で、バスが停車して運転手が降りる。エンジンを止めた車中で、乗客同志の話声が急に大きくなって聞こえる。なぜか子供の頃母方の家に向かう電車の車中で、決まって停車中はそうだった思い出が急に蘇る。バスはしばらく出発しそうにない。
  
道路の反対側で携帯デンワかけているのが車窓から見える。勿論音声までは聞こえてこない。ワゴン車が一台近づいて止まる。ローカルの代表的な体躯の女性がその車から降りる。ふたことみことなにか二人はしゃべって手を上げ別れる。彼女が我々のバスに乗り込む。今まで運転してきた人は彼女が乗ってきたワゴン車に・・・・背後にバス会社のマークがついた車が走り去る。動き始めたバスの車中、急に蘇生したからだのようにエンジン音がひびく。先ほどまで聞こえたのどかな会話は騒音にかき消されている。

ミリラニの町を通り抜けるとバスは喘ぎながら台地を昇る。台地はパイナップル畑、パイナップルはパームツリーのような、高木に実がなるように思っている人もいるが、日本でいう「そてつ」に似た低木の先に実がつく。農園は眺望が開け、台地続きに遠く山脈が見える。ここから見るコウラウ山脈は珍しく穏やかで、日本の景色に似ていてほっとする。観光施設ドールプランテーションは近い。ここでホノルルから来た観光客がほとんど降りる。バスの車中の空気まで変わる。  
  

第二章
「海への坂道」と呼ばれる名所は日本でもいたるところにある。海を望んで下る道路、海を背にしてゆっくり昇る路、なぜか坂道は心象風景のひとつとして、誰でも思い浮かべるかべることができる場所だ。
  
ドールプランテーションから、ノースショアへ向けての坂道は、ハワイでも一級の場所だろう。海へ続く坂道と聞いただけで絵になるシチュエーションも、ここはスケールが違う。道はわずか緩やかに蛇行するが、ほとんど直線でパイナップル畑の中を海を目指して下る。車の風を切る音が聞こえる。

飛行機がぐんぐん機首を下げて滑走路に到着する瞬間に近い感覚が続く。旅の終を告げる帰着は旅の醍醐味だ。滑走路に車輪が接触したとたん、旅という非日常が日常へスイッチオンされて、旅人に安堵が広がる。このスイッチのオン・オフが旅への誘いをかき立てる。
台地を下りつづけて、街とバイパスの起点の信号機に出くわす。ここまで来るとハレイワの街の背景でしかなかった海が、打ち寄せる波頭まで見えてくる。

先を急ぐ旅はバイパスを行けばよい。この島の生活で先を急ぐということなどまあない。バスも信号を左折して、海沿いをハレイワの町へ入る。近年少しづつこの町も賑やかになりつつある気配はあるが、相変わらず古いシネマにでてくるのような街並が続く。ワイキキから来るとローカル色プンプン。この町の名店松本アイスの店頭で、リムジンでやって来た新婚さんが仲良くレインボーアイスを食べている。かき氷りにかかる虹の色が、若い二人の今を写し出している様子が微笑ましい。
  
ノースショアーの魅力は海以外何もないが、懐かしさと混じる安堵を訪れる人に与える。ぱらぱら町での生活者の乗り降りが続く。つい今し方清掃車がゴミを収集にきたのか、車道に始末を終えたゴミ箱が放置されている。ハワイでは今のところゴミの分別収集はしていない。コストが掛り過ぎる。努力の割に報われること少ないと、ごくシンプルな発想だそうだ。とはいえ膨大化するゴミの消却場所に苦労しているのは、ご多分にもれずのようだ・・・・各家のゴミ箱がバスから見る限り統一されている。カリフォルニア・ビバリーヒルズなどはゴミ箱も統一されていて、規格外は使用不可という。
ここではグレーのプラスティック製、ほぼドラム缶ほどの大きさがあって車がついている。家から自宅前の道路まで引いて運ぶ。収集車が通った後は家人が家に戻す。
  
日本のゴミの現状・・・・・カラスや野良の犬・ネコを防ぐために、いろいろ手段を講じている。日本を代表する銀座でこの対策がうまく行かず、早朝など恐ろしくて不潔で散歩などしていられないという覚えがある。

青い建築現場を被うビニールシートにレンガで重しをする。日本でも男性がごみを収集場所へ運ぶというのが普通になってきた。自宅にいて時々この場に立ち会う。こういう問題は仕事のように自助努力で改善される余地もない。  「何が文化国家だ」・・・・・・
  
バスは降りなければ何処まで行っても$1.50、島を一周して最後はホノルルへ戻る。 前回ご一緒した乗客、そろいのパーカーを羽織って、礼儀正しいたたずまいの老夫婦、ひたすら車窓の景色を楽しんだか、そのまま乗り継いで帰っていった。イギリスから来たといっていたが、ハワイはイギリスの真裏側、彼等には今まで見た自国の景色、海の色、風の流れなどの違いに酔いしれていたのやもしれぬ。

中間点タートルベイで降りる。それでも足ががくがくする。ゴルフクラブへ・・・・  サンドイッチ・・・・芝生と木立に囲まれたクラブハウス、強い日射しと、心地よい風が吹き抜ける。
隣接するタートルベイホテルの改装が進んでいる。何かコンベンションでもあるのか珍しく客が多い。テロと不景気の影響で島へ移動しにくくなっている。オアフに居てタートルベイは、離島に近い魅力を持つ。ここ数年如何にもホテルが古くなっていた。ひょつとしたら閉店するのではという印象すらあった。

どんな場所も人がいないとよく見える、人がいるからよく見える。というのはあるようだが・・・・リゾート施設少しは人が集まっていないといかにも淋しくみすぼらしい。
ホテルの入り口が大きく変わっている。暗いフロント前のショツプが取り払われて、サスペンションガラスになって180度海が見えるいる。エアコンの効いた部屋、ソフアーに座って眺める海は、画像かと思えるほどみごとできれいだ。人にとって快適な生活というのは、こういうことかとつかの間うとうととする。

ホテルの外に出る。冬の海と対峙する。 大平洋の真ん中、打ち寄せる大波、それが辿り着いたこの島で・・・・崩れる波頭は真っ白な泡・泡・泡・・・・くだけた波頭が風に飛んで、スプレーが時々顔や腕に当たる。ここに立つた人でない限りこの様子を正確に実感することはできない。目の当たりに見る景色は間違いなく冬の海の咆哮、しかし空はあくまでも真っ青に晴れて、海は碧、吹く風は暖かい。オアフのこの海岸に打ち寄せる波も、夏にはおとなしくなる。

  

 

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23) パシフィックリム

車のある時はワイケレ(アウトレット)や99マーケット(中国系マーケット)まで遠出する。チャイナタウンはよく行く場所一つだが、以前は治安が良くないから、あまり近ずかないように、友人から注意を受けていた。

90年代の終わり急速に街が変わる。州警察の警備の強化・アメリカ景気の回復など理由は幾つかあるが、香港返還も影響したと思う。97年香港人は中国への帰属を嫌って世界各国へ離散した。香港オーシャンターミナルで開業していた、友人Chuiの兄達もその時ハワイに戻った。中国建国の士「魯迅」も幼年期をこの島で過ごしており、彫像が彼等の店の前に建っている。

チャイナタウンの充実で中華料理の質が決まる。DCワシントンで数年前ホテルのコンシェルジェの紹介で訪ねた中華料理店、麺が「うどん」でがっかりした。母国の優れた食材が揃わぬところに良い料理は生まれない。世界の規模からいえばこの町の規模もまだまだだが、それでも一級の中華料理が食べれるようになった。

食べ物の話のついでに、「ハワイへ行った時、食べた食事は美味しいでしたか?」ジャンクフードやフアストフードですます人は論外としても、あまり美味しくないという評判が定着しているように感じる。少し吟味して店を選べば「本当に美味しい・・・・」


パシィフィク・リム(環太平洋料理)という食文化、大平洋のまん中に位置している島の料理は、周辺を取り巻く国々の影響をうける。大振りで素材そのままのアメリカ料理・ことに西海岸辺りのメキシコ料理の影響は強い。片方でアジアの繊細な食文化の影響も色濃い。中華のXOジャンを始め、各種シーズニングに醤油やワサヒ、ナンプラーはごくごく普通に使われる。これらが混じりあって作る食文化が不味いわけがない。

Roy's・YamaguchやSam・Choi、Alan・ wonnなど有名シェフ達は、片親がアジア系の人たちで、現地では勿論すでに東京へも、出店してそれぞれ大成功をおさめている。

スペインアンダルシァ地方、夏のスープに「ガスパッチョ」がある。ニーマンマーカスの1階エスプレッソバー、昼を簡単に済ませるべく立ち寄ったところ、当日のスープが「ガスパッチョ」、当地の温暖な気候に刺激的な味を、冷やしたスープが食欲を掻き立てる。いろんな国の料理に巡り合える話の一つ・・・・・・ただしハワイではスープ温かいものという思いが強く一般的といえぬそうだ。

「ガスパッチョ」の具は、トマト、タマネギ、キュウリ、赤ピーマン、にんにくなどの野菜とパン。作り方は簡単以上の具材に、酢とオリーブオイルを加えてミキサーなどですりつぶし冷やすだけ・・・・とレシピを添えるが、簡単なだけ好みの味を見つけだすのは難しいかも知れぬ。

パシフィツクリムがハワイを代表する料理の一ジャンルで、まあ世界中の料理が食べられるといっても過言でない。中華料理、フランス料理、タイ料理、イタリア料理は質の高い店があるし、韓国料理は韓国系住民が多い分ポピュラーだ。最近ベトナム料理の出店が目立つ。唯一インド料理のいい店が見つからず目下探しています。

そういうことで日本料理は焼き鳥、麺類、すし、お好み焼きまで何でも食べられるし、そこそこ満足は得られる。しかし日本人が厳しく評価ができるのが日本料理。日本食が無いとどうしてもという人はやむを得ぬとして、美食家を自認する人は日本料理を避けることをすすめる。ほとんどの日本食が揃うとはいえ、洗練された日本での水準を、ハワイで求めたら無理と割り切るべきだろう。その上日本食は比較的高くつく。

まあ短期の観光旅行、帰国したら毎日好きなように食べれるのだから「郷に入れば郷にに従え・・・・」
現地での生活も同じ、どうしても日本食というこだわりを捨てると、エンゲル係数も低く押さえることができる。

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24) ヨットと少年

夕刻、Yacht ClubのBer、しづかな時間が流れる。日没には今しばらく時間がある。「天国」を垣間みた人はいないけれど、ここはそれに近いと想像を掻き立てる。 昨日買い求めたゴーギャンの画集、少し回ったアルコールが勝手な想像をふくらませている。ゴーギャンも途中一「天国」を後にしている。あたらしい土地ヨーロツパを遍歴、その頃の作品は他の作家の影響をもろに受けた作品ばかりで、オリジナリティに乏しいのが多く、結局芽のでなかった。思い直して島に戻つた。・・・・・ 静かでしあわせな時間が、彼の代表作を次々描かせた。

     
ヨットクラブのバー、ヨットの係留が眺められる外のデツキに、ワイフと私は座している。サンセット後、小さなヨットが入港してくる。入り組んだ水路を、風で走るを船をあやつるのは難しい。
ヨットを経験したことがある。入港出港はセールを降ろして、機関でするようルールづけられている。そのためにエンジンを搭載している。エンジンの方が風に頼るよりは操縦性は数段ますため・・・・
     
船は1人より2人であやつった時容易い。それだけに単独航が冒険としては評価される。船が小さいと風に過敏だ。デツキに近づいて風が息をすると船は急に走る。方向蛇とキール、を引き抜いてデツキに投げると、素早く飛び下りて力で艇を止める。10才に満たない少年だ。とりあえず艇を桟橋に引き上げる。2メートル足らずFRP製だから軽く、なんとか引き上あげる。それでも引きずりあげるという表現がぴったりする。陸に上がった船がもう暴れることはない。

帆がバタバタとつり上げた魚があがくようにはためく。遠くて仔細は見えぬがロープを解いて、これが簡単では無さそう。しばらくロープとの格闘が続く。やっとセールが降りる。
小さい船は格納のことを考えて、マストは装着、脱着できるようになっている。セールは芝生の上に広げる。マストは担いですぐ横にある置き場に運ぶ。桟橋に船を置いたままホースを引いてきて艇を洗う。小型艇の格納庫が後方にあり、前は芝生になっている。海水に遣っていたから使用後の手入れは怠れない。
     
ヨットを友人のT君に教わった。大学のヨット部出身のT君こんな諸作法にことにうるさかった。日本人は楽しむよりは「○○道」に仕立て上げたがる。船に乗るよりメンテの時間の方が長く、船を洗うことを私たちに強制したように思えた。

少年の作業を見ていると、使ったから海水を落とす。これならば当然のこと、誰もが理解できる。休日ヨットに乗る楽しみで来た仲間たち、乗る楽しみを後回しにして清掃点検、楽しむことに禁欲的な「ヨット道」は疎んじられ、最後はいつも私と2人だった。
その割には装備の点検が充分だったかというとそうでもない。プライベートなレースに参加して、途中棄権することしばしばだつた。レースが始まってすぐハリヤード、帆を張るワイヤーが切れた棄権は、初歩的ミスで、その日停泊した川の下流、どぶの匂いと蚊に悩まされた思いでは、思い出してもお笑いものだ。頭で考えた点検は使うことによって知る点検と見事に違っていた。     
 
「よいしょ!!」片側をもって船を返す。ホースの水が船底に残っている。
 ここまでは一人でできた。
     
3〜4才くらいよちよちあるきの子が、桟橋の裏返った船に近づいてくる。よたよたした心もとない足取り。離れて見ている私達の方がヒヤヒヤする。すぐ横は海面、「親が居ないの?」と飲んでいるジンジャエールを置いてワイフが呟く。

ご存知の通りハワイはサーフインのメツカ、冬場はジョーズと呼ばれる大波を求めて、オアフの北の海岸ノースショアに、サーファー達が集まって来る。プロの競技会もあって波との華麗な格闘は、見ているだけで魅了される。このサーフィン、ハワイのどの浜にいってもサーファーがいる。しかしみんなが上手なわけではない。波の大きさと自分の技術に応じて波と戯れている。
     
そう、「原点は遊び」遊びの中で学ぶ。また「学ぶ」という感覚は、教え育てるという教育的発想に比べたら、能動的で自らの参加で始まる。波との遊びの中で段階的に、サーフィンの知識を身に付けて上達する。見事に本人の技術の段階に応じ使う海岸は別れているようだ。波とのお遊びがやがて応用編へまで昇華され、身体が覚える。

芝生にしばらく干したセールを折り畳む。船が大きいと帆も大きく、三角の帆を四角にまとめるのも難しい。我々の船これもルールがあって少しでも違うとやり直し。今ヨットハーバーに係留されている大型艇はセールを降ろして、そのままカバーをかけるので、艇から帆をはずす手間は無くなった。

黙々と続いた作業。駐車場から女性が姿を現わす。先の小さな子供は母親と一緒に来た弟、時間を合わせていたのだろう。声までは聞こえない。母親が手伝って桟橋に置かれたヨットは格納庫、中段に収納される。ようやく辺りは夕刻の濃い気配が漂う。

昼とは違う風が通り過ぎる。外灯に灯が入る。オレンジ色した光が幾つか海面に映っている。海面に動きがあるのを教えるように、オレンジの光は縮みの模様で小さく揺れ動く。

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25) 優しい時間 (移動遊園地)

pm5:00から「Honolulu Famly festval」がマジックアイランドで始まる。昨年からはじまった行事も、始まる当日日本に帰国した。雨で散々だったと後で聞いた。
ローカルTVが現場からの放送で盛り上がってきた。早い夕食を終えて現地へ・・・

観覧車を中心に回転木馬・大型ブランコ・コーヒカップと代表的遊技施設は一通り揃っている。周辺にはゲームなどちよっとした射幸心をそそる店が、そしてピザやコットンキャンデーにドリンク・・・併設テントではハワイアンバンドの演奏があって、ここで食事もとれる・・・・おそらくアメリカといえども大都会ばかりでは無い。田舎町をこの程度の遊技施設が巡回しているのではないだろうか? 
とはいえ運営は手慣れた感じかする。大型の電気の供給や公園には、ちゃんとしたトイレがあるにもかかわらず、簡易トイレなど清潔で数も多い。芝生の上の施設は充実していて、楽しい遊園地の雰囲気が充満している。黄昏れの訪れとともに点滅するイルミネーションの賑かさはいかにもアメリカらしい。

総じて日本の乗り物よりはスピードも早い。あちこちで「キャーツ」という嬌声と笑い声が響く。家族の写真機のフラッシュが光る。市が開催しているようだが、皆が遊園地の楽しさを満喫している。

大型のブランコが歩いているわれわれの頭の上、遠心力で輪を広げて振れる。昔見た映画ワンシーン、若い恋人同志が乗ったブランコ、今よりももっと優しかった時代、彼女のコットンのワンピースが風を孕んで翻っていた。

貧弱な語彙、アラモアナを歩いて何を見ても「かわいい・・・かわいい・・・」を連発する日本人女性群・・・フアッション一つ「可愛いいかけらも無い」まして心も男性化がすすんで、すでに死語になった自分達が持ち合わせていない言葉を、呪文のごとく発しているようにしか見えない。「控え目」という美徳は「男女同権」という間違った主張に吹き飛ばされた。

男と女が同じ権利をと主張しても、男が「出産することはできぬ」こと歴然としている。男と女が同じという考えより、性の違いを認めあい、協力しあうというのが同権思想だろう。「男らしさ」「女らしさ」はお互い相手が持ち合わさぬ美点だ。
らしさという語彙が古いと感じるなら、男の「マツチヨ」・女の「フエミン」に魅力を感じるはずだ。お互い「・・・らしさ」にはもっと磨きを掛けた方がいい。

優佳(孫娘)はもちろんだが、私やワイフがノスタルジックな雰囲気に、しばし酔いしれたひとときだった。優佳は3才で乗れる乗り物にほとんどにチャレンジした。待ち時間××時間ということは無い。で「がらすき」というととんでもない・・・適当に 待って苦痛にならぬ時間で好きなものに乗れる。大都会も適度といえる人口密度の見本がここにある。

pm8:00遊びに満足してコンドに歩いて帰る。帰りついた家の窓から公園の木々越しに、観覧車やほかの遊技施設のイルミネーションのまばたきが見える。

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26) ハワイ大学


ハワイ大学のキャンパスもお気に入りの場所だ。Coop(学生生協)へ立ち寄る。学期はじめには前年度使用された、教科書や参考書が本棚を埋め尽くす。お下がりを次に譲のだ。価格がついているからただではない。手に取ってみる。書き込みやアンダーラインがいっぱいあっていかにも使い古したものから、ほとんど新品といえるものまで、使った学生の勉学への姿勢が強烈に伝わってくる。
譲り受ける後輩達はどちらを選ぶのかなぁ・・・・・

駐車場に車を止めたら後は広いキャンパスを自由に歩き回る・・・・コープで本を譲るのはごく当たり前として、期末前後のキャンパスの掲示板には、冷蔵庫やTV、使っていた自動車を譲り渡すのまでなどなど・・・・学生生活が手に取るように分かるチラシが所狭しではり出されている。さすがに授業に顔を出すというわけにはいかぬ。

学食は広いキャンパスに幾つかある。大小はあるがいずれもカフェテラスシステム、各自注文した食物と飲み物を盆にのせレジで精算して、適当に好きな席に座る。余談だがここのトレー(盆)、学生達が使うものだから、丈夫で軽くて、載せた食べ物が滑らない。ケレン味ない一級品、キャンパスに車を止めて食事して以来、レントして家で重宝している。
いつかきっとお返しいたします。
職員用の席もあるが、例えば教授らしき人たちも学生との同席がおおい。

いろんな国籍の学生がいるがアジア系が目立つ。日本人同士がたむろする姿が目だって淋しい気もする。シャイな国民気質もある。しかし外国へ勉学にでて、折角の機会を生かしていない。語学に限らず異国と交わる貴重な機会を無にしてほしくはない。

ハワイ大学在学生はごく一部で、前段階英語力を高めるというのが目的で、ハワイにくる学生がおおい。ランゲージスクールや同等の受け入れ施設は充実している。言葉を習うだけならば無料の教室も幾つかある。
1クールが3ヶ月6ヶ月、レベルも色々あって自分の語学力にあわせて選べる。これにわたし自身参加したことがある。大変盛況で教室をはみだすほどの受講生の数、しかしその中に日本人は一人もいなかった。

その時一緒だった中国人、ハワイにいる間中国語は、一切話さないと覚悟を述べていた。
ついでにその人の話、「外国で語学の勉強をしています」といって出てきた日本人、授業料はただというのは困るのではないでしょうか」「ハワイで学校へいっています」というと親も安心する。なるほどと感心した。

大学に入学するにしろ取りあえずコミュニケーションの手段、言葉を拾得することが急務だ。なのに日本語が飛び交う困ったツールが携帯電話、予備学生といわれるほとんどが、わざわざ会わなくともこれで友人と喋り続けるから、一日中英語に触れないで過ごすことになる。

中国へのフライトの中でアテンダントが香港に住んでいる。中国語をマスターしょうと居を構えた。それで上達しましたか・・・・「私が広東語や北京語を習得するより、周辺の中国人が、日本語を覚える方が早い様子」・・・・と笑っていた。

なんのことはない日本にいる時と、一向に変わらぬ毎日にどっぷりということになる。取り組む姿勢の問題さえしっかりしていたら、ハワイに限らず外国へ出るほどのこともない。
それでも大学のキャンパスでのブラブラは、若いころを探しているのか、エネルギーに啓発される物がある。「Back to School」が待ち遠しい

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27) イラク戦争

03/ 02/01
シャトルコロンビア帰路墜落、乗員7名。

アメリカの戦争好き、イラクのフセイン、北朝鮮キムジョンイル、アメリカのブツシュ、この3名が「悪の枢軸」とアメリカ人がいう。戦争開戦前、イラクとの交渉に際して、イラク周辺に軍隊を配備させる周到さは、なんというのか?

日本は平和ぼけすぎる。北朝鮮の核弾頭ポテドンがハワイまで届くというと、カウアイからミサイルを発射、パトリオツトで打ち落とす訓練をやった。本気で北朝鮮に対処している。国も過激だがこれを「良し」とする国民世論にも凄みがある。

美容院の女主人が、日本のメディア参加者が日本の総理は「小泉さん」大統領は「ブッシュ」と呼び捨てた」と既に10年もハワイで暮らすとアメリカの血がだいぶ濃くなっている。

下世話な話題がポンポン飛び出す。アラモアナホテルでの散髪。頭を整髪してもらう側は気持ちのよい時間の中で半分は聞き流す。

夕刻朋子さん来宅、戦争の陰が早くもハワイの経済を狂わせる。 彼女の勤務先が手掛けていたウエディングに関する部門は今月で閉鎖される。
小さい島での就職活動は、失職すると次が簡単がではない 。MBO・・・従業員が会社を買い取るというほど格好良いものではない。仕方なく会社が手がけていた部門を数人が 引きついで、糊口にしょうといかというところだ・・・・やむを得ない独立とはいえ、これをチャンスに 変えて欲しいと願う。

イラク戦争の動きが、観光大国を直撃する可能性はある。ひたすら大事に至らず穏やかな解決を島民は願っている。

02/14
イラク問題、きな臭い煙り、アメリカの強引さだけが目だつ。フランス、ドイツの対峙を国連安保理で討議・・・・アメリカでも戦争反対の気運が高まりつつある。世界中に良いバレンタインの贈り物を・・・・

2月も最後の週に・・・・人に会わない限り、戦争への危惧は感じない。3月半ばには始まるのではという報道もある。世界中で戦争に反対している人がいる。アメリカ人も全体では反体制をみるが、ニューヨークタイムスのアンケートは60%前後がイラク攻撃に賛成・・・ テロの標的にされたNY、あの事件がトラウマになっているとしても、 この数字には驚く・・・・
「目には目を」というヤンキーの、血の濃さは揺るぎのないアメリカだ。
しかしテロの指導者ビン・ラディンとイラクとの関係もあいまいのままイラクを攻撃する。これを世論と断じることができるのだろうか?

どんなに離れた国であろうと、1日あれば到達できる。話し合いのテーブルにはお互いすぐに着ける。平行して問題を抱える北朝鮮、問題は同じく核開発、この方はいずれ話し合いで、比較的のんびりした対処。イラクの方はどうしても戦争、これは我々レベルでもわかりにくい。
もう一つそれぞれの国、発展途上というか規模も組織も、その上イデオロギーも違う。大国と同じ考えの組織対組織で、ことの解決が図れるとは思えない。イラクや北朝鮮との対話はフセインや金正日が、テーブルにつかない限り解決への出口は遠い。
 
「戦争のお好きなブッシュ、女好きのクリントンの方がよっぽどまし」
「ブツシュの父ぎみ、前大統領が作った兵器の火薬がしける(湿る)」
既にアメリカ人といえる朋子君揶揄が効いている。*「しける」は我々関西人が使わない言葉、朋子君が関東圏出身だったと知る。いつの時代も市井人はお上を揶揄する天才たちだ。


気持のよい貿易風が吹く。Ilikaiで海を眺めていると、エステル戦闘機がごう音を残して飛ぶ。音を残してはオーバーな表現ではない。機影は既に視界にないのに、猛烈な爆音が目の前に残る。2機が飛び立って続けてもう2機が・・・大平洋上を過る。
北朝鮮の不穏な動きに対応して、この機が極東へ飛び立ったことを、その日の夕刻のNEWSが報じる。  
  
イリカイのコンドに滞在中の、シカゴからの日本人に出会う。我々と同世代か。 現日本についての憂意が言葉のはしはしに・・・・海外にいる同胞で日本を心配する人が多い。その意見には同感する所が多い。
  
東海岸からハワイへ、約8時間のフライトはアメリカン航空がお薦め、現代はメインランドの東部からここへ来る人も結構多いという。アメリカの好景気が原因だが、昨今フロリダ周辺が台風の被害を受けてこの傷跡が残ることと、気候が断然良いハワイが彼らを引きつけているよ うだ。
シカゴでもハワイ便はチケットは取り難い。当地はマザーズディまで寒く、過ぎるといつせいに花が咲く。*サッポロに近い
  
子育ての途中ベトナム戦争があって、息子が徴兵で取られる。一番家族として苦しかった時期だという。仏教関係の助力と裁判を受けて徴兵忌避、代わりにボランティアを2年間強制される。アメリカも為政者を別にしたら、国民は戦争を好んでいるのではない。殊に家族が参戦する親の苦悩を如実に知ることになる。
忍び寄る戦争の蔭、息子が、夫が既に出兵している家族のいることへ、思いやる心を日本人は持ち合わせていない。
  
戦争にあくまで強気のアメリカ、反対を貫くフランス、ここえ来てアメリカに肩入れして来たイギリスの変節・・・・国連安保理でのせめぎ合いが続く・・・・

03/15
窓の下、アトキンソンの交差点で戦争反対のデモ。プラカードをもつた人たちがゾロゾロ歩くのではなく、走ってくる車にアピールする。車も答えて手を振ったり、クラクションを鳴らして走り去る。午前中一杯やっていた。

03/17
戦争、アメリカブッシュが、フセインの国外退去を求めて24時間の猶予を・・・

03/18
「ぼつぼつ日本へ戻らないと・・・・大丈夫? 」銀行のCさんから連絡が入る。日本ハワイ間のフライト時間は7〜8時間。新幹線が開業するまでの「東京〜大阪」と同じ所用時間だ。
戦争が始まれば帰れなくなることもある・・・・・「ここが外国だ」ということを、この時ほど強く感じたことは無い。確かにそんな空気がある。
 
NW am12:15 am9:00 空港へのTaxi を予約「CHARI'S」日本語でどうぞ・・・

塔乗手続きのために時間が懸かる。戦争のためという大儀で、 結局荷物のチェックには大勢の人が割かれているのだ。受付が手薄になるカウンターに人を配していない。経営難の航空会社が人のやりくりに苦しむ。サービスの劣化は必ず、自らを乗客の減少というむずかしい所に追い込むだろう。

戦争が始まりそうな物騒な空気に飛行機は空いている。席を5席確保寝て帰る。
アメリカ人兵らしい人が目立つ。機内で喧嘩、ハワイから帰るのに、何が不満で喧嘩になるのか?
休暇を終えて戦地へ戻る若者の心は穏やかではない。一方は手を縛られて隔離、もう1人はキズの手当て、関西空港到着時彼等は拘束された。

03/20
結果としてギリギリの帰国。国連の合意を得ずイラク戦争始まる。


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28) アロハタワー


大平洋真ん中に位置する島ハワイ諸島、航空機が発達を見なかった時代は、当然主要交通手段は船であった。この玄関口がアロハタワーである。航空機の時代になって、午前中早い到着便団体客が時間調整と、オプショナルツアーの確認などで、一番先に連れてこられるのが、ここというのも因縁を感じる。
何を隠そうわたしもそうだった。40数年前のほとんど記憶として残っていないなか、現存するコスメティック、それも香水を専門的に扱う店の、当時そのままたたずまいに出逢う度、その日が甦る。ハワイへ来た人の一里塚がアロハタワーやも知れぬ。

「あこがれのハワイ航路」は日本人の「旅」のというより「夢の原点」として、いまも生活の折々に心のひだに触れる。アメリカからの航路も同じく、時代をになった船が、今もネバーアイランドをめぐる観光船として活躍している。昨年その仲間に新造船が加わった。
遡ればオーストラリアからの航路が比較的早くから利用されたようだ。動力の乏しい時代、風や海流を利用した原住民の多くが、ミクロネシアからポリネシアへ移動してきた歴史を観ても、この航跡の魅力を証明しているのでは無いだろうか。定かで無いが「サマーセツトモーム」の著書中にも、オーストラリアからハワイまでの船旅に関する諸々の話があったはずだ。

ワイキキのホテル「モアナサーフライダー」と「ロイヤルハワイアン」この2つのホテルは創立が古く、今でこそカラカウアに面しているが、その昔は海側が正面玄関だった。島への客は海から到着したのだ。面影は充分残っている。

一旦帰宅してアロハタワーへ・・・何も無いが滞在中は一度は立ち寄りたい。海外行路の大型船がピアに停泊中。船というより高層ビルを想像した方が正しいほどの偉容・・・

別の桟橋からサンセットクルーズの船が出る。ここの所春休みにはいって増えたきた日本人観光客がつぎつきと集まる。この国の人たち不思議と団体で集う。昨年もこの船を眺めていて、出帆時の大きな汽笛に驚いて泣いた孫娘。「この音でわたし泣いたの」と本人が・・・・今日は出て行く船を見送っている。アロハタワーにモニュメントとして飾られている「少女の像」に背丈は負けない。

「ゴードン」(Gordon Biersch Brewery)この店は名前どうり、地ビールで有名な店。ついでにいうと常夏のハワイ、冷えたビールを「キューット」と思うのは日本人・・・・・当地では生温いのが普通だ。

数年前中華街での食事の前に、わたしたちとT君夫妻で立ち寄った。大統領選の速報が入って来て、ハワイで支持率の高い民主党「ゴア」が「ブッシュ」に破れた日だ。僅少差でマイアミの票を数え直したり、後々ごたごたもするが・・・・
「どちらを支持しているのか?」と質問したら「ゴア」・・・・バーカウンターから「君たちはどちらの支持だ」という質問に「われわれは小泉だ」と冗談を飛ばした。
それが切っ掛けで、「これを食べろ」「あれを飲め」と注文していないものが大判振る舞いで次から次と出てきた。その上こちらの料理は量が多い。支援者が負けて「やけくそ!!」の酒盛りが開かれた。
   
結局予約しておいた中華を断った。最後にビアーグラスまでもらった。今もコンドに記念品として飾られている。ときどき出して使う。選挙が「ブッシュ氏」でなければ、アメリカの歴史は、いや世界の歴史は確実にかわっていた。イラクの戦火も起こらなかっただろう。ビールが苦い・・・・

昼遅い時間に「朝日食堂」で賎しんぼうをしたからからお腹は空かない。
わたしたちは飲み物を、娘と孫娘は食事を、枝豆とリブステーキにピザ・・・枝豆は日本人メニューのみ・・・塩味が効いてなかなかのものだが、付き出しというにはあまりにも量が多く、大皿にてんこもり・・・もう一つこちらのビール、私にはもう少し冷やして欲しい。

個人差はあると思う。それでもハワイの食べ物はそれほど悪く無い。「美味しい」「不味い」は普段自分達が馴染んでいる味覚と、現地で出逢うものの「差」が判断基準になる。ということは日本料理に関するジヤッジが当然一番厳しい。余程で無いとこちらで、積極的に日本料理を食べる気にはならない。しいて「手打ちそば」というシンプルで料理といえないものだけだ。純日本そばの店、繁盛していたと思うのだが最近店を閉めた。

醤油の味が恋しくなる時がある。こんな時は上質の中華料理が好ましい。ワシントンDCでホテルのコンシェルジェに紹介されて訪れた中華料理、出てきた麺が「うどん」だったのには参った。質の高い食文化は、背景に「食材」の供給源があってはじめて成り立つ。
ハワイでは日本料理の食材は「納豆」から「とうふ」など何でも揃う。そして味もそこそこだ・・・ただしとうふの賞味期限が1月以上あるというのは腑に落ちぬ。

エスニック料理は当方が外国人だから「本物の基準」が曖昧なこともあるだろう。許容範囲が広くなっているやも知れぬ。しかしメインランドから来るアメリカ料理・メキシコ料理・イタリアンやフランス料理、これらは今やそこそこの大都会では当たり前、中華料理は97年香港の中国返還時に、現地オーシャンターミナルの店を畳んでハワイへ戻ってきた本格派もある・・・
ハワイで驚くのはアジアのシーズニングを多用した、環太平洋(パシフィック・リム)と呼ばれる独特のジャンルの料理の数々に舌鼓がうてる。
アランウオーン・ロイズ山口・サムチョイなどハワイを代表するシェフ達だが、彼等はいずれも片親が日系だし、民族としてはアジアの血が混在している人たちだ。

日は暮れて行く。娘のオーダ、ハーフサイズと指定したリブ、濃厚なソースで少しビールがすすむ。肉は本場その中でもリブステーキにとどめを指す。昨今は日本からきた友人達の中で、「アメリカの肉は大丈夫か?」と質問する人たちも出てきた

何が何でも肉大好きということは無いが、「安いし」・「種類も多いし」・「脂身の少ない」フィレなど、形より厚みの方が分厚いやつ・・・これはもう宝石のような日本ステーキが最高だと信じているから、日本ではめつったに食べられぬ・・・・その気になればこれが毎日でも食べれる。可哀想な日本人・・・・

幼子に「食べず嫌い」というのがある。大の大人が恐る恐るチヤレンジして、楽しめるはずが無い。そんな質問の彼等にはあえてお薦めしない。
旅のたのしみは「異文化・食文化」との未知との遭遇である。人生「人の倍生きて」楽しむ事を望んでも可能なわけ無い。しかし未知との遭遇の数が多ければ、倍楽しんだことにもなり得る。遭遇を避けて人生楽しめる範囲が、狭められるのは惜しいけれども、他人が強要することでは無い。

すっかり日は落ちた。先ほど出帆したサンセツトクルーズもぼつぼつ帰港している頃だ。駐車場に戻ろう。食事の最中に驟雨が通った。ハワイでは朝晩驟雨が通る。コウラル山脈の陰になっているワイキキ・アラモアナよりよくしぐれる。停泊中の豪華船はイルミネーションが、通り過ぎた雨に潤んだ光りで身を纏っている。

何気なく口にした指に摘んだリブステーキのソースの味が残る。

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29) プロムナード