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40)日本人美容師

サンパウロで、今トップの座を争う美容室チエーン「蒼鳳」は、22年前ブラジルへ移住した日本人がはじめた。「ブラジルは多人種・多文化社会で、決まった型がなく、それぞれの個性を自由に表現できる点が好き」という原宿出身飯島秀昭さん、当初スタッフ7人ではじめた蒼鳳は、20周年の今年の段階で、24店鋪、従業員890人を擁する。成功へのカギは「しつけ」という新聞記事がある。

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日本に居ても大概の人は、はじめての美容院・理髪所へは行かない。まして外国で美容院に世話になることなどとんでもない。嫌がる人が多い。

旅先、異文化に触れるという楽しみを、放棄することはない。中国では路上で調髪させたこともある。街路樹の木陰に椅子を置いて、そこが理髪店。当時平気でヒゲもあたってもらっていた。衛生問題に対して無知というのも恐い。というのも後日外国で散髪をするという話がでて、「顔そりは危ないから止めた方がよい」という忠告を受けた。HVSが話題になる昨今での話である。

アジアの国で理髪所が売春宿の窓口を兼ねていた時代も知っている。本当に髪だけ整えて帰るのに、粘り着く蜘蛛の巣から、必死で逃れる蝶の思いが、ぞくぞくとするマッサージの感触と共に生々しく残っている。

ハワイでの生活が永くなる。髪が延びて否応なく散髪に行かねばならない。「郷にいっては郷に従え」現地で整髪する。ここと決めた店はない。大体バリカンで髪を刈り込む。バリカンの刃が幾種も揃っていて、厚く刈ったり、薄く刈る場所で刃を換える。器械の多用と云うのはいかにもアメリカ的な感じがする。最後に洗髪するという習慣もない。整髪を終えたらドライヤーの強風で残った髪を吹き飛ばす。機械が中心で理容師の細かな技術の出番はほとんどない。

困るのは髪型、どんな刈り型にするのか。英語力が充分でないから、要望を伝えるのに苦労する。
大意は簡単に通じる。少し込み入った説明が・・・・・髪を短くするというのも、短く切って揃えるのか?たくさん切って短くするのか、デリケートな注文は付け難い。頭を刈る最中も不安がつのる。
こんな気分が嫌でたいていの人が異国での整髪を躊躇わせる。・・・・・

ヘア−スタイルの本を見る。モデルの髪型は自分とのギヤップがあり過ぎて、これと同じスタイルとはさすがに恥ずかしくていえぬ。邪魔臭いから隣と同じと伝えたら、あれは若い人「いいのか?」と質問された。「OK」 当方リタイアした身、まして海外どんな髪型でも文句はあるまい。

サラリーマンの入社当時、慎太郎刈りという短い頭が流行った。全体を短く刈るが、今までの刈り上げや角刈りとは違っていた。シャワーを浴びたままといえそうな自然な髪型は、反体制云々の難しい解説は、この際抜きにして、都会的で若さを強調する当時の風俗であった。
この頭で出社したら「君、もう少し髪の毛を長くできないのか?」と上司から注意を受けた。

時が移って長髪が流行る。、顔が大きく背の低い日本人、似合った人は比較的に少なかったように思う。流行るというのは似合おうが似合わなかろうが、こぞってやるところが恐い。今度は友人のS君が「もう少し髪を短くできないのか?」と前述の上司に叱られる。
流行を揶揄すること、倫理の規範と取るととんでもない滑稽なことが起こる。流行を批判せぬ方がよい。

ハワイでの散髪、終わったら前の短い髪をリキッドで立つように仕上げてくれた。思わずベースボールキヤップをかぶろうとすると、「帽子はかぶるな」と・・・・結構気に入って店を出た。


日本人の美容師に遭ったと、ワイフが話している。今回の女性美容師は私達のコンドの住人である。店はホテルのアーケイドにあって、小さいけれど店としてなかなかのもの・・・・

男性の散髪は得意でないとはじめに聞かされる。こうして欲しいと整髪に関する注文も、以心伝心、さすがに日本人同志で要領を得る。美容院理髪店での取り留めもない話題が、頭を繕う間続くのは何処も同じ。

サザエさんのマンガ、サザエさんがマスオさんに下世話なうわさ話や、ゴシップをしゃべりまくる日、彼女が美容院へ行ってきたことを知るというのがある。

ハサミの音と髪を融かす感触、頭を洗って貰う・・・・
この気持のよさは何だろう。聞き流している会話が日本語だけではない。彼等の手さばきは優雅で見事で柔らかい。これは上手い下手という技術の問題だけではない。日本人が持つ天性の感覚、細やかな指使いと、清潔感は芸術ともいえる。

日本にいて特に感じなかった理髪でのこの快感は、何となく刈っていた今までの現地のそれとは違うことを知る。ITやアニメが輸出の先兵のようにいわれるが、この分野のサービスは間違いなく海外でも受け入れられる。

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39) タキシード

Dscn1463夕刻のホテルでタキシードとドレスの集団に出くわす。ほとんど背広を着ることのないハワイで、タキシードは華やかな空気をあたりにまき散らし、オトコそれぞれが映える。日本でいうブラツクフォーマル、準礼服に長いネクタイは、なぜか葬儀のユニフォームのように思えて、洗練さにかけるというのは言い過ぎだろうか? 

タキシードは日本人に馴染みがないから新鮮に見えるのと、外国人がかもす独特の雰囲気、例えば片手にカクテルグラス、あいた手で女性をエスコートする様など、日本人なら気障になるエキゾシズム・・・・
自分もやってみたいと、思わず「デレーッ」として見とれてしまう。とにかく「カッコ」よかった。

レディに関してはいろいろ、好みが表にでるものを着るだけに、「ステキ」と「今いち」が混じる。そのうえタキシードにくらべたら体型のでやすいのも衣裳としては不利だ。彼女達の平素の精進がこのとき後悔に変わる。

黒をベースに胸周りのドレスシャツの白さのバランスも絶妙。タキシードを着て似合わない「男」にだけはなりたくない・・・結婚式に参加して終宴後、その出で立ち(タキシード)のまま神戸の街で遊んだ夜、我が生涯でも輝いていた一瞬だったと、自負と熱い思い出がこみ上げてくる。

アロハシャツが正装だ。官公庁の高官の制服はもちろんこれだし、銀行員も男女とも郷土の衣装を多用する。ことに「ハレ」の場はアロハが普通で、日本からきた友人の息子の結婚式は、わざわざハワイスタイルでやった。
歴史と伝統の重みを持つ、郷土衣装は何処の国の物もさすがに良く出来ていて甲乙付け難い。しかしアロハは着やすさ、シンプルで清潔、色彩豊かな柄行きは、伝統衣裳の中でもベストといえるものの一つだ!!
友人の息子と銀座で出会った。このときの出で立ちが「アロハ」、さすがに少し地味めの柄、これがソフィスケイトで大都会での夜にも映える。


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ハワイでは「はだか」も市民権を得ている。ワイキキはワイキキビーチに街が沿う。メインストリートを水着姿が闊歩する。女性たちは通常パレヲやシャツを着けて歩くのだが、時折ほとんどはだかに近いビキニに出くわす。不思議なもので最初はどきどきしながらも目をそらした。そのうちこんな大胆な裸体に何の感慨もなくなる。健康でまばゆいばかりのはだかもこの街では映える。

ワイキキのエルメス ブテイック。水着姿、上半身はだかの男性客ふたりが入ってくる。お目当ては「ケリーバッグ」、はだかとケリーはどう見ても結びつかない。結局ひやかすことになる。男達はネクタイを買って店を出ていく。彼等が出ていった店内にココナッツオイルの、南国の残り香がただよう。

夏休みが終わった初秋の日、アルマーニのスーツにびしっとネクタイを決めてみたい。

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38) 英語

ハワイでは目的があってバタバタするのはよくない。あてもなくアラモアナをぶらぶら、「アラぶら」これが醍醐味だろう。そんなモードに入りつつある。

とはいえ「Sear's」まで来たから、我が家と同タイプの洗濯機の使い方を教わる。娘が残してくれた
レシピで実際はやるつもりだが、スイッチを押したり回したり触ることで分った所もある。
B1にテレビの受付がある。ケーブルテレビは機械がデジタルに変わって、交換を呼び掛けている。古い機種を持ち込めば交換すると・・・・接続方法はどうするのか? 早口のローカルの女性、「もう少しゆっくりとお願いします」も聞き入れられず、言葉が通じなくて参った。

ハワイで生活していて、交渉ごとや込みいった話は、日本語を話す担当者を呼んでもらう。この島ではそれがほとんど可能だ。

そういえば前述の「Sear's」は日本語を使うこと禁じているのではと疑うほど頑なだ。電化製品などを扱うアメリカを代表する大デパート、商品を買いそろえた際に交渉したが、ハワイ店には日本語の使える社員は一人としていなかった。ハワイだからいないということもあるだろうが、島の事情はアジア、殊に日本人が顧客の一部を占める事実を、あえて無視していると考えた方が正しい?

コンドの自治会「月例の会報」がわれわれには日本語で配布された時代もあった。コンドの住人比較的日本人が多かったということはあろう。「日本語だけ・・・・なぜ」という意見がでてこれが中止された。ルールの変更や約束事の細則など・・・・我々も理解して協力したいと考えると、外国語で来るレターでは正直心もとない。しかしハワイといえどもアメリカの一部、日本人だけが特権を振りかざすというのは、「わがままかなあと・・・」辛抱する。
   
ここはアメリカ合衆国、とはいえ商売になると上記の話とは違う。顧客に対応するサービスの充実は、店の力量だと思えるのだが・・・ラジオ&TVを買った時の言葉の苦労が生々しく甦る。
昨今の東京秋葉原、外人観光客が多いために、その国の人を従業員にして成功している。
   

地球の表通りは一通りワイフと二人で見て歩いた。お世話いただいた旅行社の責任者には「あなた達夫婦は冒険者」といつも揶揄された。初期のベトナムへは香港から飛んだ。考えてみればベトナムが観光ブームになる随分以前の頃の話だ。どうしても空港まで出迎えるガイドを、つけましょうと執拗にすすめられた。

インフラが整備されぬ日のベトナム、 ワイフからの苦情を浴びた旅の一つだ。 国内線の使用航空機はソ連製機内は真ッ赤、一応ファーストクラスのシートの肘掛けは潰れている。機体整備で出発時間は不明・・・・「よく整備してもらった方がよろしい」と、現地駐在の日本人乗客からアドバイス。
しかしサイゴンが陥落してホーチーミンに・・・・ソ連製が跋扈する背景も現地に行ってはじめて分る。旅は学習でもある。

遅れ遅れて到着した空港で、珍しく日本語の通じるガイド(男性の学生)が出迎える・・・「いらっしやいませ」から始まって「観光」での説明も一通り理解できた。商売としての売り込みも結構上手だ。「明日はどこそこで食事をします」そこそこの日本語の使い手のようだ。

一段落して「明日のお天気はどうですか?」というわたしの質問に間を置いて「はい、わたしの家族は4人です」という返事が帰ってくる。自分からは発信できても、相手の質問にはチンプンカンプン、会話にはならないわたしの英語力に近い。

香港への機中、女子アテンダントは香港に在住・・・・中国語が難しくて、「私が中国語をマスターするよりも、中国人が日本語をしゃべるようになる方が早いようです」と笑っていた・・・・

アラモアナで買い物  必死になれば何とか通じるは・・・ウソのようである。
気楽に気楽に、Tiffanyでパティック(時計)を見つける。優雅にゆっくりとクリークとの会話は弾む。この時の交渉は不思議と言葉がつながる。カタログで見た商品は残念ながら在庫がないという返事。

ご苦労さま$14.000・・・・冷やかしたつもりはみじんもない。

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37) あんぱん


Dscn1057"Liliha Beakaly"のアンパン、日系人経営のロコご用達店。皮が薄くてアンが一杯につまる。ワイフは、最初このパンに出会った時の印象が強烈で、子供のとき食べたアンパンの思い出とかさなるという。パンはもともと西洋のたべもの、幕府が倒れて居留地で食べられたのが初めてでは無いだろうか。文明開化の香りをぷんぷんさせての食品だったのだろう。「バター臭い」という舶来文化をさす言葉どうり、はじめからバターをつけて食べるという、食生活が当時の日本人にすんなり受け入れられたとは思えない。

和菓子がヒントでアンを入れたのは日本人の知恵だろう。「和魂洋才」というべき食べ物は日本で生まれたものだ。長い不況の最中で、見直されつつある日本の技術力、外国を取り込んで日本流に磨きあげた見本というと言い過ぎだろうか。
いずれにしろある時代、パン皮の部分が薄くアンがたっぷりというのが、とても贅沢な感じがして日本でも流行ったと思う。和菓子同様、濃茶にあわせると美味しい。
その時代のままハワイに来て日本のパンを作りはじめ、以来時が止まったLilihaのパンは、彼女のこどもの時代の思いが凝縮されているのだろう。


Dscn0393_2咋今はハワイでも日本流の繊細で見た目もきれいな洋菓子屋が出来ている。洋菓子というから西洋が本場だと思えるが、ケーキは「なじみの味」という価値判断が入っているとしても、この方が上質だ。特別の日はついこれを買い求める。吟味された材料、入念な作り方・・・・価格も現地のものの3倍はする。時を経るとこの店も歴史を作ることができるのだろうか。要らぬことまで書いた・・・・・

リリハのパンと同じ思いに時々出くわす。日系人も3世の時代で、日本語を話せる人は多くない。そんなハワイで聞く現地の人の日本語は、「思わずきれいと・・・・」 ゆっくりとして節度のある言葉を話す。時代が止まった懐かしい言葉の響きは、お人柄まで偲ばれることになる。本当に思わず見とれて・・・いやいや・・・聞き惚れてしまう。日本人がもっと穏やかで、節度と慎みがあった時代が、その時のままでこの島に残る。

「進歩」と「進化」は違うそうだ。種などで「進化」することが時として、原種より「進歩」していないというのもままある。言葉は時代とともに進歩するとは限らぬようだ。読むことを厭う風潮に、語彙が少なくなった現代人の言葉は、端折ったしゃべり言葉が主流で、乱暴で粗野になってきているとおもう。



昨年映画監督、小津安次郎生誕100年の映画祭があった。おどろおどろしい仕掛けと音響、エログロ、殺略という、極限の刺激の連続というのが、売りという今の映画に比べたら、1950〜60年代の映像に感慨を抱くのは、加齢の所為とかたずけて良いものだろうか?
03年度の小説芥川賞(蛇にピアス)の一つにもいえる。20才そこそこの筆者、性というタブーを、あそこまで書いたら、「もう書くことは無いでしょう」・・・・・・「性」を白日にさらしすぎる文章、反道徳を売り物にする「売文」に賞を与える選者も嘆かわしい。「憧れ」や「羞恥」と無縁の精神で、文学活動ができるのか?・・・・・時代性「進化」へ傾斜しすぎた評価は、本質と何の関係もない賞になりさがる。

「時を止める」 この豊かな日本で年間3万人の自殺者を生む。多くがが高齢者という。「進化のスビードに殺されている」といえるかも知れぬ。

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36) ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ

いつだったかハワイ島のヒルトン・ワイコロアに滞在した。玄関でチエックインする。ホテルは4棟に分かれている。4棟が組み合わさって「ビレッジ」が構成される。言い得て妙だ。

Big9
部屋へはホテル内を循環する鉄道か、これに平行して運行される船か、好みの方で行くことになる。
パノラマ状の景色を眺めながらのゆっくりとした移動、場所にもよるが10分以上はかかる。客は部屋に到達するまでに別世界に身をおくことになる。当然船よりは鉄道の方が少し速い。ホテル内での生活では時間にこだわることなど寸分ないから、先に来た方に乗るというだけのことだ。 小鳥のさえずりをこんなに身じかで聞いたこと、いつ以来かという思いがする。



Big2こんな失敗も起こる・・・・エントリーしておいたゴルフの時間に間に合わそうと、きっちりに部屋を出たのがまずかった。鉄道は何かで運転中止、船での時間まで見込んでいない。

よし歩こうと・・・4棟のホテルをつなぐ遊歩道を小走りで歩いた。何せゴルフバッグを持っての歩きだ。そのうちに荷物が思いのほか負担になる。慌てることも無いのに、遅れるという恐怖感にも苛まれる。結構仕事人間の日本人・・・・ましてや短期の旅行で、休暇モードにどっぷりとは行かないものだ・・・・今なら「ここはハワイ・・・なんでもないよ・・・」と多寡をくくるところだ。この時は参った。



H7
ホノルルはワイキキとアラモアナの中間点に位置する。友人たちにお勧めのホテルは、まずアラモアナ・ホテル、便利さとリーズナブルの価格が得用だ。何より我が家の真前、多少お世話するにして、これに勝る便利さは無い。旅行会社のパンフレットを見ても、ワイキキ東の端の「リージェント」と「アラモアナ・ホテル」がなぜかB or Cクラス。観光客御用達のワイキキエリアでないというのがその理由だろう。

もう少しハワイをという人にはヒルトンを・・・・勧める。ワイキキだと自宅から離れ過ぎてお世話できない。話は変わるが、2度目からはプリンス・ホテルというN氏の選択も、我が家に近いことをが条件といえる。

ワイキキをはずれてのヒルトン・ハワイアン・ビレッジ。ここにおれば外へ行かなくとも、総てここで済ますことができる。いろいろなタイプの棟が、ここも4棟・・・・他に最近流行りの「タイムシェアー」がビジネスとして好調で、近く2棟目が完成する。俯瞰するまでもなく名称どうり「村」を作っているのが特徴だ。
午後からヒルトンホテルまで散策、孫が来ると始終来ることになるが、今年はじめ怪我をしたワイフの脚のことも考えてのもの・・・・この距離の往復も支障は無いが、足の上がりが少ないためにつまずくことがある。もう少し足を上げて歩くようにしょう・・・
  



H5
強い日射しを遮る「Tapa Tower Ber」で喫茶、屋外の高い天井下を風の通り抜ける。ここは風のとうり道だ。その風がひんゃりとしている。日曜の昼下がり客も少なく、椅子にからだをしずめて風に吹かれる。この瞬間がハワイでの醍醐味の一つだ。生の喜びを実感する数少ない瞬間だ。

先ほどらいマノアの丘に虹がかかっている。この虹より儚い一瞬かも知れない。惜しむように風を思いきり吸い込む・・・・

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35) あこがれ

Mmm16海水浴場のよしず張りパンツいっちょうで一夏を過ごす。夏休みが終わる頃は、夏がくれた勲章、真っ黒なからだ・・・
長じてはゴルフ場の支配人・・・・厳しい四季と雨の多い日本で、経営的責任はおもいぞ・・・・


生涯を賭して働く。我々の時代は「終身雇用」が普通だった。自分の都合であろうと転職すると、総じて評判はいいものではなかった。

雇用側も働く側も「終身」を疑うこともなく役職の軽重はあるとしても、それぞれの責任を終身背負って働く。仕事との濃密な関係は仕事を引きずって眠れぬ日々もままあった。仕事が人生だったといえるやも知れぬ。 オーバーにいえば会社に命をかけた。忠誠を尽くして働いた。
懸命に働いて「評価」は他人がするものと信じて疑わなかった。時にはその評価に不満が湧くこともある。これも永い目で見ればそう不公平ばかりではない。

会社も根気よく社員の育成に取り組んだ。そしてある程度の力がつくと、とても個人では取り組むことの出来ない「仕事」や「場」を与えてくれた。企業と個人が共にスキルアツプを果たした。個人の所得は確実に増えたし、日本国が伸張している実感に酔った。これに救われた・・・・・

振り返ってみて「仕事はゲーム」だと覚悟を決めて働いても、これほどシンドイものがあろうか? だからわたしは「もういいぞ」という思いと、満足感を引きずって退いている。


雇用に関しての潮目が代わる・・・ 日本経済失われた10年といわれる不景気・・・詳しくは金融機関の投機失敗だが、会社運営の手法は大きく変化した。社員と家族への配慮は微塵もなくなった。先ず身内を切るという安直な手法が普通になり、日本的経営はここに来て破綻した。社員を簡単にレイオフして損益を確保する。これがグローバルスタンダードだ。グローバル(地球的規模の)という言葉は、、アメリカ型を踏襲するということであった。そこにはアメリカも失敗するかもしれないという懸念が入り込むすき間はなく、しだいに日本社会の美風と思われていたものが消えていった」・・・・・

社員からフリーターという勤務スタイルが定着する。 社へ顔を出す。受付女は派遣・・・・正規女子社員はほとんどいない。派遣を揶揄するのではない。低賃金と生涯をかけない雇用様式で、同質の仕事ができると考えるのは錯覚だ。

「だれが舵取り間違えたのか?」「だれが社員を雇用したのか?」 その責任はだれが負うべきかは明白である。トップが自らを律し責任を取るべきだった。晩節を汚した経営者群には失望した。
企業側のこの裏切りはいずれきっとしっぺ返しを受ける・・・・・


このあと08年アメリカ発大不況がおきて、グローバルも万全でなかったことを私自身が学習することになる。見習うべきものは見習うとして、日本的美徳や長所まで捨て去ることもあるまい。例えば短期の損益に過度にとらわれぬ、長期的視点にたった日本型経営が日本の真骨頂といえた。そして国際競争の中で互角以上の結果を残してきた。

「人間尊重」と「長期的視点」を放棄した会社・・・・従業員より株主側にスタンタを変えつつある経営者・・・・・働く側もが時代変化に対応していない・・・・会社や組織のためなど、のんきなことを言っていると落ちこぼれる。「自分のために熱くなれ!!」


この文頭に書いたものは・・・・・仕事を引きずらぬ「夢」の一遍だ。

Dscn1811シャワーをやり過ごすために立ち寄ったビーチのバー、観光客は少ない。ビールを飲む間に雲は飛んで水平線に陽が沈む。雨をやり過ごしたブールサイドのステージで、定例のフラのショウが始まる。
「楽しんでいますか?」と問う、おそらくパートと思えるサーバーの娘、開放的な制服からでている身体が、過ごした夏の日の後をくっきりと残している。ハワイは一年中こうだが・・・・


次の職場はここに決める・・・・初霜がおりたと今朝の日本からの便り、屋外が暑くも寒くもないこの環境、こんな島でのんびり過ごしていても、「罰が当たらぬか」と取り留めない思いが走る。


薄暮が漆喰に変わった空に花火が上がる・・・・
若い日見た夢が今目の前にある。

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34) 男子の本懐

車が無い日の買い物は、男がスーパーへ同行せざるをえない。

Dscn1100男前の壮年といえる白人男性と、ほぼ店内を同じスピードで、買い物することになる。連れ合いは日本人女性、破風というか短過ぎるパンツと露出度の多い服装は、現地での生活に歳月が感じられるが、東洋人若く見えるとしてもいかにも若つくりのしすぎだ。
彼女が商品を選んで購入しょうとすると、彼が手にもったパンフレットを見ながら、身ぶり手ぶりでなにやら・・・・商品を棚に戻すこともしばしば・・・

財布は彼が握っているのだから当然といえる西洋での風習である。彼が汗水流して得た収入を、連れ合いが使うとしても、あそこまで女々しくチェックする要があるのか? その都度彼女の困惑顔。そらそうだろう。

とはいえ異文化に異議を申し立てたら切りがない。日本人としての見方が正しいと考えるのも、これこそ偏見やも知れない。しかし彼女の「日常」の買い物には、もう少し寛容でもよろしいのでは・・・日本人男性でも同様の人はいるだろう。昨今はそういう方が多い。 たしかにふたりで相談しながら買うべきものも多々ある。 しかし普段の買い物の大方は女性に任せっきりというのが一般的だ。
買い物に関心を示さぬのは、責任を放棄しているといわれたらそれまでだ。然らば連れ合いへの信任を与えぬ買い物風景もわたしは腑に落ちない。


Dscn1275賄いの買い物にまで細かく立ち入ると「自分でおやりになったら」と、日本なら夫婦の間が、「ぎくしゃく」するはずだ。トイレットペーパーやチーズの価格が、キュウリ1本が自分の計算と少しくらい違うとして、返却するほどのこととおもえぬ。些事に口を挟まぬのも「男子の本懐」とまでいわぬが、はなはだ男の沽券を汚されているようで、情けない光景に見える。見ていてついつい異国の習慣に立ち入りすぎて愚痴ってしまった。

コンドの隣に白人夫婦が住んでいる。最近子供さんが生まれて、やがて1才というところだ。子供の泣き声が聞こえるのと、夜遅い洗濯が増えた。言葉のハンディもあって、旦那とは少し話すが、彼女との会話したことはない。子育てに追われてか、いつも眉にしわを寄せて近づきがたい様相をしている。


今日は日曜日、偶然エレベーターで彼女に会う。
ところがです・・・彼女はアウトリガー(日本でいうカヌー)の練習後の帰宅の様子・・・休日は「子供の面倒」は旦那が見るのでしょうか? 乳幼児のですょ・・・・
日本人、ことに我々の世代は、自分の子育て時の経験を想像したら、考えられぬ習慣です。


Dscn1103「日本人を代表してどうだったか?」と、友人にメールを打ちました。

お尋ねの件・・・
長女が生まれた時は、D社を退社する1ヶ月前でした。
企業規模、社風、何から何までスケールが異なる個人商店へ飛び込み、業種も全く違うところでしたから、子供の世話はしておりません。

2人目の時は、得意先のマルイが旅行代理店の資格を取る為に、取引先を海外に送り出し、実績を作るツアー・・・アメリカ流通業界視察・・・協力してアメリカにおりました。本土の帰路、ハワイにもよりました。国際電話したら、長男が生まれたということでした。

ゴルフまでは良かったのですが、観光用のヨットには参りました。太平洋に出たら、一発で船酔いになりました。乗り物には弱くだらしない限りでした。
慣れない絨毯の仕事と義理の会社・後ろ指を刺されないように仕事に没頭しておりましたから、あの当時、家庭のことは愚妻任せ。これでも一生懸命仕事をすることで家庭を守ったと自負しています。

今日から、春の一般公開・御所と桜見物の観光バスが名神京都東から下りてきて、京都市内行きは車渋滞。 どうして、日本人は人の行くところが好きなんでしょうね・・・・fujiki

仕事人間を代表するような日本人像が返信で来た。

「私は結構協力したよ」と言い切れるのなら、私の言は撤回しますが、日本人亭主群どなたも「女房たち」に、この際「総懺悔」がいるのでは無いでしょうか?


前半は白人をこき下ろしました。白人種もなかなかやるものです。

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33) 銀行にて

主要交通機関「ザ・バス」のシニアーチケットは2年間有効で20ドルだった。便利さもあるがこのパスはID(身分証明)も兼ねる。互恵の精神が徹底しているハワイ、プライオリティと書かれた席を譲るのは当然だが、これを提示すると優先座席は間違いなく確保される。シニアーサービスを受けるときもこれを見せればOKだ。
そのチケットが何度も価格改定されて、有効1年で30ドルになった。もともと安かったといえばそれまでだが、この値上げ幅は凄まじい・・・現在は一般客は2ドル、申し込みがあれば乗り継ぎ券を呉れる。釣り銭は出ない。バス代が上がったがサービスは充実した。バス路線は確かに増えた。

観光客がバスに乗りにくいのはこの路線の複雑さが躊躇を生む。バス路線はアラモアナが起点になっている。観光租界ワイキキからは殊に難しい。
ダウンタウンの銀行まで、いつもならばアラモアナ・ブルバードを西下してアラケアを、右折銀行前バス停で降りる。この日は別の路線に乗った。いずれにしろダウンタウンは通る。バスはいつもの通りより山側を西下する。大回りすることになった分、少し時間がかかり過ぎた。

銀行への到着が少し遅れた。これが幸いした。パトカーが数台停まっている。銀行強盗が入って後処理の最中という・・・・早く到着していたら「バッタリという」ということになっていた。 銀行窓口で「金を出せ」というメモを突きつけたそうだ。ピストルでも持っていたら大層な事件になっていただろう。

Dscn1056CPBに口座を開設している。過去はソシアルセキュリティー・ナンバー(アメリカでのID)がないと取引ができなかった。特例でディズニーランドで銀行通帳を作るというサービスがあった。親父が逝って遺品の中にこの通帳が残っていた。
今は日本のパスポートで銀行口座は作れるはずだ。ハワイに銀行口座を持つ。記念になるのはもちろんだが、もっと積極的に運用すればよい。日本が低金利の時代もアメリカでは4%台の金利がついた。100万円相当を3年、あるいは300万円なら1年の金利でハワイへ行ける。為替差損の発生も可能性としてはある。しかし株式投資も同じで下がった時に売り急ぐこともない。「差損」ばかりではなく「差益」が生じることもままある。。

私が付き合っているのは「コンドの管理」、現地での不動産管理を銀行にお願いしている。
預金額によってこの管理費用は無料になる。手数料を収益の一つに加える銀行の政策を、日本の銀行も見習うべきだ。
銀行での仕事は一通り終わった・・・・



Dscn1301銀行員S氏と・・・・Tさんのうわさ話・・・・
わたしがハワイの銀行開設でお世話になった元行員、Tさんからの書簡が途絶えている。旦那の父親が、続いて母親が無くなったそうで「東京からハワイに戻っている」と。

その彼女と偶然ワードの店でばったり出会う。4人いる子供のうち下の二人、男の子と女の子が一緒だ・・・・「何しているの・・・」わたしが知っている職場でのTさんよりは、ふっくらとして穏やかに見える。
「旦那の親が亡くなって・・・兄弟がいてマノアの家を処分・・・でないと相続分けするものが無い」「今日は売りに出した家の、オープンハウス・・ひとが見にくるので・・」
深刻な話の内容の割りにはけろりとしている。

その話「1年が経つがなかなか売れなくて・・・兄弟には手続きを踏んでいるわけだから・・・まあええか・・・ということになっている」と、つづきを銀行で聞くのも長閑だ。



S氏と接客中、ロビーで放映されているテレビに警報が鳴り響く。毎月1日はコンドでも11時から、非常ベルの告示がしてある。これを避けて銀行へ逃げ出したのだ。物凄いとしか言い様の無い音が響き渡る。瞬間われわれの世代だと「空襲警報」を思い起こす。
案外当地では真珠湾襲撃の悪夢を引きずっているのではないかとさえ思わせる。「危機管理」に対するアメリカの取り組みには、ただただ呆れる。


ロビーで話をしているわれわれ、S氏に日系人顧客が声をかける。
50 States Quarters・・・・25㌣が州によってデザインされたものが出ている。08年はハワイ州で最後だ。州の独立性をうたった記念貨幣、それぞれの特徴あるデザインは集めていて楽しめる。コレクターのノートブックが店のレジ横に置いてあって、収集の協力をお願いするというのもある。今の所07年のものはほとんど流通していない。集めるには銀行さんに協力を仰ぐのが一番か? 彼はお願いして立ち去る。


Dscn1069S氏は30歳台後半、日本の語学学校で彼女と出会った。彼女がローカルの人で日本に馴染めずハワイへ帰る。彼もそのまま一緒に島へ・・・・
時々日本へ戻る。タイムラグの悩み・・・ハワイへ帰り着いたらしばらく仕事にならないと・・・・これは弁護士のY先生も同意見だ。われわれ年寄りだけの悩みでは無いようだ。「水をたくさん飲む」「できるだけ太陽に当たる」・・・・銀行で時差ぼけ対策の講義も聴ける。

再度断っておくが大事な銀行業務は大体終えた。その後の寸暇に、たわい無い会話が続く・・・・
昨年の天候、50年ぶりといわれた悪天候。アラワイ運河に汚水が漏れて、川下のアラモアナビーチは使用禁止になった。丁度日本から友人が来ていて、知らないままそこで泳ぎ、帰国後見せられた彼の撮った記念写真には、人陰が見当たらないものだった。

河の下流左側は、ワイキキの浜辺につながる。われわれが滞在中も、さすがにこの濱が使用禁止になることは無かった。後日談がある。この濱で泳いで病人が出るようになって、ワイキキも一部で使用禁止されたが、ニュースにはならなかったという。ワイキキに汚水が流れ込んで、遊泳は危ないということになれば夢も吹っ飛ぶ・・・

ご近所のゴシップをしゃべるサザエさん・・・美容院へ行ってきたのかちゃかすマスオさん・・・いえ銀行でと答えておこう。

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32) フレンチトースト

人生はフイクシヨン・・・・アトキンソンの信号を足早にアラモアナへ、ハワイ滞在中はキャンプインのつもりで歩くことを枷ている。それでも歩く速度は大分遅いようだ。信号を一緒に待っていた白人の若い女性、大柄ではあるが既にパーキングへ通じる階段をのぼる。
  
アラモアナ、店は閉じられひと影もまばら、早朝のSCは別の顔を見せる。目的地は西の端、反対側からSCを通り抜けることになる。歩きながら今と同じ感覚が甦る。

繁華街の真ん中で育った。学校へ通った日々は、まだ眠りから覚めぬ街を通う。場所がちがうだけで、眠りから醒めたばかりの繁華街を歩く。「これは心斎橋筋や・・・・」人生も未知や未経験との邂逅は、案外少ないのやもしれぬ。



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目的は最近見つけたLonghi'sというレストラン。夜立ち寄ったら、朝食が取れるとあった。何でも試してみるべきだ・・・・というのが私の身上だ・・・・

シアーズの前、別棟で少し分かりにくい。そのためにここを見逃していた。エレベーターのボタンを押す。確か4Fだったと思う。戸は閉まるがエレベーターは動かない。なんどかボタンを押し直したがダメのようだ。
SCを清掃する人がいる。事情を説明したら向こうにエスカレータがあるから、あれで上がれと指示される。専用のエレベーターでないと、おもいながらエスカレーターで・・・・
案の定Longhi'sヘの通路はなかった。賢い従業員がいる。清掃の手を止めて携帯をかける。エレベーターの前のメニューに店の番号がある。
「いつもはもう少し早いのだが今朝は8時に店をあけると」・・・丁度時間だ。
  
勿論私が一番最初の客だ。広い店内テーブルの数が多く、一つ一つにテーブルセッティングをしている最中だ。それでもその1人が私を席に案内して、椅子を引いてくれる。「この席でよいか?」
  
4階のオープンエアーの店内から、アラモアナビーチの海が臨める。西側に建つコンドは、あられもなく朝日のもと全貌をみせる。眼下の駐車場にもまだ車はない。
天井に取り付けられ扇風機が空気を動かせる。暖まる前の少しひんやりした風が通り抜ける。この風がこの島の魅力だ。
  
朝食といいながらも、メニューは豪華なものだ。「チヨット違ったかな・・・」
ハワイに1人でいて一番困るのが量の多さ、皿数を選ぶなどとんでもない。
フレンチトーストを選ぶ。
  

冬期への季節の変わり目、はざかいを行き来する天気がここ数日続いた。久しぶりに快晴の空を写して海が蒼い。ノースショアよりワイキキの波が高いとTVは報じていた。席からはそこまでは見えない。
  
外人客が二人、現地の男性が独り、この人にお連れが3人見える。そして独り客、ぼつぼつ客が増える。
  
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コーヒーのお変わりを告げる頃、オーダーが届く。大振りの真っ白い皿に、超厚切りのフレンチトーストが4枚、キツネ色に焼いたパンがパウダーシュガーにまみれいてる。その上にイチゴがきざまれてこれも、どさっとというほどの量が乗せてある。
オーダーの時に何かフルーツの名前を聞かれたが、ストロベリーと答えた。それがトッピングの果物のことだったのやもしれぬ。聞きそびれた。

「Wooo」ボリュウムもさることながら、盛り付けのきれいさに息を飲む・・・
バター・シロップ・ジャム数種類を彼女が配る。
サーバーしてくれるウエイトレスの顔を見る。信号を足早に駆け抜けた娘だ。遅刻して店のオープンが遅れたはずだ・・・・・・

「至福のひとときという言葉」がある。あくまでも至福は一刻、瞬間やもしれぬ。
蒼い海に波頭がくずれる時に作るの白い軌跡が、くりかえしくりかえし永遠に続く。
  
  

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31) プカシェル

ネックレスやブレスレツト、結構好きで金や銀製の物をじゃらじゃら、時にはひっそりと身につけた。男性だから勤めている間、華美なものは避けたつもりだ。その分休みになるとハデ目なものを身につける。これらの装飾品は、「職場組織に隷属」された日々からの解放の勲章ともいえた。社章というバッジを勤務中に就けていないとよく上司からしかられた。

シルバーの少し太めがお気に入りだった。金に比べたら控えめの光沢、何よりも半分以下の価格で手に入る所がいいのだ。香港の友人、沈さんは「プラチナか?」と褒めてくれた。
ネックレスもブレスレットもうっかりすると紛失する。お気に入りのブレスを名門ゴルフ場で、プレー中に落としたこと、誰かが拾って届くかと期待したが出てこず、「なにが名門ゴルフ場だ」と、自分のへまを棚に上げて毒ついたたことを覚えている。

値段に魅力があると書いた。無くすることを前提にして「質」を問はなければ、香港それも中国デパートが作るものを、いろいろ纏めて買った。おみやげにも喜ばれた。
1960年代の香港では確かに、ヨーロッパや先進諸国の名品をまねて作って売るという商売が存在した。「にせものの時計いりますか?」と今でもネイザンロードでは声をかけられる。その性で香港製・にせものという時代の悪い評判も立った。

世界に冠たる観光都市香港のために弁明しておく。、ご承知のとうり1997年まではイギリスの植民地として、又世界でも珍しいフリーポートとして栄えた。地球規模で見てもこれほど刺激的な街はない。「東洋と西洋」「豊かさとまずしさ」「古いものと新しいもの」が渾沌として、大都市が持ち合わせるすべての魅力と魔力を備えていた。貧富は際立った特徴だが、美味しいものが数百円でたらふく食べられた。一方では一級のホテルが乱立し、ヨーロッパの一流ブランド店のブテイックが軒を列ねて出店していて、この渾沌さがこの街の魅力といえた。

日本の経済バブルが弾けて、土地価格が暴落、結果として銀座にエルメスが、青山に***とさわぐが当時の日本には、ブランド店の進出の気配すらなかったのだ。その後デパートが特約契約を結んで商品を並べることになる。

「にせもの」でなくとも「本物」もすでに当時の香港では買えた。しかし日本人の所得では「本物」おぼつかなく、悲しいけれど偽者を漁るしかなかったのだ・・・
早くから香港へ行きまくった私もそうだったことを白状する。「本物」が買えるのなら買っていますよ・・・・
ときどき「にせもの」を買ってきて騙されたという観光客がたまにいる。「ブテイックで買うことなく、しかも妙に安かった」と、本人も薄々騙されることを是認しているくせに、正直に吐露していないだけだ。

ネックレスやブレスはこの点いい。カルチエ、ブルガリ、ティフアニー風でよい。中国デパートがことに面白かった。今のように市場経済も導入されておらず、中国本土で作られた未消化と思えるいろいろな商品が、香港を窓口にして外貨を稼ぐ先兵でもあった。農業製品から工業製品への転換期、ほとんどの商品は稚拙さを残していた。観光の魅力の一つがが間違いなく買い物だとしたら、ここはB級品の買い物の宝箱だった。スターフエリー九龍駅前に立つ「中藝」、銀製の細めのものなら4〜5本纏めて買うことができる。貴金属は基本は使用量、細めならばそう高いものではない。

ショーケースに並べられたものを、デザインを選んで指さしケースから出してもらう。良いと思うものはそのまま、今一つ気に入らぬものはケースに戻す。言葉が十分伝わらぬ国でこれが結構伝わる。「以心伝心」買い物客の心を読むということでも、香港人は格別の才能の持ち主であったと思う。香港人が外国へ退去して、中国人に変わったらこの呼吸も大きく変わった。香港が香港であった時代、異国での買い物にまどろかしさはほとんど無かった。

昨今日本語をしゃべる店員さんが、世界いたるところで常駐する。便利になった代わり、有名ブティツクなどでは、何を勘違いしているのか、日本人客を侮蔑するような態度の現地日本人クリークを見受ける。「何様???」とこちらが問いただしたくなる。

日本人が豊かになるにつれ、「安い安いを」を連呼して、ブテイックを我がもの顔で闊歩、商品を求めるというよりは漁る。現地と日本では経済に体温差があって、日本の豊かさを実感できぬクリーク達の反感を買うことになる。買うものにもよるが「売る側」と「買う側」が心通わせる瞬間があって、買い物をする楽しみが倍増する。それは言葉の問題ではない心の問題なのだ。

中国デパートでのわたしの一部始終を見ていた友人のT君、この時初めての香港旅行だったが、私と同様ケースの中を指差して、「全部!!!」いろいろの種類で50〜60本はあったと思う。中国人店員も私も一瞬あぜんとする。ケース丸ごと買った。1時間ほど後、他で買い物を済ましてその売り場を通ったら、中国人店員が並べるものが無くなって困った顔をして佇んでいた。

さすがに金となるとこうはいかない。ことに日本人が呼ぶ金は18金、中国人は24金しか評価しないからなおさら高い。「金色」は日本人が知っているものより黄金色が濃い。貨幣に信頼の乏しい国の人たちは余裕ができれば紙幣を金にかえる。困ったら売る。市場は町中いたるところにある。

金もお洒落としてこれも身に付けたことがある。太めの金は付け方に注意がいる。貴金属の高価さを誇示するような付け方はいただけない。始終付けているというものではないように思える。日に焼いて鍛えた身体には似合うし、反対に中性的ななよなよとした人にも案外おやという時もあるが、どうかすると人格を損なう「風体」に見られる難儀なしろもろでもある。

数年前日本のメジヤーの野球選手が、ワイキキで泳いでいで落とした話がでていた。ご存知の人もおられるがワイキキ浜では、探知機による探し物をする人がいる。しかし落としたのは海の中、高価なものだっただけにその後どうなったのか聞いてみたい気もする。
格好付けての金くさりはサウナに入るとやけどする。

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プカシェルとハワイで出逢う。記憶は青春まっただ中に飛ぶ。若い頃流行った。心斎橋の舶来屋、当時はPXから流れる缶詰類が主だった中にまじっていた。未だ実需品しか買わぬ当時の世相の中で、プカシェルのネックレスは南の島への憧れと、大戦後の殺伐とした世相に、少しづつではあるが良い時代の到来を予感させ、日本にも今より元気が漲っていた。とはいえそんなものを買うのは都会の若者の一部だったから、手に入れるために親に小遣いをねだって、というほどのことは無かったように思う。要するに貴金属ではなく装身具だった。


大人への憧憬と畏怖に意味もなく傷付く日々、ひんやりとした小さな貝のネックレスを身に付けた時の羞恥。ネックレスが馴染んで青い青春の心に少し成長を感じたことをが昨日のように蘇がえる。

プカシェルに洗い晒しのTシャツ、leeやleviseのジーンズ、スゥイングトツプというワードローブが、ジェームス・ディーンの「エデンの東」の影響だとしたら、1955年の映画だったということを、偶然ラジオで今日知った。ちょうど20才になっていた。

私のブカシェルのネックレスを見て 「おや!」という顔をされる。説明するのが面倒で笑って過ごすことが多い。小さな白い貝殻、まん中に穴があいていて、そこに糸が通り貝をつなげる。長いものはネックレスに、短いとブレスレツトとして使う。

ハワイKo'olina てんとう虫のマークのゴルフ場といった方が良く分かるかもしれない。オアフ島では観光客に人気のある高級ゴルフ場である。今年の夏、久しぶりに日本からの友人とラウンドした。
プロシヨップに立ち寄ったら日本人スタツフのナミさんが、「あら?プカシェル」と目ざっとく見つけて声をかける。「作ったの?」という質問の意味が解せずに無言でいる。しばらく間があって、彼女が自分のものを見せる。貝と貝の間に他の石のようなものがデザインとして混じっている。
「ちがうの・・・ 貝が足りなかったの」
この人が付けているものは手作りだ・・・

冬場北東の貿易風が強まる。夜、風が吹き荒れた北に面した海岸に、プカシエルが上がる。早朝大勢の人が拾うために集まる。「早く行かないとダメ」長いネックレスを作るために貝が足りないと、次回まで持ち越すことになる。ナミさんが見せたものも、シェルの足りない所を他の材料で埋めて、とりあえず完成させたもので、もう少し貝を拾う必要がある事を話した。
「ハワイの人たちは自分で作るんだ」海からの贈り物を拾い集めて、世界でたった一つ自分だけしかないプカシェルを作るというナミさんの話は私を圧倒した。

日本人には季節の移ろいを感じることのないハワイ、「冬でないとダメよ」と断言する彼女と約束した。海の息吹を吸い込んで吹き荒れ、浜に打ち上げられたプカシェル、自分だけのものを作る思いで久しぶりにわくわくしている。


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